大雅の標的
やがて時は過ぎて、夏の音が聞こえてくる季節になった。
悠希は通学路を歩きながら、謎の高校生・陰陽寺大雅のことを考えていた。
随分前に感じた彼の冷たい視線や自分以外の人間を誰一人として近づかせないオーラ。
悠希はどうしても、大雅がごく普通の高校生だとは理解できずにいた。
学校の校門をくぐり、靴を履き替えて教室に入る。すると、クラス内が何だか騒がしかった。まるで大雅が転校してきた初日の朝のように。
「また何かあるのか?」
悠希が茜や早絵に尋ねると、茜が答えた。
「何か今更になって、みんな転校生の悪口言ってる。態度が悪いだとか何とか」
「皆、今までは普通にしてたのに急にどうしたのかな」
早絵が心配そうに言う。
「……俺も実は同じこと思ってたんだ」
「悠希くんも!?」
早絵が驚いた口調で言った。
「ごめんな、早絵の前でこんなこと言うのもアレなんだけど」
「ううん、大丈夫」
悠希は慌てて謝った。早絵は気にしていない素ぶりを見せていたが、悠希には早絵が我慢しているのが感じ取れた。悪いことをしたな、と悠希は少し反省した。
「そう言えばさ、今日はあの人来てないんだね」
不意に茜が大雅の席を見ながら言った。
そこに大雅の姿はなかった。
いつもなら頬杖をついてボーッと窓の外を眺めているのだが。
「そうだな」
悠希も少し心配になる。転校してきて以来、誰とも関わろうとしなかったものの、大雅は学校には欠かさず毎日来ていた。
ましてや、もうすぐ朝礼が始まる時間帯だ。今の時間で来ないとなると、今日は欠席だろうか。
「来ない方がいいんじゃねぇの?」
急に後ろから声がして悠希たちが振り向くと、さっき来たのか龍斗が同じように大雅の席を見ていた。
「どういうこと?」
茜が聞くと、龍斗は少し場が悪そうな表情で言った。
「いや、だってさ今みんなあいつの悪口言ってるわけだろ? それを聞かなくて良かったんじゃねぇのかなって思って」
「確かにそうだな」
悠希も相槌を打つ。
「俺も100%あいつの味方にはなれねぇけど」
龍斗は小声で呟いた。
教室にはどことなく重い空気が漂っている。
悠希が見ると、さっきまで騒いでいたクラスメイト達も黙って俯いていた。
大雅の話題でこれだけ空気が重くなって誰も彼をよく思っていない___少なくとも早絵以外は___この状況は確実に大雅がただ者ではないということを示している。
悠希は少し嫌な予感を覚えながら空気の重くなった教室に佇んでいた___。
※※※※※※※※※※※※※※※
放課後、教室には悠希達四人以外誰もいなかった。今朝の重い空気のまま一日が終わった。
「何か、あんまり授業にも集中できなかったな」
龍斗が呟き、他の三人もそれを聞いて俯く。
しばらく沈黙が流れた。
このまま黙っていてもラチがあかない。そう思った悠希がそろそろ帰るかと言おうとしたその時。
「欠席者用のファイル……先生が持ってるんだっけ」
唐突に早絵が口を開いたので、悠希は顎を引いて応えた。
「そっか。じゃあ私取りに行ってくるね」
「何で?」
茜が聞くと、早絵は少し笑って言った。
「今日もいっぱい宿題出されたし、陰陽寺くんに届けてあげなきゃ」
「早絵……」
「大丈夫だよ、悠希くん。そんな顔しないで。別に私無理してるとかそんなんじゃないし。ただ、陰陽寺くんが困ってたら嫌だから」
早絵はあくまでも静かに、だがしっかりとした意思が感じられるそんな口調で言った。
「私、陰陽寺くんに宿題届けてくるね」
「大丈夫? 何かちょっと危ない気がするんだけど」
「大丈夫だよ。宿題届けるだけだもん」
心配そうにする茜に、早絵は優しく微笑んだ。
「気をつけろよ」
龍斗が、教室を出て行く早絵に声をかける。
早絵は頷くと、にっこりと微笑んで去っていった。
「大丈夫かな、早絵」
茜が教室のドアを見つめながら、不安そうに言った。
「ああ。大丈夫だ。早絵なら」
「そう、だね」
「……帰るか」
悠希達は、後ろ髪を引かれる思いで学校を後にした。
窓から差し込む橙色の夕陽が、校舎を眩しく照らしていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
その頃、早絵は月影先生から教えてもらった大雅の家の前にいた。
悠希達の前では、あんなに格好つけて強がった風に見せていたが、いざ一人で来ると緊張が増す。
(大丈夫。陰陽寺くんは皆が思ってるような悪い人じゃない)
早絵はそう自分に言い聞かせ、無意識に唾をゴクリと飲んで、インターホンに手を伸ばす。
ブツリと電話が切れるような音がしたので、早絵は緊張を抑えて言った。
「陰陽寺くん? 古橋です。しゅ、宿題を届けに来ました」
大雅からの返事はないため、早絵は少し待つことにした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
家の中では大雅が広げたアルバムをバタンと閉じて不気味な笑みを浮かべていた。
ついに、この時がやってきた……と。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
暫くするとドアが開き、大雅が顔をのぞかせた。
