悠希の家へ
「お兄ちゃんに頼もう!」
そう独りごちて足を進めた咲夜は、少し行った先で立ち止まった。
よくよく考えてみれば、咲夜は悠希の家を知らない。
夜の六時半頃に都合よく悠希が来るかはわからないが、ひとまずあの待ち合わせ場所の公園に向かう。
以前は道端だったのだが、公園で悠希に相談に乗ってもらって以来、その公園を待ち合わせ場所にしよう、と悠希と二人で決めたのだ。
今日は平日だから悠希が来る可能性は低くない。
来てくれれば泊めてもらえるように頼むし、無理なら一人で野宿をするまでだ。
油性ペンでたくさん落書きがある木製のベンチに腰を掛けて、咲夜は悠希が来るのを待つ。
家を出た時よりも日は沈んでいて、当然ながら気温も下がっていた。
上着も着ずにトレーナーだけの服装のため、風が吹き付ける中は地獄のような場所だ。
自分の肩を抱きながら、咲夜は必死に身体を温める。
まだ悠希が来る気配はない。
寒さに耐えるべく足踏みをして、身体を冷やすまいと努力を試みた。
だが、冬風はそんな咲夜を嘲笑うかのように勢いを弱めない。
公園の外は、この時間帯に関しては珍しく人通りもない。そのため、誰も人気のない暗い公園に中学生がいるなど知る由もないのだ。
「お兄ちゃん……来ないかな」
息を吐いて手を温めつつ、キョロキョロと周囲を伺うが悠希の姿はない。
やはり、こんな都合よく来てくれるものでもない。テレビや漫画でもあるまいし。
そう思って、咲夜は諦めることにした。
「……咲夜くん?」
声をかけられて振り向くと、毛糸の帽子にマフラー、暖かそうな上着を着た青年がいた。
「お兄ちゃん……!」
なんと悠希が、公園に一人でいる咲夜を見つけてか、声をかけにきたのだ。
嬉しさのあまり、咲夜の瞳から涙がこぼれ落ちてしまう。
期待していたことが、期待していたけれど諦めかけていたことが、こうして実現したのだ。
それは奇跡と言っても過言ではないほど驚くべきことだった。
「大丈夫か? こんなに寒いのにどうしたんだよ」
寒さで震える咲夜の肩を抱き、悠希もよっこらしょっと隣に座る。
「もしかして親御さんと喧嘩でもしちゃった?」
「……正解。何でわかるの?」
これまた予想外だったが、悠希には何でもお見通しのようだ。
なぜこんな夜に、咲夜がこんな公園にいるのかも、悠希は一瞬で分かってしまった。
「うーん。何となく。俺もよく家出してたから」
「そうなの⁉︎」
咲夜は予想外の悠希の言葉に驚いて聞き返した。
「うん。まぁね。ちょうど咲夜くんと同じ中一の時かな」
「お兄ちゃんも母さんと喧嘩したの?」
咲夜が尋ねると、悠希は苦笑しながら答えた。
「そんな感じ。本当にしょうもないことだったけどね」
それから、悠希は中学一年生の頃に何があって家出をしたのか、詳しく話してくれた。
悠希が中一の頃、成績があまり伸びず、見かねた母親に注意されたことが原因だった。
だが悠希にしてみれば、ちゃんと勉強も頑張っているのに何故成績が上がらないのかと疑問に思うほどだった。
実際テストの点数も中の上くらいで、ほとんどの科目で平均点以上を取れていたのだ。それにも関わらず、学期末の成績表の数字は三か四だった。
勿論、悠希はしっかり反論した。
自分はちゃんと勉強しているのに成績が何故か上がらない、と。
だが母親には『勉強の仕方が悪いんでしょう』とまた怒られて終わりだった。
自分は絶対に悪くないのにいつまでも怒ってくる母親に嫌気がさして、悠希はついに外に飛び出してしまったのだった。
結局家の外に出られても家の敷地内から出るのになかなか勇気が出ずに、敷地内の車の後ろなどに膝を抱えて座っていた。
ちょうど、今頃と同じ、ニュースで冬の到来が連呼されるような時期だった。
体の芯まで凍りつくような寒さに耐えきれず、急いで家の中に入ったところを母親に見られて笑われたのが懐かしい。
