殴り書きの写真
「わかった」
悠希は落ち着くために、一回深呼吸をしてから続けた。
「じゃあ、咲夜くんがこうやって俺を誘拐した理由を教えてくれ」
「……何で?」
こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりに顔を歪ませて咲夜は問う。
だが、そんな咲夜に優しい微笑みを向けた悠希は静かに言った。
「咲夜くんを助けたいんだ。もし俺にも協力できる事だったら力になりたい」
「ふざけないでよ」
ボソリと俯いたまま呟く咲夜。
表情は見えないがその声色は良いものではない。怒りをすんでのところで抑えて、ぐっと堪えているような言い方だ。
だがそれとは裏腹に、握りしめられた拳はワナワナと震えて止まらない。
「お兄ちゃんにボクの何がわかるの?」
キラキラと輝く結晶のような青い瞳から透き通る涙を流す咲夜は、ゆっくりと顔を上げて悠希を見た。
その表情はまるでこの世の全てに絶望し、頼る術を無くした人間が浮かべるような……悲しく切ないものだった。
「わからないよ。でも……」
「じゃあ余計な事言わないでよ!」
声が枯れそうになりながらも、怒りを言葉にして叫ぶ咲夜を悠希は見つめた。
咲夜が初めて見せた絶望にそれ以上の言葉は出なかった。
「簡単に言うけど、教えてとか力になりたいとか言えるのはわかってないからだよ。どれだけ辛いか。どれだけ苦しいか。ボクが今まで味わってきた苦痛を知らないからでしょ?」
咲夜は怒りが収まらないまま、ただただ感情を目の前の相手にぶつける。それしか出来ないようなぶつけ方だ。
だがそれさえも優しく悠希は受け止める。
「ああ、そうだよ。だから今知りたいんだ。教えてくれたらわかるだろ?」
「何それ」
咲夜は鼻で笑って悠希の言葉を払いのけた。
うなだれて涙を流す中学生には、もう信じられるものは無くなっていたのだ。
「そんなに簡単なものじゃないんだってば。仮に話したところで、お兄ちゃんがボクの苦しみを全部分かるなんて無理だ。表面的な事しか分かんないよ」
「何も知らないよりはマシだ」
「そんなの分かったことにならないよ!」
咲夜はたまらず叫んだ。
自分勝手に同情を向けてくる悠希に対して、怒り以外の一切の感情は湧いてこない。
自分のこの苦しみを中途半端に分かられてたまるか、という思いでいっぱいだった。
咲夜は短い髪の毛をくしゃくしゃと手で荒らして、
「あああああ‼︎ お兄ちゃんのせいで計画が狂っちゃう! 絶対成功させなきゃダメなのに……!」
そう独りごちると、咲夜は悠希の膝の上に置かれていた厚紙を無理やり立ててスマホを向けた。
「はい、早くしてよ。これで写真撮って送るから」
「どこに?」
「警察に決まってるでしょ! あとお兄ちゃんのお母さん。自分の息子が誘拐されて、しかも『ボクは生きてます』なんて看板持たされてるの見るのどれだけ苦痛だろうね。考えただけでゾクゾクしてきたよ」
怒りと高揚感で震える体を、スマホを持っていない方の手でさすりながら、咲夜は笑みを見せた。
目は充血していて、黒目が小さい粒になるほど見開かれている。
額からは無数の汗が絶えず流れ落ち、滴となって咲夜の肌を濡らしていた。
「言う通りにすればとりあえず満足か?」
そう言いながら、悠希は膝の上に厚紙を置く。
カシャっとシャッターを切ってから、咲夜が嬉しそうにスマホの画面をのぞきながら、
「やった……! やった……! これで脅迫できる!」
そして、すぐさまスマホを弄って大きな深呼吸をした後、しゃがみ込んだ。
「ふぅ、第一関門突破!」
額の汗を拭いながら独りごちる咲夜。
一方、咲夜のやろうとしていることに全く見当がつかずにいる悠希は、自分のスマホを片手に喜ぶ咲夜を見つめた。
「あとは動きがあるのを待つだけだ」
ガッツポーズを繰り返して、咲夜はあからさまに嬉しそうにはしゃいでいた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「警部!」
その頃、都内の警察署では一通のメールが送られていた。
男子高校生誘拐事件の捜査本部として設けられた一室で捜査を進める警察のうちの一人が、室内の中央奥に座る警部補へ駆け寄る。
「どうした?」
呼ばれた警部が立ち上がって警察の持つノートパソコンを覗き込むと、
「何だこれは……!」
思わず目を見開いて驚く警部を見て警察が尋ねた。
そこには『ボクは生きてます』と赤黒いマーカーで殴り書きされた文字が書かれた厚紙を持った笑顔の悠希が、椅子に座っている写真が空メールに添付されていた。
周りの電気は消えていて、悠希が座っている椅子の辺りにだけ光が当たっているため、場所の特定は現段階では困難だ。
「これはおそらく脅迫です。この後身代金などの要求が重なると思われますが、いかがいたしましょうか」
「ああ、そうだな。だが、まずこの写真がリアルタイムなら悠希くんはまだ生きてる。下手に要求を断ったり、交渉に失敗したりしたときに、悠希くんが殺される可能性もゼロじゃない」
顎に手を当てて、警部は考え込んだ。
「にしてもどうやってここのパソコンにメールを送ることができたんだ? アドレスは口外していないはずだが」
警部は気になる疑問を口にした。
確かに、警察署などのパソコンは全てコントロールされていて、外部からの不正アクセスは受信しないように対策を施している。
そんな中でのメールの送信など不可能なはずなのだ。
「わかりません。ですがそれも今捜査中です」
「わかった。捜査結果を待とう。きっと早乙女さんのご自宅にも送られているはずだから、そちらのケアにあたってくれ」
「承知いたしました」
警部がそう指示すると、警察はしゃっきりとした敬礼をして捜査本部部屋を出て行った。




