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少年院の先輩

(今日のアレ、どういうことだったんだろ……)


 夜、晩御飯を食べ終えて食堂から部屋に戻る道すがら、花奈(かな)はそんなことを考えていた。

 あれ以来大雅(たいが)の方から話しかけてくることもなかったし、花奈も自分からは話しかけなかった。

 別に大雅のことが嫌いになったというわけではないけれど、何となく面と向かって話しづらい感じになっていた。

 大雅は昼、女の子を刺したことがあると言った。

 それはどういう意味なのだろうか。

 言葉通りの意味なのか、それとも他にも何か意味があるのか。


(う〜ん、わかんない……)


 花奈は一人頭を抱えた。

 部屋に向かう入所者達がすれ違い様にそんな花奈を怪訝そうな顔で見ているのには気付かずに。

 ようやく部屋にたどり着き、ドアをガチャリと開ける。

 だが、部屋の中に大雅の姿はなかった。


「あれ? どこに行ったんだろ。大雅くん」


 花奈は部屋の中をキョロキョロ見回したが大雅はいない。


「あ、そういえば」


 散々探した挙句、夜ご飯の時間に院長が男子の入浴時間は夕食後すぐという話をしていたことを思い出した。

 なら今は大雅は入浴中だ。


「よかった、どこかに行っちゃったのかと思った……」


 花奈は安堵の溜息をついた。

 というのも、花奈が勝手に先走って院長が話していたのを忘れていただけなのだが。


「ふぅ」


 静かに息を吐いてベッドに腰をかける。

 布団はもうすでに敷かれていて、座り心地が抜群だった。

 体重をかけるとその重みで浮き沈みするふわふわの掛け布団。

 花奈はしばらく布団のフワフワ感を楽しんだ。

 そしてふと、昨日の大雅の言葉を思い出した。


「大雅くん、その女の子を刺したからここに来たのかな」


 でもわざわざ自分が犯した罪を、会ったばかりだった花奈に暴露したのは一体なぜなのか。


「お風呂、女子の番だよ」


 ガチャリとドアが開いて、大雅がタオルで髪の毛を拭きながら入ってきた。


「あ、う、うん!」


 花奈は急いで返事をして、あらかじめ用意しておいた洗面用具を片手に部屋を飛び出した。

 なぜか、大雅に心を見透かされてしまいそうな気がして怖かったのだ。

 ガチャンと半ば乱暴にドアが閉まる。

 大雅は閉まったドアを黙って見つめていた。


 ※※※※※※※※※※


「はぁ……何か、逃げちゃったみたいで申し訳ないな……」


 脱衣所に着いてから、花奈はまたため息をついた。

 花奈が勝手に驚いただけであって大雅には全く関係ないことだった。

 気分を害してしまったのではないかと思うと気が気でない。

 とにかく今は入浴を済ませなければと自分を奮い立たせ、花奈はロッカーの前に移動する。

 ロッカーは薄い黄緑色で花奈の背丈より少しだけ高かったが、背伸びをしなくても届く高さだった。


「ねぇ」


 花奈が服を脱ぎ始めていると、不意に声をかけられた。


「は、はい!」


 思わず敬語で返事をしてしまう。

 いつのまにか横には黒い長髪の少女がいた。

 大人びた雰囲気を醸し出すその少女は、花奈よりも年上に見えた。

 長いまつ毛にパッチリとした大きな目。

 すらっと伸びた長身は花奈よりもずっと高い。

 そのため、声をかけられて反射的に横を向いた花奈の目には、ボンっと効果音が出そうなほどの大きな胸が飛び込んできた。


(あわわわわわ……!)