今になると中一で家出も出来なかったなんて弱虫だと笑い話になって、毎年同じような時期が来ると母親の持ちネタと化すのだ____。
悠希は、そんな当時を懐かしむように夜空を見た後、
「何かあったの?」
と、咲夜の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ちょっと……」
咲夜は、悠希の顔を思い切って見られずヘラヘラしながら言う。
さすがに悠希に自分が人を殺していたなんて言えない。
一番見つかりたくなかった母親に見つかった後だが、どうしても悠希には言いたくなかった。
「……隠してたことがバレちゃって」
頭の中で必死に考えを巡らせ、咲夜は何とか言葉を紡いだ。
咲夜の言葉に、悠希は『なるほどな』と頷いていた。
「よくあるよな」
頷きながら悠希は笑った。
「仕方ないよな。親にだって言えないこともあるし。それは全然間違ってないと思うよ」
その言葉が咲夜の胸に鋭く突き刺さった。
悠希が良心からアドバイスをしてくれたのは嬉しいことなのだが、だからこそ本当のことが言えないという状況が嫌だった。
もしも、もしも殺人とかけ離れたごく普通の相談事なら、今すぐ泣きついてでも全て打ち明けていただろう。
「うん……。ありがとう」
地面の一点を見つめながら、咲夜はお礼を言う。
「気にするな。……あ、そういえば家大丈夫、じゃないよな。どうしても家が嫌だったら俺の家に来る?」
「え? ……いいの?」
悠希のまさかの提案に、咲夜は顔を上げて尋ねる。
流石に人様の世話になってしまうのは申し訳ないが、かと言ってこのまま極寒の外に居続けたくもない。
今断れば凍死するのがオチだろう。
「じゃ、じゃ……」
「よし、行くぞ!」
『お願いします』と頭を下げる前に咲夜の腕が引っ張られ、お尻がすっとベンチから離れる。
「え?」
気付いた時にはもう、悠希に手を引かれて夜道を走っていた。
「お、お兄ちゃん」
「大丈夫、気にするな」
悠希は走りながら首だけ振り返ってニコッと微笑んだ。綺麗に磨かれた真っ白い歯が眩しいほど輝いている。
「あ、ありがとう……」
小さな声になってしまったがとりあえずお礼を言う咲夜。
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「着いたぞ。ここが俺の家なんだ」
数分後、悠希がそう言って立ち止まった。
「え?」
見上げると、暗闇でわかりづらいが、壁に窓がたくさんついた一軒家が建っていた。
「すごい……!」
感嘆の言葉が思わず漏れた。そんな咲夜を見て悠希は安心したように微笑む。
咲夜の家と大きさは差ほど変わらないが、人様の家となると少し豪華に感じた。
「どうぞ」
ドアを開けて悠希がエスコートしてくれる。されるがまま『お邪魔します』と挨拶をして、咲夜は家の中へ入った。
「リビングここ」
靴を脱いで玄関に上がった悠希が玄関近くのドアを指差す。
「う、うん」
ドアを見つめる咲夜の胸の鼓動がとてつもないほど速まっていた。
心の準備も終わらない間に、悠希がガチャリとそれを開けて母親を呼ぶ。
「母さん。ちょっといい?」
リビングの奥にあるキッチンにいた悠希の母親がドアのそばまでやってきて、
「あら、友達?」
「友達……っちゃ友達。年下なんだけど」
「も、百枝咲夜です。よろしくお願いします」
悠希の母親____早乙女千里に見つめられ、咲夜はぎこちなくペコリと頭を下げた。
「よろしくね。いつも悠希がお世話になってます。悠希の母です」
ニッコリと仏のような笑顔で千里は言った。
「えーっと」
悠希が頭をポリポリかきながら言いにくそうに、
「咲夜くん、しばらく家にいてもいいかな?」
千里の目が大きなビー玉のように見開かれた。




