新たな生活の始まり
「どうかしたの?」
悠希と咲夜を交互に見比べながら悠希の母親・千里が尋ねた。
悠希と同じ茶髪でボブショートの長さの髪をハーフアップのヘアスタイルで結んでいる。くりくりとした青色の瞳からは汚れを知らない純粋さが醸し出されていた。見た目は若そうだが、間近で見ると頬に少しばかりシワが入っている。
咲夜には、千里が三十代後半から四十代前半のように感じられた。
「親御さんと言い合いになっちゃったみたいで。……ほら、俺も中学の時、一回だけ家出したことあっただろ?」
「あれは家出って言わないでしょ。庭の車のところに座ってただけじゃないの」
「アハハ……」
千里に言われて、恥ずかしそうに悠希は頭をかく。
「で、いいかな? 母さん。咲夜くんをしばらく泊めても」
千里は考え込むように顎に手を当てて下を向いた。そしてすぐに顔を上げ、
「仕方ないわね。いいわよ」
OKサインとともに、茶目っ気たっぷりにウインクをする千里に悠希は顔を輝かせた。
「本当か⁉︎ ありがとう母さん!」
「ありがとうございます」
咲夜は予想外の結果に驚きつつも、慌てて深々と頭を下げた。
「よろしくね、咲夜くん」
「は、はい」
千里に挨拶されて、咲夜はぎこちなく頷いた。
「本当の母親って思ってもらっていいからね」
「それは無理だろ」
すかさず悠希が突っ込むが、千里は華麗にスルーして手をパンと叩き、
「さ、お腹も空いたでしょ。ご飯にしましょ」
キッチンに移動し、晩飯の準備を始めた。
「スルーするなよ」
悠希が笑いながら呟いて、咲夜もそれにプッと吹き出す。
「え?」
「あ、いや。何かお兄ちゃんとお母さん、すごく仲良しだなって思って」
「そうか? 俺からしたら普通だけど」
悠希の言葉に咲夜はフルフルと首を振って、
「ボクの家と大違いだよ。僕の母さん、ダラダラしててナマケモノみたいだもん」
咲夜の言葉に悠希が声をあげて笑った。
「え? なになに?」
キッチンでお鍋からおかずをお皿に盛り付けながら千里が口を挟む。
「何笑ってるの?」
「咲夜くんのお母さんがナマケモノみたいにだらけてるんだってさ」
キッチンの千里に向かって悠希が言った。
「そうなの? 咲夜くんのお母様も色々大変な思いをされてるのね。お疲れなのよ、きっと」
「そんな、大した親じゃないですよ。働いてくれてるけどパートですし」
咲夜の言葉を聞いた千里は「まぁ」と驚いたような表情をして、
「そんなこと言うものじゃないわ。母親って何よりも子供のことを考える生き物なのよ」
「そうでしょうか」
にわかに信じがたいが、同じ母親としての立場にある千里が言うのだから間違ってはいないのだろう。
「大丈夫だよ。俺もわかんないから」
そんな咲夜の気持ちを汲み取ってくれたのか、悠希がそっと耳打ちした。
それに安心して咲夜も口角を上げる。
「よし、ご飯できたわよ」
千里が三人分のお皿を乗せたおぼんを持ってダイニングへやってきた。
「お、ありがとう。あー腹減った腹減ったー」
悠希が千里にお礼を言って席に座り、咲夜もそれにならう。
テーブルの上に並べられたのは、色とりどりのおかずとピカピカに光ったつるつるの白ご飯だった。
ほくほくのジャガイモとシャキシャキの枝豆がお皿の上からひょっこり顔を出し、顔が火照るほど熱い湯気も立っている。
見ただけでよだれが出てきそうなほど美味しそうだ。
その横にあるのは同じく熱々の湯気がたっている味噌汁だった。深緑色のわかめに白い豆腐、黄土色の油揚げが入っている。
そして中央に置かれたのは、ケチャップが塗られて茶色い焦げめが引き立つ丸いハンバーグだ。
「お、旨そう。な?」
「うん」
悠希に問われて咲夜は頷く。
「食べられるかなと思って不安だったんだけど大丈夫?」
千里が咲夜の顔を覗き込んだ。
咲夜はニッコリと頷いて、
「はい。大好きです。ハンバーグ」
「そう。良かったわ!」
