迷い
やっぱり、悠希に打ち明けなければいけないだろうか。
咲夜はずっと考えていた。
昨日のことがあって、正直悠希とは顔を合わせづらいが、急に会うのをやめると余計に疑われてしまいそうだったので、仕方なく今日も会う約束をしたのだ。
幸い悠希は怪我の心配をしてくれただけで終わったし、余計な詮索をしていなければもう気にしていないだろう。もしかすると、もう頭にないかもしれない。
そうであることを祈りながら、咲夜は道端へ向かった。
今日も日課が終わった。
終えた後に念入りに腕や脚、顔なんかも確認したが、血は付いていない。
昨日だけのことだと思えば、悠希もこれ以上は聞いてくることもないだろう、と咲夜は安心していた。
時間が経つのを待っていれば、自ずと自然にできた溝も埋まっていく。
はずだった______。
「咲夜くん、昨日の血、のことなんだけどさ……」
終わった。咲夜は絶望感に苛まれた。高い崖から深い谷底に突き落とされた気分だった。
______何で聞いてくるんだよ! 怪我ってことで片付かなかった⁉︎
咲夜は頭の中で、ひたすら『何で? 何で? 何で? 何で?』と自問し続ける。
「大丈夫? あれから俺、ちょっと考えたんだけど……」
______考えるな。
「やっぱり、咲夜くんの怪我としか思えなくてさ」
______それで良い。それで良いんだ。
「あれ、怪我、だよね?」
「ん? あ、あ、あ、当たり前でしょ! け、怪我以外に何があるんだ______何があるの」
思わず口調をキツくしたまま言葉を発しそうになり、慌てて言い直す。
ところが、悠希には鋭い言葉遣いは聞こえていなかったようだ。
「そうだよな。良かった。俺、いっつも考え過ぎちゃうからさ」
安心したように笑顔を浮かべて、ヘラヘラと笑っている。
______その癖、早く直してね。
心の中でたくさん突っ込み過ぎて、咲夜は内心ヘトヘトだったが無理に笑顔を作った。
「そ、そうなんだね」
「で、今日は何話す? 別にもう無かったら良いんだけど」
悠希は、素早く話題を転換してくれた。
______良かった……ありがとう、お兄ちゃん。
心の中でナイス! と親指を立てて安堵の涙を流しながら、咲夜は『うーん』と考える素振りを見せた。
「今日は、別にないかな」
笑顔でそう言うと、悠希も微笑んだ。
「そっか。良かった。俺に相談してくれなくなるのもちょっと寂しいけど、相談事がなくなるのが一番だしな」
悠希はうんうんと満足げに頷いている。
咲夜は悠希に合わせて愛想笑いを浮かべていたが、本当は別のことで頭がいっぱいだった。
______もう聞いてこないよね? 流石にね、大丈夫だよね?
そう、咲夜にとっては、悠希が血のことを聞いてこないかが気がかりだったのだ。
勿論、学校でのいじめはなくなっていないし、出来ることならそれについても相談したいのだが、『じゃあ昨日の血もいじめられてできたのか?』なんて血のことを掘り返されたくなかった。
悠希のことだから心配して、咲夜の親に連絡、なんてことも十分あり得る。
当然、親にも日課のことは言っていないし、学校でのいじめが原因となれば学校が動く。
そうすれば、咲夜の日課の正体が分かるのも時間の問題だ。
それだけは何としても避けたい。咲夜はそう思っていた。
いっそのこと、今日はもうお開きにして、日課がバレない方法を家でゆっくりと考えた方が無難だ。
「あ、あの、お兄ちゃん」
咲夜は思い切って、悠希に声をかけた。
「ん?」
悠希は咲夜の方を見下ろしてくる。咲夜は、勇気を振り絞った。
「今日はもう終わろう。ボク、宿題もあるし。最近、帰りが遅いってお母さんに怒られちゃうんだよね」
本当はそんなことはない。
母親は咲夜がいつどこに出掛けようと気にも留めていないのだから、こうやって夜遅くに男子高校生と道端で喋っていても何ら問題はない。
だが今日は、今日だけは一刻も早く悠希と別れたかった。
いつ昨日の血の話を掘り返されるか、不安で不安で胸が押しつぶされそうなのだ。
「そっか。それは悪かったな。ごめんね」
悠希は両手を合わせて謝ってくれた。
別に何も悪くないのに謝らせてしまったことに、咲夜も『ごめんね』と心の中で謝りながら、
「うん、全然大丈夫だよ」
すると、悠希からこんなことを言われた。
「そうだ。今度から宿題をこっちに持ってきたらどうだ? 宿題しながら、どうしても相談したいことがあるんだったら聞くし。宿題で分からないところも教えるよ」
なるほど、と咲夜は納得しそうになり、慌てて首を左右に振った。
______ってバカバカバカ! そんなことできるか! だって、そもそも日課をやらなきゃいけないし、そこに宿題持って行くなんて考えられないだろ!
咲夜には、悠希と会う前にやっていることがある。
流石に宿題を持ったまま出来ることでもないし、今まで手ぶらで良かったのに荷物が増えてしまうから色々と面倒だ。
だが、ここで断ったら余計に怪しまれる。
悠希のことだから、他人をちょっとやそっとで怪しまないだろう。
しかし、どう考えても宿題を持ってくるのを反対したら、不思議がられるに決まっている。
「か、考えてみるよ」
散々考えた末に、ようやく咲夜はそう言った。
「そっか。分かった。じゃあな」
悠希は咲夜の答えに納得したように頷いて、手を振りつつ去っていった。
咲夜も勇気が見えなくなるまで手を振っていた。
悠希が見えなくなると、咲夜は体の底から絞り出すようにため息をついた。
ずっとヒヤヒヤしたまま悠希と話していたため、ろくに悠希の顔も見ることができなかったし、もしかすると変な返しをしてしまったかもしれない。
終わった後から色々と悪い方向に考えてしまうのも、咲夜の悪い癖だ。
悠希の癖と同じように早く直さなければ。
だがひとまず、昨日の血のことも咲夜の怪我だったということで正式に片付いたし、今のところ心配事はほとんどない。
あるとすれば、アレだけだった。
バレるとものすごく厄介になる。ならその日課を今すぐにでも止めれば良い話なのだが、それをしてしまうとストレスの発散口がなくなる。
そんなことでストレス発散を、と嘆かれるだろう。
しかし、今の______誰のことも信じられない咲夜にとっては、それが最適なストレス発散法だった。
「帰って考えるか」
そう独りごちて短くため息をつき、咲夜は家に戻った。
だが、帰宅する彼を待っていたのは、そんな心配事よりもまずいものだった______。




