これでいける
どれくらいの時間が経っただろうか。
学校の校庭に「何か」が横たわっている。
悠希だった。
あれから何時間も経過したはずだが、悠希の意識はまだ戻っていない。
※※※※※※※※※
『どうする? 逃げないと死ぬけど』
暗闇の中で声がした。
『死ぬ…? どういう事だ…』
悠希は消え入りそうな声で問いかける。だが返答はない。
『そっか。じゃあ心中だね』
また声がした。声の主は同じように聞こえるがさっきとは全く違うことをしゃべっている。
『心中……?』
心中なんてしたくない。
悠希はうっすらと目を開けようと試みる。
重いまぶたはなかなか開かず、目の前がぼやける。
だが暗闇からは抜け出せた。
と、安心したのもつかの間だった。
ぼやけた視線の先にぼやけた「何か」が見える。
黒色と肌色。
人の顔だろうか。
悠希がそんなことをぼんやりと考えていると、目の前の「何か」が徐々にはっきりと現れてきた。
目。鼻。口。
そうやって現れたのは大雅の顔だった。
※※※※※※※※※
「陰陽寺!」
悠希は思わず叫んで飛び起きた。
そこには校庭の砂が広がっていた。
気がつくと大雅もいない。
暗い広い校庭に悠希はポツンといた。
「夢……か?」
辺りを見回していると、急に頭に激痛が走る。
「痛っ!」
慌てて頭を抑える。後頭部のあたりがズキズキと痛い。
おそらく爆風で飛ばされてこの校庭に落ち、後頭部を打ち付けたのだろう。
「くそっ……。あ、そうだ! 陰陽寺……」
悠希は頭を抑えながらゆっくりと立ち上がる。
「どこに行ったんだ……」
大雅の居場所に思いを巡らせながら、悠希は同時に自分が大雅を探そうとした瞬間に吹き飛ばされたのを思い出した。
そしてその前後も全て。
「あいつ、まだ中にいるかもしれない……!」
悠希はズキズキと痛む頭を抑えながら、出来るだけ頭に響かないようにゆっくり慎重に校舎の方へと足を進めていった。
※※※※※※※※※※
夜も更けて、頼れる明かりは学校の近くの照明と月の光だけだった。
それでも光がない真っ暗な所よりは断然マシだ。
僅かな光に照らされた校舎が浮かび上がってくる。
それを見て悠希は絶句した。
校舎の一部分は完全に焼失していて、黒い焦げが西棟の壁全体に広がっている。
昨日までの高校が嘘のようだった。
一瞬にしてこんなに変わるものなのかとひしひしと痛感した。
また大雅に対する憎悪が蘇ってきそうになって、慌てて深呼吸をし、心を落ち着かせる。
(ダメだ……。今腹を立てたって意味がない。ちゃんとあいつを探さないと)
悠希は改めて校舎を見上げた。
たしかに西棟の焦げはひどかった。
だがそれ以外に爆発したような様子はない。
「陰陽寺のやつ、あれから爆破してないのか?」
悠希は学校が全焼していないことに安堵のため息をついた。
『じゃあ心中だね』
さっきから燃え盛る体育館の中で大雅が呟いていた言葉が脳内をぐるぐると巡っていた。
心中とはどういう事だろう。
勿論他人と一緒にその命を絶つ行為だということは悠希も理解している。
でもどうして大雅は心中をしたがるのか。
悠希は色々と考えるが、考えれば考えるほど頭が真っ白になるのを感じた。
どうも腑に落ちない。てっきり大雅は学校を燃やして楽しんでいただけだと思っていたのだ。
どれだけの犠牲が出ても罪悪感の一つも抱かない、心無いやつだと思っていた。
だが、もしかしたら違うかもしれない。
容赦なく燃やして破壊していく自分に、それを何とも思わない自分に、何をやっても報われない自分の人生に嫌気がさしたのだろうか。
だからこそ、ここを燃やすという建前で心中を選ぼうとしているのでは……?