「あ、陰陽寺くん! ごめんね、急にお邪魔しちゃって。あ、住所は月影先生に聞いたの。それもごめんね、勝手に」
「大丈夫」
早絵は大雅と目が合うと、半ば焦りながらも制カバンをあさって宿題を取り出した。
「はい、これ。今日の宿題」
「ありがとう」
「うん。あ、じゃあ私はこれで。お邪魔しました」
早絵は挨拶もよそに、自分の家へ帰ろうとした。
その背中に、大雅は声をかける。
「お礼がしたい」
「え?」
「宿題、届けてくれたから。中入って」
「あ……え? 良いの?」
コクリと頷く大雅。
早絵は少し戸惑ったが、大雅と仲良くなれるチャンスだと思い、中に入ることにした。
大雅の部屋は電気がちゃんとついていて部屋のものも綺麗に整理してある。片付けが苦手な早絵にとって理想の部屋だった。
「すごいね」
「そう?」
早絵に言われても、大雅は無表情のまま。
「うん!」
大雅と違って、早絵は目をキラキラと輝かせながら頷いた。
「何で?」
大雅が尋ねると、早絵は少し顔を赤らめて、
「だって、私の部屋すっごい汚いし……あ、こんなこと言うの恥ずかしいんだけど」
「そっか。別に良いと思うよ」
「そ、そうかな」
「うん。その方が何かと便利だよ」
早絵にはその言葉の意味が分からなかった。
だが大雅にとって今発した言葉は非常に大きな意味を成している。だから綺麗に片付けてしまったことを悔やんでいた。
(まぁ、何とかなるはずだ)
そう自分に言い聞かせて、大雅は改めて早絵をまじまじと見つめた。
早絵は大雅がこちらを見ているのにも気づかず、綺麗で自分にとって理想な部屋を目を輝かせている。
「あ、ねぇ、これって」
不意に早絵に呼びかけられて、大雅が我に返ると早絵がアルバムを指差していた。
「中学校のアルバム」
「へぇ、そうなんだ」
早絵は興味津々と言った表情で、アルバムの表紙を見つめていた。
それを見て、大雅がそっと声をかける。
「見てもいいよ」
「本当に? ありがとう!」
そう言うと早絵はアルバムに釘付けになった。ページをペラペラとめくりながら、時折大雅を見つけては嬉しそうな笑顔を浮かべている。
(何がそんなに面白いんだ)
大雅には、早絵がなぜ楽しんでアルバムを見ているのかが分からない。
そのアルバムに大雅はほとんど写っていないのだ。大雅にとっては封印したい過去であり黒歴史だった。
それを目の前の早絵は楽しそうに見ている。少々腹立たしいが好都合だった。
そして大雅は何かを決意したように早絵に言った。
「ねぇ、それさ、やっぱり見ないでほしい。僕の黒歴史だから」
「あ、そっか、ごめんね! 勝手に家に上がり込んでアルバムまで見ちゃって……」
「先生から聞いたんだけど、クラスで君だけなんだってね。僕のこと悪く思ってないの」
「あ、うん。だってそうじゃない。陰陽寺くんは何も悪くないし。私、どうしてもあなたのこと悪く思えなくて」
「そうなんだ……」
「うん。ごめんね、いらないお世話だよね」
「……そうだね」
そこまで言うと大雅は早絵の手から奪い取るようにしてアルバムを机の引き出しにしまった。そして、早絵とは目を合わせず背を向けて立つ。
「どうしたの? ……あ、もしかして気を悪くしちゃった? ごめんね、私空気読めなくて。早く帰るね」
早絵は急いで立ち上がろうとしたが、
「大丈夫。帰らなくていいよ」
「あ、……うん、分かった」
大雅の言葉を聞いて、もう一度床に座る早絵。
「君ってさ、僕がどんなことやっても悪く思えないんだよね?」
「……うん。流石にどんなことでもって言われると例外もあ……」
『例外もあるけど』
早絵がそう言おうとしたのを防ぎ、
「じゃあさ」
大雅は早絵の言葉を遮って机の引き出しからアルバムを引っ張り出すと、ペラペラとページをめくって最後のページを早絵に見せた。
「これ、どう思う?」
早絵はそのアルバムの写真を見た。そこには辺り一面焼け野原となり、所々崩れた校舎らしき建物が写っていた。
「これって……」
「僕が行ってた中学校、事件に巻き込まれて、爆弾、みたいなものでめちゃくちゃにされたんだ」
「ひどい……」
早絵は思わず顔を歪め、口を両手で覆った。
「これね」
「うん」
不意に電気がパッと消えて辺りは真っ暗になり、早絵は驚いた。
「え? 停電? ……お、陰陽寺くん、大丈夫? 懐中電灯とかあると良いんだけど」
懐中電灯を探すため動こうとする早絵を、制止するように大雅が言った。
「動かないで。大丈夫。僕が見つけるから」
「わ、分かった」
大雅は鋭く光る何かを手に持ち、ゆっくりと早絵に近づいていく。
「こんな時なんだけど、さっきの話の続き、してもいい?」
「う、うん」
「その爆弾事件ね____」
「うん」
大雅はついに、早絵の真後ろに到達した。手に持っている何かを早絵の方に向け、耳元で囁く。
「僕がやったんだよ」
大雅の言葉と同時に鈍い音がして、続いて何かが倒れるような強い衝撃音が大雅の真っ暗な部屋に響いた。
大雅は、あの不気味な笑みを浮かべて佇んだ。
カーテンから溢れる月明かりが差し込む部屋の中。
そこには大雅のシルエットしかなかった。
代わりに、側に横たわった人間のようなシルエットがあった___。