千里が安心したように笑って言った。
「いただきます」
手を合わせておかずを見つめ、咲夜は箸を手に取った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「美味しかった。お兄ちゃんのお母さんの晩ごはん。あとお風呂も気持ち良かった。ありがとう」
夕飯が終わりお風呂も済ませた後、悠希の部屋で咲夜は言った。
「そう? なら良かった。って、作ったの俺じゃないけど」
タオルで濡れた髪を拭きながら悠希は軽く笑った。
咲夜はふと心配そうな顔をしてそんな悠希に尋ねる。
「本当にいいの? 泊めてもらっちゃって」
「気にするな。母さんのOKさえもらえれば大丈夫。それより咲夜くんの方のお母さんは大丈夫なのか? こっちで勝手に預かってる形になってるけど」
「大丈夫。今は母さんもボクのことなんか気に留めてないよ」
咲夜は頷いて目を伏せた。
「しばらくは家にいたくないから」
さっきよりも小さな声でポツリと付け足す。
「……そっか。まぁ、俺で助けになるんだったらいつでも助けになるよ」
悠希は俯いたままの咲夜をしばらく見つめた後、明るく言ってニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、お兄ちゃん」
咲夜もようやく顔を上げて笑みを浮かべた。
「何か弟が出来たみたいで嬉しいな」
戯けたように照れ笑いする悠希を見て、咲夜も顔を綻ばせる。
「ボクもお兄ちゃんが出来たみたい」
「そう? 一緒だな」
「うん」
頷きながらまた笑みが溢れる。
本当に嬉しかった。今まで一人っ子だったというのもあるのかもしれないが、悠希のように信頼できる人が兄のように振る舞ってくれるのだ。
咲夜にとってこれ以上嬉しいことはない。
「母さんも、あんなハイテンションな感じで暑苦しいけどよろしくな」
「大丈夫。元気な人の方が安心するし」
首を振って咲夜は言う。
悠希の母親・千里とは今日初めて会ったばかりだが、咲夜に気さくに話しかけてくれて、おまけに偶然ではあるが咲夜が好きなハンバーグを作ってくれた。
そして何より、家にしばらく泊めるのを承諾してくれた。
正直なところ、本当は断られると思っていた。
当然だ。突然やってきた見ず知らずの子供をしばらく泊めてほしい、と頼まれること自体がそもそも少ない。
それなのに、千里はあっさり承諾して咲夜を笑顔で迎え入れてくれたのだ。
「お兄ちゃんもお兄ちゃんのお母さんも優しい人で良かった」
思ったことが口をついで出て、咲夜は自分でも驚く。
だがその言葉は本当の気持ちだった。それが悠希にも伝わったのか、悠希は優しく微笑んで、
「母さん、怒ったら鬼になるよ」
とおどけてみせた。
そして頭の上で両手の人差し指を立て、鬼のポーズをする。
その姿があまりにも滑稽で咲夜は声を上げて笑った。笑い転げながらお腹を押さえる咲夜を見て、
「そんなに面白かったか?」
と悠希も苦笑する。
いつまでも笑っていると悠希に失礼だと思い、咲夜は早く笑いを止めようと必死に頑張った。
「ご、ごめんね。つい、面白すぎて」
「いや、いいんだよ別に。笑わせようと思ってやったことだし。でもそこまで笑ってくれるなんてな」
笑い過ぎたのが原因なのか、目尻を拭ってこぼれた涙を拭く咲夜。
これほど笑ったのは人生でも久しぶりかあるいは初めてだろうと思いながら、恥ずかしそうに頭を掻く悠希を見つめる。
そして同時に、これから始まる新しい生活に胸を躍らせていた。
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最近一気に寒くなってきましたね。毎朝布団と戦ってますw 皆さんは風邪など引いていませんか? まだまだ寒い冬が続くので体調にお気をつけて☆
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