父と娘。新たなスタートへ
バンッ! と、耳をつんざくような発砲音が応接間に木霊した。
悠希も千里も、思わず目を瞑って麗華から顔を背けた。
次に目を開けた時には、目の前にはきっと頭から血を流した麗華が倒れているはずなのに。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
今にも途切れそうな、荒い息遣いが聞こえてくる。
悠希はそっと目を開けた。
煙をあげる拳銃の銃口が、確かに銃弾が発射されたことを物語っていた。
そしてその向かい____悠希にとっては左側、千里にとっては右側には、麗華が。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
目を見開き、肩で息をしながら正面を見据えて立っていた。
麗華が、立っていた。
____生きていたのだ。
「麗華ちゃん……!」
悠希は思わず声を漏らしながら、麗華の方に駆け寄っていった。
「良かった、無事で」
同じくして駆け寄った千里も、涙を流しながら麗華の肩を抱く。
「は、はい……」
しかし麗華は自分が死なずに済んだというのに、目を見張ったまま驚いたような表情をしていた。
「麗華ちゃん?」
悠希は麗華の表情を見て不思議そうに問いかけ、麗華が見つめる先に視線を移した。
そして、同じように目を見張った。
銃口から煙をあげている拳銃。
確かに銃弾は発射されていた。
しかしその銃口が天井に向けられていたのだ。
否、銃口を天井に向けたのは和泉ではない。
和泉に麗華を撃たせなかった張本人たちが居たのだ。
彼の手首を握って銃口を天井に向けている長髪の少女、和泉に抱きつくようにして腰に両手を回して掴んでいる短髪の少女。
「蓮美……! 神楽……!」
悠希はその張本人達を目にして、思わず声をあげた。
「ふぅ、何とか間に合いましたね」
天井に向けた銃口を見つめながら、蓮美は安心したように息を吐く。
「良かった良かった~。ね、すみちゃん♪」
和泉に抱きついた状態でも構わず、神楽は嬉しそうに笑って蓮美に言った。
「そうですね、ぐらちゃん」
顔を見合わせて笑い、そして蓮美と神楽は脱力したように床に尻をつけた。
「おま……あなた達は……」
目を見開いた和泉は、突然現れた彼女達に呆然としていた。
地下組織の代表・森の側近である二人には、たとえ副代表の和泉でも簡単に逆らうことは出来ないのだ。
組織の中では、副代表よりも代表の側近の方が立場が上になる。
だから和泉は蓮美と神楽の呼び方を変えたのだ。
「どうも~♪ お久しぶりで~す♪」
神楽は和泉の腰に手を回したまま、彼を見上げて茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
「あ、あの、これでも私、組織の副代表なんですけど。何で私が止められないといけないんでしょうか」
頬に汗を浮かべながら、和泉は尋ねる。
地下組織としての行動の範囲内ならば発砲も禁止されてはいないのに、と。
「あなたはもう組織の副代表ではありません。したがって、外部での発砲は禁止です。掟を忘れたのですか?」
しかし蓮美は和泉に厳しい視線を向けながら、まるで説教のように問いかける。
「い、いや、その……」
口ごもる和泉を尻目に、蓮美はすました表情で続けた。
「組織に加入している時は外部での発砲も許されます。でも、もうそれは叶いませんよ」
「それは……どういう……」
次から次へと蓮美の口から告げられる言葉に、和泉は目を白黒させる。
蓮美は少しだけ口角を上げながら目を瞑った。
「もう組織は壊滅しました。何せ、代表とその側近がお縄にかかりましたからね」
「えぇっ!?」
和泉は目を丸くして驚きの声を上げた。
神楽はムフフと笑いながら体勢を立て直し、爪先立ちで和泉の眼鏡をコツンと指でつついて、
「だから、これがぐらちゃん達の最後の任務です。地下組織の副代表だった一般男性が、警察に拳銃を向けて公務執行妨害をしていると聞いたものですから、止めに来たのです」
誇らしげに胸を張る神楽。
「く、くそっ……」
和泉は悔しげに舌を鳴らし、やがて大人しくなった。
「確保ぉ!!!」
悠希の背後で叫び声がして、悠希が思わず耳を押さえて背後を振り返ると、足をブルブルと震わせた黒川が和泉に向かって走り寄った。
カチッという軽快な音と共に、和泉の手首に手錠がはめられる。