 思わず手で顔を覆ってしまう。


「ん? どうしたの?」


 少女はなぜ花奈が恥ずかしがって顔を隠しているのか分からずきょとんとした。


「あ、いえ! 何でも、ないです……」


 顔を赤らめたまま顔を伏せる花奈。

 流石に「あなたの巨乳を見て恥ずかしくなって……」なんて初対面の人相手に言えるわけがない。


「あなたが新しく入ってきた子?」


 少女は何事もなかったかのように尋ねてくれた。


「は、はい」


 花奈は少女を見上げてぎこちなく頷く。

 緊張してしまって上手く言葉が出てこないのである。


「そうなんだ。よろしくね」


「はい! よろしくお願いします!」


 花奈はそう言って深々とお辞儀をした。


「え!? いいのに、お辞儀なんて」


 少女は笑って言い、自分も服を脱ぎ始めた。

 彼女の巨乳を直で見てしまいそうになったので、


「さ、先に入ります!」


 と言って花奈は足早にお風呂場に入った。


「意外だった? ここ」


 鏡の前で並んで座って髪を洗っている途中、少女が尋ねてきた。


「え?」


「いや、もっと刑務所みたいな所を想像してたのかな〜って思って」


「あ、そ、そうです!」


 花奈はブンブンと首を縦に振る。

 もう少女の巨乳にも慣れてきて普通に彼女の方を向けるようになっていた。


「やっぱり。私もそうだったんだよね」


 少女の目が輝いた。

 やっぱりみんな同じような想像してたんだな、と花奈も安心する。


「そうなんですね」


「もう、敬語じゃなくていいのに。……同い年だよね? 私高二なんだけど」


「あ、私、高一です」


「そうなの!? 一個下かぁ、てっきり同い年だと思ってた」


 少女は明るく笑った。

 年上に見られたということは少し大人っぽくなったのだろうか。

 そんなことを考えて花奈は少し嬉しくなる。


「じゃあどっちでも良いよ。敬語の方が良かったら敬語で全然いいし、途中で変えたくなったら遠慮なく」


「はい!」


 女の子の言葉に花奈は元気よく頷いた。


「私、日向(ひゅうが)未央みお。あなたは?」


 シャンプーとリンスの泡だらけになっている長髪を器用にシャワーで洗い流しながら、未央が尋ねた。


百枝(ももえ)花奈(かな)です!」


「花奈ちゃんか、よろしくね」


「よ、よろしくお願いします! 先輩!」


 言ってしまってから花奈は慌てて口を塞いだ。


「あ、す、すみません!」


 つい最近まで高校に通っていたせいで年上と聞くと癖で先輩と呼んでしまった。

 初対面の人にそんなことを言ってしまっては、失礼な気がする。


「え、良いよ? 別に先輩でも。うわぁ、何か久しぶり」


 でも未央は気にすることなく、逆に先輩と呼ばれたことを懐かしむように笑った。


「そうなんですか?」


 花奈はおそるおそる尋ねる。

 ここからはあまり聞かない方がいい気がしてきたからだ。


「うん。私、中学の時にここに来たから、もう先輩なんて呼ばれるの三年ぶりだよ」


「す、すみません、昔のこと思い出させちゃって……」


 花奈が謝ると未央は笑って言った。


「いいよいいよ! 気にしないで! そんなに嫌じゃないし」


 未央の言葉に花奈は俯いた。

 今高二の未央が三年前に来たということは、当時の未央は中二だ。

 今の花奈よりも幼い時にここに送られたのだと思うと、少し可哀想だった。

 勿論罪を犯しておいて可哀想という考え自体がおかしいのかもしれないということはわかっているが、それでも未央が苦労してきたことが容易に想像できたのだ。

 それに、こんなに優しい未央が犯罪を犯すような真似をするはずがないように思えた。

 もしかすると無実の罪を着せられて連れて来られたのかもしれない。

 そうだとするとその苦しみがよくわかる。

 もし未央が悩んでいるなら助けになりたいと花奈は思った。


「お風呂入ろう」


 未央が顔を洗い終わって立ち上がり花奈に言った。

 だが、花奈は俯いたまま座っていた。


「花奈ちゃん」


 未央は優しく呼びかける。

 それでも花奈は気付かない。

 何か考え事をしているのかと未央は思った。


「花奈ちゃん」


 もう一度優しく呼びかけ、花奈の肩をポンポンと叩く。


「あ、はい!」


 肩を叩かれた花奈は弾かれるように立ち上がった。


「お風呂、入ろう」


 そんな花奈を見て未央は声を出して笑って言った。


「はい!」


 花奈は返事をして未央と一緒に湯船に向かった。

 ジャーッと桶でお風呂のお湯を掬って身体にかけ、湯船に入ろうとする。


「熱っ!」


 まるで温泉のような熱さに花奈は驚いて入れようとしていた足を引っ込めた。

 未央はそんな花奈を見てまた笑った。


「最初は熱いよね〜。私もそうだったもん」


 そう言いながら未央はいとも簡単に湯船に足を入れて浸かる。


「あ、熱くないんですか?」


「もう慣れた」


「す、すごい……!」


「すぐ慣れるよ」


「は、はい!」


 いくら熱いとはいえ、やっぱり湯船には浸かりたい。

 そのためにも頑張ってこの熱さに耐えなければ!

 花奈はしばらく湯船を見つめた後、意を決して右足を入れた。


「えいっ!」


 途端に身体の芯からじわじわと来る熱さに襲われ、また足を引っ込めたくなるがそれをグッと堪える。

 しばらく右足を入れたままの状態でいると、自然とその熱さにも慣れてきた。

 おそるおそる左足も入れる。今度はそんなに熱くない。

 花奈はゆっくりと慎重に湯船に浸かった。


「はぁぁぁぁ〜」


 思わずため息が漏れる。

 ようやく湯船に浸かれた安心感とお風呂の気持ち良さも相まってまさに極楽だ。

 気持ちよさそうに少年院での初めてのお風呂を満喫している花奈を、未央はまるで子供を見守る母親のような優しい表情で見ていた。

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