咲夜の要求2
「……ということで、現在人質を監禁して行方をくらませている中学生破壊者・百枝咲夜については、彼の要求をのむ方向で、引き続き人質の捜索を続けていきたいと思います」
真昼に行われた署でのミーティングを締めくくり、副署長が声を張り上げた。
スタンドマイクこそ用意されているものの、ミーティングには何十人もの警察官が出席している。
彼らのスーツの布に声が吸収されて予想以上に響きづらいのだ。
「皆さん、私事ではありますが息子の捜索を、どうかよろしくお願い致します」
ミーティングに参加している警察官と一緒に長机を並べて座っていた女刑事、早乙女千里が立ち上がって頭を下げた。
数日前に咲夜に刺されて入院中の警察署長のお見舞いに行った際も、これは千里の責任ではないと言われて帰ってきたのだが、やはりそう軽く流すわけにもいかない。
あの場で、もし千里が身を挺して悠希を助けていれば、こんな事態にはならなかったかもしれないという後悔は、今になっても彼女の胸に渦巻いていてなかなか消えない。
頭を下げたまま、千里は心の中で自分を責めるころぢか出来なかった。
「やっぱり気になってるんすよね、先輩」
ミーティングが終わって、千里が配布された書類を片手に会議室を出ようとすると、背後から声をかけられた。
立ち止まり振り返ると、そこには何度か行動を共にした部下の黒川が立っていた。
少し不安げな表情で心配そうに千里を見つめる彼は、自分の表情に気付いたのか急いで笑顔を取り繕い、
「あ、いや、その、すみません。先輩があまりにも暗い表情されてたので。自分まで暗くなっちゃダメっすよね」
恥ずかしそうに頭をかく黒川がおかしくて、千里は思わず吹き出してしまう。
「え、あ、そんなに自分面白いっすか?」
ピンクがかっていた黒川の顔が真っ赤に染め上がった。もう頭の先から湯気でも出てきそうな勢いだ。
「ううん、ごめんなさい。黒川、少しは男っぽいとこあるじゃない」
千里は笑って歩き出した。
振り返っていた体制から前を向く寸前で『ありがとう』と口を動かして感謝を伝えると、黒川は嬉しそうに顔をほころばせた。
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その日から、警察署では本格的に咲夜の要求に応えるための活動が開始されていた。
改めて捜査本部も設立され、そこには聞き込み調査や防犯カメラのチェックなどを入念に、少しの手がかりも逃さない勢いで行う、熱意の込もった警察たちの姿があった。
まず第一は、今回の事件の首謀者であると同時に要求を送ってきた中学生の破壊者、百枝咲夜の身辺調査だ。
咲夜が通っているという中学校にアポを取り、クラスメイトや担当教師、学年主任、学校長と幅広い層に聞き込みをし、咲夜の人物像を明らかにしていった。
だが咲夜は普段からクラスでも孤立していて、最も重要視されたクラスメイトからの情報は得られなかったという。
その代わりに、担当教師や学年主任からは大量の情報を入手することに成功した。
普段の咲夜の学習態度や学校生活、休み時間の過ごし方や成績など、一見事件とは無関係に思える内容でもしらみつぶしに聞いていった。
平凡な日常生活へのストレスが、今回のような事件を引き起こした要因であることも十分に考えられるのだ。
それらを基にして、さらに地元周辺で不可解な出来事などが起こっていないかの調査、トラブルの有無についても徹底的に調べ尽くした。
「お疲れ様。一旦休憩にしましょう」
署に戻ってきた警察官たちに湯茶を配りながら、千里は労いの言葉をかけた。
今回設立された捜査本部では千里が本部長を務めることになっているため、どんなに小さくても入手した情報は千里へ伝えられていた。
幸いにも、千里自身も咲夜と少し交流があったため、彼女の実体験も含めて情報を集めて整理していく。
それが今回、本部長を任された千里の責務だった。
情報整理は得意分野な千里にとって、半ば朝飯前のこの作業。千里は調査の中で関連する内容ごとに揃えながら、
「これで大体揃ったわね」
長机の上に大量に置かれた資料やメモ用紙などを整理しながら呟いた。
昼過ぎから始めた調査にも関わらず、短時間で予想以上の情報が集まったことに驚きつつ感心していた。
まさかこんな短時間で一日の仕事と考えて満足のいく調査ができるとは夢にも思わなかった。
「みんなありがとう。おかげで順調に進んでます」
千里は、会議室で一休みして湯茶を口にしている警察官たちにお礼を述べた。
「まだまだですよ」
「この後もアポあるので任せてください」
「頑張りましょう!」
彼らは口々に言った。
現在の時刻は十八時三十分。
昼過ぎから始めて既に三時間あまり経過して、短時間にしては充分過ぎるほど大量の情報を持ってきてくれた警察官達。
それでもまだ諦めてず元気に振る舞うその姿に、千里は胸を打たれた。
「そうね! 頑張ろう!」
「「「オー‼︎」」」
千里の掛け声で、警察官たちの心が一つに固まっていく。
その後も順調に捜査は続いた。
千里が最終集合を呼びかけたのは、休憩からおよそ二時間後の十八時だった。
「とりあえず今日はこれで以上とします。皆、明日からもよろしくお願いします」
千里の声を合図に、その日の調査は無事終了した。
警察官たちは疲労困憊状態にも関わらず、力強く返事をしてそれぞれ各々帰宅していった。
捜査本部の薄暗い部屋には千里と黒川が残った。
「お疲れ様っす、先輩」
黒川がパソコンから目を離して千里を労った。
沢山の白い長机が並ぶ広めの部屋で、人が通れるほどのスペースを保って左右に置かれた席の両側に千里と黒川は座っていた。
「ありがとう、黒川。あなたも区切りがついたら帰りなさいよ」
千里の言葉使いが少し和らいだことに安堵の笑みを浮かべながら、黒川は応答する。
「はい。あと少しで終わります」
そう伝えたっきり、再びパソコンにかじりつく黒川を千里は頼もしい目で見つめた。
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「じゃあ自分、お先に失礼します」
どれくらい経っただろうか。電気をつけないと真っ暗になるほど日が沈んだ頃に、黒川が言った。
「分かったわ。お疲れ様」
「お疲れ様でした」
一礼をして部屋を後にした黒川の背中をしばらく見た後、パソコンの画面に視線を移す千里。
そこには受信メールが表示されていて、一件の添付ファイルに短髪の少年の姿があった。
マウスを動かしてその画像の上でクリックすると、やや汚めの音質と共に動画が流れた。
「警察の皆さんにお願いがあります。ボクの姉を釈放してください。姉は無実です。ボクを庇って少年院に入れられただけなんです。今回ボクがこのようなことをしたのは、姉の無実を証明するためです。お兄ちゃ____悠希くんは元気です。安心してください」
画面越しの咲夜の声が部屋全体にモワモワと響き渡る。
千里はその音声を黙ったまま真剣な表情で聴いていた。




