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月夜の誘拐

「悠希」


 しばらくすると、千里が現場に姿を現した。走ってきたのか少し息遣いが荒い。膝に手をつき必死に呼吸を整えている。


 悠希は母親の呼びかけに首だけ振り返って神妙な表情でコクリと頷いた。


 千里も頷き返すとまだ続く息切れを抑えつつ、俯いて座り込んでいる咲夜の方へ歩き出す。


「咲夜くん」


 そっと千里が呼びかけるが、咲夜は反応しない。まるで凍って動かなくなったようにじっとその場に座っていた。


 反応しない咲夜を見て一息吐いた千里は、その傍に横たわる男性の死体に気付いた。


「この人を殺したの?」


 そう問いかけられても、まだ咲夜は黙ったままだ。

 千里は真剣な、どちらかと言えば少し怒ったような表情で間髪を入れずに再度尋ねる。


「殺したの?」


 静かな、だがこの重い状況を噛み締めているような、どっしりとした声だった。


 まだ答えを示さない咲夜に、さらに千里は短く言った。


「答えなさい」


「こ……」


 ようやく咲夜が言葉を発した。歩幅わずか三十センチほどまで近づいて、やっと聞こえるくらいの小さな声で、


「殺しました。ボクが」


「そう。わかったわ。詳しい事は署で聞くから」


 咲夜の言葉を聴くや否や、千里は頷いて咲夜の手を引っ張って立たせた。


 咲夜はまるで生まれたての小鹿のように足をガタガタと震わせながら、千里に誘導されるがまま動いた。


「母さん」


 悠希がそっと呼びかけると、千里は悠希の方に顔を向けて、


「ちょっと行ってくるからあんたは家に帰ってなさい」


 いつになく少し厳しい母親の指示だった。


 今まで何があっても怒らず笑顔でただ背中を押してくれた母・千里。

 その彼女が今、悠希に真剣な眼差しを向けている。


「わかったよ。母さん」


 悠希が言うと、千里も力強く頷く。

 すると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。


 いつの間に千里が通報していたのか、パトカーと救急車が赤い蛍光灯を光らせながら一台ずつ現場にやってきた。


 不安そうな表情の悠希を見て千里が優しく声をかける。


「大丈夫よ。私が呼んだの」


「い、いつの間に」


「さっきここに来るまでの間にね。悠希からの電話で勘付いたのよ」


 うなだれて放心状態の咲夜を肩に抱き、千里が言う。


 悠希は母親の言葉に驚きを隠せなかった。


 息子からのたった一本の電話___自分のGPSを辿ってほしいという要望を聞いただけで、すぐに電話の向こう、すなわち悠希がいる現場で何が起きたのかが瞬時にわかったというのだ。


 長年刑事をやっているだけあってさすがだな、と親バカならぬ子バカで感心してしまう悠希。

 もしくは親子の絆ゆえか。


 どちらにせよ、電話一本で気付いてくれることは凄く嬉しいものだ。


 悠希はパトカーに向かって歩いていく千里と咲夜を見ながらそう思っていた。


 咲夜には罪をしっかりと認めて償ってほしい。そして社会復帰した時にまた会いたい。


 ところが、悠希のそんな思いを打ち消したものがあった。


「止まれ!」


 パトカーに乗ってやって来た警察のうちの一人の緊迫した叫び声だった。

 その声を合図に千里と咲夜の歩みがピタリと止まる。


 その警察官は高い背で鋭い目をしており、いかにも上層部だと思われるような風貌の男性だった。

 実際、彼は千里が勤務する警察署の署長で、ずっと探していた破壊者が見つかったという報告を受けて駆けつけたのだ。


「百枝くん。お腹に隠している物を出してもらおうか」


 署長は手を差し出しながら咲夜の方にゆっくりと近づいていく。


 千里も何か危険を感じたのか一歩二歩後退り、咲夜から離れた。


「百枝くん」


 署長は咲夜の正面に立ち、目だけで見下ろしてもう一度咲夜の名前を呼んだ。普通なら怖がるはずのその形相にも、咲夜は臆することなく黙って俯いているだけ。


 苛立ちを何とか抑えつつ出来るだけ優しい言い方を心がけながら、さらにもう一度署長が咲夜の名前を呼ぶと、


「署長!」


 一緒に来ていた警察官が声を上げた。


「何だ?」


 首だけで振り返る署長を指差しながらその警官は震えていた。


「署長! 腹部が!」


 やっと()()()()に気づいた千里も同様に声をあげた。


 『腹部』という言葉を聞いて初めて自分のお腹を見た署長は、声にならない声で何か一言呟いた後、バサリとその場に崩れ落ちた。


「署長!」


 警察官と千里が同時に叫び、瞬時に駆け寄る。


 目を開けない署長のお腹からは大量の血液が流れ出していた。


 千里がハッと気づくと咲夜が側にいない。


「咲夜くん!」


 千里が辺りをキョロキョロ見回すと、


「ここだよ」


 咲夜は笑顔で悠希の側に立っていた。右手に血の滴る包丁を握りしめて。


「き、君は、なんてことしたんだ!」


 警察官が怯えを隠しつつ叫ぶと、咲夜は笑いながら、


「だってこのおじさん、ボクに近づこうとしたんだもん。怖かったんだよ」


 悠希の背中に隠れながら幼稚園児のような振る舞いをする咲夜。


「悠希! 咲夜くんから離れて!」


 千里の言葉に動こうとした悠希だが、咲夜のものすごい力に押し留められてその場から一歩も動けない。


「悠希!」


 再度叫ぶ千里だが、悠希は動けない。

 何故なら咲夜が耳元でこう言ったからだ。


「動いたら、刺すよ?」


 背中に包丁の刃を突きつけられていたのだ。動けるわけがない。


「そのおじさんを刺したのは謝るよ。ごめんなさい。でもボク捕まりたくないんだ。無実を証明したい人がいるしそれまでは絶対捕まるわけにはいかないんだよね」


「屁理屈言ってないで早くパトカーに乗りなさい!」


 力の限り言葉を発する千里には目もくれず、咲夜は提案した。


「じゃあ、こうしない? ボクを捕まえるのはお母さんたちの自由だよ。でも、()()()()()()状況は変わってくる。もしボクを捕まえるんなら」


 そこで言葉を切って奇妙な笑いを浮かべる。


「お兄ちゃんの命はないからね」


 正面からでもはっきり分かるように、今度は悠希の首に包丁を突きつけた。


「やめて‼︎」


 すぐさま千里が叫ぶ。だがそんな姿さえも面白そうに笑いながら咲夜は続けた。


「大丈夫。簡単な話だよ。お母さんたちがボクを逮捕しなかったらいいだけ。そしたらお兄ちゃんも無傷だよ〜」


 突然の脅迫混じりの発言に固まってしまう千里や警察官を軽蔑の目で見て、


「じゃあね、お母さんたち。お兄ちゃんはボクの物だよ?」


 そう言って悠希の首に包丁を突きつける体勢を崩さず、咲夜は暗闇に消えていった。


 呆然とその場に居ることしかできない千里たち。署長も赤黒い血を流しながら徐々に冷たくなっていく。


「悠希……」


 千里は暗闇を見つめながらポツリと呟き、警察官は何もできなかった自分を嘆くように唇を噛み締めた。


 そんな三人を嘲笑うかのごとく、鋭い三日月が咲夜の刃のように光を放っていた。

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