悠希の提案
ピリリリリ、ピリリリリ……。
いつもとは違う目覚ましの音で咲夜は目を覚ました。まだ眠い、と瞬時に思う。
寝ぼけ眼をこすりながら身体を起こし、辺りを見回した。
そこは昨日もいた悠希の部屋で、いつの間にか咲夜はベッドの上。しかし、悠希の姿が見当たらなかった。
「お兄ちゃん……?」
咲夜は誰もいない部屋の中でポツリと呟くが、当然ながら返事はない。
悠希がどこに行ったのか、ものすごく気がかりだった。
所詮、家の中で行く場所といってもたかが知れているのだが、初めての場所で迎える朝はやはり少し不安だ。
そう思っていると、部屋のドアがガチャっと開いて悠希が入ってきた。
「お、起きたか。おはよう」
「おはよう」
咲夜も挨拶を返す。
「今日は日曜日なのに。もうちょっと寝ててもいいんだぞ。俺は母さんが仕事だから早く起きてるけど」
悠希は床に布団を敷いて寝ていたらしく、無造作に放置されていた布団をたたみながら笑った。
「お母さん、仕事なの?」
「ああ。一応あれでも警察関係なんだよ」
「けい……さつ……?」
「うん。意外でしょ?」
そう言って悠希は悪戯っぽく笑った。
だが咲夜の気持ちはそれとは裏腹で、困惑と混乱が胸を支配していた。
全く笑えない。
何と悠希の母親・千里の職業は警察だったのだ。
昨日の彼女の優しそうな様子を見る限りでは、とてもそんな風には見えなかった。だからこそ悠希も『一応あれでも』という言い回しをしたのだろう。
それよりも咲夜が気になっていたのは自分のことだった。
警察ならとっくに、殺人鬼であり陰陽寺大雅に次ぐ新たな『破壊者』として名が知れ渡っている咲夜のことも知っているはずだ。
それなのに、昨日咲夜がフルネームを名乗って挨拶しても、千里は全く表情を変えなかった。
それどころか笑顔で咲夜を迎え入れてくれたほどだ。
果たして本当に気付いていないだけなのか、泳がせようと思っているからなのか、今はわからないが、気を引き締めないといけないと咲夜は固く心に誓った。
変に家の事情などを話して、そこから真実を突き止められたりしたら一貫の終わりだ。
「咲夜くん? 大丈夫?」
ハッと気がつくと、悠希が咲夜の顔を覗き込んで不思議そうな顔をしていた。急に黙りこくってしまったから、変に思われてしまったのだろう。
「あ、うん。大丈夫」
急いで微笑む咲夜。
千里が警察官だというまさかの事実に驚き過ぎて、色々考え過ぎていたようだ。
「朝ごはん食べる?」
「あ、うん」
「了解」
悠希は笑って親指を立て、部屋を出て行った。
ドアが閉まったところで咲夜は深いため息をつく。
さっきのことで怪しまれたりしていないかがすごく不安だった。
悠希からしてみれば母親の職業を言っただけで目の前の相手が黙ってしまったのだから、不思議に感じたに違いない。
「はぁ……やっちゃった……」
咲夜は、また大きくため息をつく。
せっかく羽を伸ばせるいい生活が始まると心を踊らせていたのに、全くそんなことができる状況ではなくなった。
かと言って家に帰ればすぐに警察行きになるはずだから、危険な状態になったとしてもここにいた方がいい。
咲夜が言動に注意すれば済むだけの話だ。
「よし」
誰もいない部屋で咲夜は意気込む。
そんな咲夜を窓から差し込む朝日が眩しく照らしていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ご飯ありがとう。美味しかったよ」
洗面所で、悠希に渡された歯ブラシを片手に歯磨きをしながら咲夜はお礼を言った。
「うん、よかった」
悠希は安心したように笑った。