それから黒川は蓮美と神楽を見ると、
「ほら、二人も早く拘置所に戻って」
「は~い、失礼しましたぁ~」
「分かりました」
和泉を立たせた黒川は、先に蓮美と神楽を行かせた。
二人も任務を終えて満足げな表情で応接間を出ていこうとする。
「蓮美! 神楽!」
しかし悠希に呼び止められて、二人はその足を止めた。
「何ですか」
蓮美が首だけで振り返って悠希を見つめた。
もう神楽に向けていたような柔らかな笑みは消えていた。
神楽も不思議そうに悠希を見つめている。
悠希は二人に笑顔を向けてから、頭を下げた。
「ありがとう。麗華ちゃんを助けてくれて」
「あ、あの、ありがとうございました。本当に助かりました」
麗華も慌てて頭を下げる。
それを見た蓮美と神楽は顔を見合わせると、
「あくまでも任務の一貫ですから」
「そうそう! もう任務は出来ないけどね~誰かさんのせいで~」
そう言って、再び悠希と麗華に背を向けて歩いていった。
「さ、拘置所に戻るぞ」
黒川が和泉の手を引き、千里に向かって頷いてから応接間を出ようとすると、
「待ってください!」
高い声に黒川が足を止めると、麗華が和泉____父を見つめていた。
「お父さん、罪を償ったらまた一緒に暮らしましょう。今度は二人だけの家で」
麗華の言葉に、和泉は訝しげに眉をひそめた。
まるでそれを拒絶するかのように。
しかし麗華はそれに屈することなく、父に笑顔を向けた。
「私、楽しみにしてるから」
初めて敬語ではない普通の口調で話した娘に、和泉は思わず目を見張った。
そして俯いて床を見つめると、麗華に背を向けた。
その動作に、麗華は残念そうに眉尻を下げる。
口を閉じてうなだれる麗華だったが、
「……分かった」
次に発せられた父の言葉に、弾けるように顔を上げた。
和泉は麗華に背を向けたままで、麗華に表情は読み取れない。
しかし、麗華は満面の笑みを浮かべて言った。
「絶対だよ、お父さん」
声を震わせる麗華の目から透き通るような涙が溢れ、頬をつたって零れていく。
今度は和泉は何も答えずに、黒川に連れられて応接間を出ていった。
扉が閉まったその前で、麗華は喉を詰まらせながら、止めどなく流れる涙を袖で必死に拭っていた。
その様子を見て、悠希と千里は優しく微笑み合った。
後日、拘置所に居たはずの和泉が何故応接間に行くことが出来たのか、その謎が明らかになった。
実は拘置所の警官に扮した組織のメンバーがもう一人居て、その男が和泉を拘置所から脱出させたという。
取調べに向かう際にそれを目撃した蓮美と神楽は、警官に扮した男を代わりに取調室に閉じ込めて、自分達も記者会見が行われていた応接間に向かったのだそうだ。
警官に扮した男の処分もすぐに決定し、和泉と共に仲良く囚われの身となった。
組織のメンバーが潜り込んでいたことに、正直千里も黒川も懲りない男達だと呆れ果ててしまった。
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かつてその行動から世間に『破壊者』と呼ばれていた少年二人が、地元警察署から感謝状を贈られたというニュースは、瞬く間に話題になった。
様々なニュース番組で取り上げられ、彼らがしっかりと反省していることもコメンテーターの口から語られた。
それにより、『破壊者』という言葉に似合わないと少年達のイメージは大きく覆された。
また、記者会見終了後の和泉の乱入は報道されることなく、警察の上層部によってもみ消された。
程なくして、元々感謝状授与式が終わるまでの予定だった大雅と咲夜の外出期間は終了した。
二人は新たな少年院の院長に連れられて、今までとは別の少年院で本来の入院期間が終わるまで過ごすことになった。
そして月影先生は、悠希と龍斗が千里に打ち明けるよりも早く、自ら罪を告白していた。
千里と黒川は何かしらの罰を与えるべきか迷ったが、彼女も体を張って学校を守ってくれた一人だということを尊重しようという決断を下した。
彼女についての処分は、追って連絡されることになる。
また、森の側近を務めていた蓮美と神楽については、新学年が始まる四月までの二週間、拘置所で身柄が拘束されることとなった。
組織に属していたとは言え、殺人などの罪を犯していないことから、幸いにも拘置所での身柄確保のみで許されるという。
それから二週間ほど経った四月。
桜が咲き誇る中で、新たな一年がスタートした。