「いくらあいつが悪いことしたからって、死んでいいわけないだろ!」
死んでほしくない。生きてほしい。
生きて自分の罪を償って普通の高校生に戻ってほしい。
そしてたわいない世間話をして盛り上がりたい。一緒に笑いたい。
そんなことを考えながら、ふと気づくと悠希は校内に入る途中の階段の前に来ていた。
いつもなら三分足らずでいける距離なのにズキズキと繰り返す頭の痛みと考え事のせいで十分くらいかかっているのではないだろうか。
「くそっ!」
悠希は力強い音を立てて階段の手すりを拳で叩く。
悔しかった。大雅を止められなかったことが。自分の力のなさが。
最初に早絵を刺されたあの日から、完全に悠希は「色眼鏡」をつけて大雅を見ていた。
絶対にこいつは性格も神経もひん曲がった最低なやつだと思っていた。
実際、大雅は爆発を起こして校内を混乱させた。それは決していいことではない。
だが、その行動に裏でもしかしたら命を終わらせようという決意があったのかもしれない。
だから爆弾を爆発させて悠希を校外に出し、自分だけで命を絶とうとしているのではないか。
(待てよ……)
そこで悠希は疑問を持った。
大雅が死にたいと思っているのならなぜ早く火をつけて学校を燃やさなかったのだろう。
確かに悠希は燃やすことを止めさせようと必死に説得した。
あの時の大雅は聞く耳を持たなかった。
ただ懸命に叫ぶ悠希を嘲笑い、馬鹿にしていただけだった。
それがあの時だけは違ったように感じた。
あそこで爆発を起こしたのは、
「俺を助けるため、だったのか……?」
いつ大雅の中で心変わりがしたのかわからない。
だが、だからこそ死んでほしくないと悠希は思った。
そのためにも動きづらい身体をどうにかして動かして一分でも一秒でも早く大雅を助けなければいけない。
(ん?)
悠希はあることに気づいた。とっさに叩いた手すりに水滴がついていた。
(何でだ?)
悠希の拳にも少しだけその水滴はついていた。
(そうか!)
悠希は空を仰いだ。
(雨だ!)
今でこそ雲一つなく、満天の星空と鋭く光る三日月が浮かんでいる空だが、悠希が意識を失っている間に雨が降ったのだ。
だから校舎の全焼を免れたに違いない。
悠希は心の底から安心した。
心なしか、足も少し軽くなったように感じる。
「これなら行けるぞ!」
悠希はまだ少し動かしづらい両足を力いっぱいあげながら、一段一段ゆっくりと階段を上っていく。
ようやく目の前に下駄箱のスペースが見えてきた。
おそらく大雅はまだ生きている。校舎のどこかにいるはずだ。間に合う。今からでも間に合う。
「待ってろ、陰陽寺。一緒に帰るんだからな」
ついに階段を上りきった。あとは大雅を探すだけだ。
悠希は苦笑してしまう。
「ていうか、最初もあいつのこと探して学校中周ったのに、また探さなきゃいけないのかよ」
思わずひとりごちるが、内心は嬉しかった。大雅を助けられる。
玄関に入り上靴に履き替えて、悠希は大雅を探しに向かった。
普段ならきっちり揃える靴を脱ぎ散らかして。
※※※※※※※※※※
暗闇の中で大雅は目を覚ました。
いつのまにかすっかり熟睡していたようだ。
窓の外を見ると、真っ暗で何も見えない。
ただ、星と月が光っているだけだった。
「雨、止んだな」
ポツリと呟き、机に置いていた懐中電灯を照らして電池の減りを確かめる。
「大丈夫だな。まだ使える」
そしてポケットをごそごそと探り、中からマッチの箱を取り出す。
同時に制カバンも漁り、爆弾の残り数を確かめる。
「残り3個か……」
もともと大してお金も持っていなかったから最初に用意できた爆弾も多くはなかった。
だがこれで充分だ。
「……三個もいらなかったな…。一緒に燃やすか」
またポツリと呟き、もう一度、窓の外を眺めてみる。
さっきと景色は変わっていない。
だが大雅にとっては非常に大事な景色だった。
「三日月と星空のある夜に逝けるなんて……最後の最後で恵まれてるみたいだ」
大雅は制カバンの中から爆弾を一個取り出して、しばらくそれを見つめた。
「本当に、逝くんだな……」
名残惜しそうに聞こえるかもしれないが、大雅には残念な気持ちなど微塵もない。
ただ実感が湧かないだけだった。
※※※※※※※※※※
「どこにいるんだ、陰陽寺……」
悠希の歩くスピードはゆっくりだが、前と状況は変わらない。
相変わらず大雅がどこにいるか見当がつかなかった。
屋上にはいなかった。
だから校舎内の教室のどこかに決まっていた。
諦めるな、諦めたらそこで終わりだ。
悠希がそう自分に言い聞かせていたその時だった。
バーーーーーン!!!
地響きが起こるような大きな音が聞こえてきた。
心臓が止まりそうになるくらい驚いてしまう。
『心中だね』
また大雅の声が聞こえた気がした。
「まさかあいつ……!」
悠希は反射的に走った。
もう身体が動かしづらいとか、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
大雅を助けなければならない。
爆発が聞こえたのは、悠希たちのHR教室の方面からだったような気がする。
とにかく行かなければ!
悠希は渾身の力を込めてHR教室へと走って行った。
鋭く光っていた三日月が、いつのまにか現れた雲に隠れて輝きを少し失っていた。