朝ごはんは、日曜日にも関わらず朝が早い千里の代わりに、悠希が作ったフレンチトーストだった。
四分の一にカットされた食パンが卵でこんがりと黄色に焼き上げられていて、湯気と共に鼻に入ってくる香りは牛乳と砂糖の混じったような甘い匂い。
勿論、全体的に甘さもちょうど良く調節されていて焦げ目も綺麗についている。
口に頬張ると意外にも柔らかく、噛みやすい味わいで非の打ちどころがなかった。
「料理出来るなんて凄いね」
あんなに甘くて美味しいフレンチトーストも凄いのだが、咲夜にとっては料理が出来る事自体リスペクトだった。
「作った事ないの?」
悠希に尋ねられて、咲夜は恥ずかしくなってコクリと頷く。
家では、何だかんだ言いつつも結局は母親が作ってくれる事が殆どだった。
どうしても疲れて無理だという時には、咲夜が夜道の中自転車を走らせて弁当を買いに行ったりしていたため、咲夜自身は今まで料理をする必要がなかったのだ。
「まぁ、男子だし、料理作ってる方が珍しいよな」
そう言って悠希が軽く笑った。
だが今時そういうような風潮は少なく、寧ろ料理が出来る男・料理男子の方が人気なイメージが咲夜にはあった。
「そんな事ないと思うよ」
と、咲夜は慌ててフォロー。
悠希は咲夜の精一杯のフォローに気付いてくれたのか、『サンキュ』と笑った。
「あ、そうだ」
突然何かを思い出したのか悠希が声を上げた。
「どうしたの?」
「咲夜くん、着替え大丈夫?」
悠希に尋ねられて、咲夜は改めて『着替え』というものを再認識した。
今は悠希が幼い頃に着ていたというパジャマを借りているため、着替えに関してはそんなに深く考えていなかった。
咲夜は、自分から泊めてもらっているのに情けないと思いながらも、
「着替え、家のままなんだ。まさかお兄ちゃんの家に泊めてもらえるなんて思ってなかったから、着替えとか考えてなかった」
「そうか。家に取りに帰る、っていうのは嫌だよね」
「うん」
咲夜の言葉に悠希は頷くと、こう提案してくれた。
「あ、そうだ。今日はせっかくの休日だし、二人で買い物にでも行かないか?」
「買い物?」
「ああ。今はお金も結構貯まってるし、一着だけでよかったら買うよ」
悠希の言葉に、咲夜は慌てて首を振る。
「そんな。ダメだよ! 服って結構高いでしょ? 泊めてもらってるのに服まで買ってもらうなんて贅沢な事したくないよ」
「大丈夫だって。一着だけだし。今日セールしてるんだよ」
咲夜が悠希に見せられたのはスマホの広告で、服がお得な値段で売られているショッピングモールのものだった。
「そ、そうなんだ。……じゃあ後でちゃんとお金返すよ」
せめてもの礼儀としてお金を返すのは当然だ。咲夜はそう思って悠希に言った。
「えっ、いいんだよ別に? こんなに安いのにお金返してもらってたら、何かケチくさいだろ?」
だが悠希はそれも華麗にスルーして笑った。
「で、でも____」
「大丈夫。よし、じゃあちょっと遠いけど行くか」
咲夜の言葉を遮って、悠希は玄関へと移動する。
「俺の自転車乗ってけよ。俺は母さんのに乗るからさ」
咲夜がガレージに向かった悠希について行くと、悠希が自身の自転車を指差して言った。
「あ、ありがとう」
咲夜は悠希にお礼を言ってから、おそるおそる自転車にまたがった。
悠希の方が背が高い分、またがっても咲夜の脚全体は地面につかないが、つま先が辛うじて地面につくくらいだった。
これなら不安はない。
「いける?」
悠希に聞かれて咲夜は頷いた。
「よし、じゃあ行くか」
そう言って悠希は自転車を漕ぎ始めた。
咲夜もペダルを踏み、後を追って進み始めた。




