誘拐犯の想い
「なぁ、ここどこだよ」
咲夜に暗い倉庫へと連れて行かれた悠希は、辺りを見回した。
「倉庫だよ。別れた元父親のものだけど」
入ってすぐの壁に電気のスイッチがあるのにも関わらず、それを押さずに咲夜は告げた。
「そんなの勝手に使ったらダメだろ」
「いいんだよ。許可はとってる」
咲夜は倉庫の中央にあるボロボロの木製の椅子を指さした。
「あそこに座って、お兄ちゃん。誘拐犯らしく脅迫したいんだ」
まるで誘拐ごっこでもするかのように楽しそうな表情で笑う。
「本当に何考えてるんだ?」
悠希がそう尋ねた瞬間に咲夜が右手に持っていた包丁を向けた。
「っ!」
急に刃物を向けられるとやはり体が固まってしまう。それが人間の本能なのかはわからないが余計な事を言って咲夜を怒らせるわけにはいかないと腹を決める。
「……わ、わかったよ」
だが咲夜の持つ包丁はずっと悠希の方を向いている。悠希が完全に椅子に座るまでこうやって脅しをかけるつもりのようだ。
悠希は仕方なく椅子に座り
「はい。で、次は何をするんだ?」
「おっ! 何か乗り気じゃん〜お兄ちゃん」
咲夜はまた嬉しそうに頬を緩めると、考え込むように左の人差し指を顎に当てた。
「う〜ん、そうだなぁ。じゃあまずは!」
そう言って倉庫の隅の方へ走って行き、何かを持ってきて、そして悠希の方にかざした。
「これ持って! 写真撮るから!」
ズボンのポケットからスマホを取り出して構える咲夜から手渡された物を見て、悠希は驚愕した。
それは八つ切り画用紙のような大きさの厚紙で、血のように赤黒いマーカーで「ボクは生きてます」と殴り書きしてあった。
「何これ」
悠希が尋ねると咲夜は愉快そうに笑って
「え? よくあるじゃん! 誘拐犯が警察や誘拐された家族に対して送りつける脅迫だよ!」
「そんなことして何を望んでるんだ、咲夜くん」
咲夜は急に怖い表情になると、前までの明るくて陽気な声とは真逆の低い声を出して、椅子に座る悠希を睨みつけた。
「うるさいな。ボクに逆らわないでよ」
そして口角を上げてにっこりと微笑む。
「お兄ちゃんは、陰陽寺大雅に次ぐ破壊者・百枝咲夜に誘拐された可哀想な被害者なんだからね」
だがその微笑みはかつての愛くるしい笑顔とは似ても似つかない奇妙なものだった。
「余計な詮索はしないこと! わかった?」
まるで幼児に向かってしつけをするように小首を傾げる咲夜。
「じゃないと刺すって言ったよね」
さっきのような低い声で悠希の顔のすぐそばまで顔を近づけて囁いた。
悠希の目と鼻の先に咲夜の悪魔のような笑顔がある。
咲夜の顔が悠希の目前へやってきたときに、鮮やかな水色をした髪の毛からプワンとシャンプーの香りがして悠希はハッとする。しかもその香りが悠希の家のシャンプーと同じ香りなのだ。勿論悠希の家でお風呂に入ったっきりなので当たり前といえばそうなのだが。
それが何だか咲夜の心残りを示唆しているような気がしてならない。だが当の本人は気味の悪い笑みを浮かべて、椅子に座らせた被害者を哀れな目で見ている。
「……本当にこんなことしたいのか?」
悠希は尋ねた。すると咲夜はキョトンとした顔で
「どういうこと?」
と聞き返した。
「もう一回ちゃんと考えてみろよ。まだ中学生なんだしこれからだろ? 何でこんなことしてるのか俺には分からないけど、最終的に俺を殺したとしてもいい事ないぞ」
悠希は必死に訴えた。人生これからの彼に道を踏み外してほしくないという思いが急激に湧き上がってきたのだ。まだ咲夜の中に迷いがあるなら悠希次第で変えられるかもしれない。逆に言えば、咲夜の意向を変えられるのは今目の前にいる悠希だけだ。
だがそんな悠希の思いなど知る由もなく、咲夜は馬鹿にするように笑った。
「急にどうしたの? お兄ちゃん。被害者が色々言っても意味ないよ?」
そして再びポケットの中から包丁を取り出し、悠希の方に向ける。
「うるさい事言ったら刺すって言ったのもしかして信じてない? いくらボクがお兄ちゃんより年下だからってナメないでよね!」
軽く素振りをするように包丁を振り回しながら咲夜は怒りを露わにする。
「大事な事だから言ってんだよ!」
悠希も負けじと声を荒げる。
咲夜とは一晩一緒に過ごしただけにもかかわらず、何故か本当の弟のように大事に思う気持ちが芽生えている。
それに少し不思議な感覚を抱きつつも、悠希は自分の思いを胸にまっすぐ咲夜を見つめる。
「しつこいだろうけど、咲夜くんはまだ中学生だ。これから高校受験もして行きたい高校に行って勉強して部活して、青春も謳歌できる。高校が終わったら次は大学受験だ。俺もまだだから何も言えないけど……」
言葉を切って咲夜を見る悠希。
しかし、咲夜は腕を組んで眉をひそめ、小さく地団駄を踏んで苛立ちをあからさまに表に出した。
それでも悠希は訴え続ける。
「でもきっと大変だと思うんだ。大学受験だけじゃない。就職も出世とかも人生は全部。そのかわり達成感はあるはずだ。こんな事で人生を終わりにしてほしくないんだ!」
「何でそんなにムキになってるの? お兄ちゃんには関係ないでしょ。ボクだって好きでこんな事してるんじゃないよ。ちゃんと目的が、理由があるんだよ!」
持っていた包丁を投げ捨てて、咲夜は怒りで拳を震わせた。




