幸せな未来
早乙女悠希は病院のベッドに腰を下ろしていた。
彼の左の二の腕には白色の細い包帯が何重にも巻かれていた。
ベッドの側にある大きな窓からは、鮮やかな夕陽の帯が注がれている。
悠希はその夕陽を眺めながら、森達地下組織との最終決戦に想いを馳せていた。
当初、悠希達は自分達の方から地下組織に攻撃を仕掛けるつもりで準備をしていた。
しかし終業式を間近にした今日、あろうことか森達の方から攻撃を仕掛けてきたのだ。
とある日の昼休みに古橋早絵に話しかけてきた蓮美鏡花と神楽夏姫が森の側近だったことは予想外だったし、何より身近なクラスメイトに敵役が居たとは思いもしなかった。
実際に悠希は二人と戦うことはなかったため、二人の実力などは分からない。
しかし、擦り傷や掠り傷など色々な傷を負っていた岸茜と早絵、そして和泉麗華を見れば、蓮美と神楽の実力がどれほどのものだったかは容易に察しがつく。
この世に数多いる十代の中で戦闘に優れている者がいるか否か、それは分からないが、少なくとも彼女達二人の戦闘力は並大抵のものではないだろう。
悠希はそう推測を立てた。
そして何より、悠希にとって予想外だったことが二つある。
一つ目は、自分達の担任である月影先生が森に脅されて、その結果、地下組織の主に学校内部に関する情報の内通者になっていたことである。
彼女が森に疑問をぶつけたこと。
蓮美と神楽が森の側近であると分かった時に、何故森が悠希達の計画を知っていたのかという疑問が悠希の中に湧いてきたこと。
この二つが、悠希に月影先生が内通者であると確信させたキッカケだった。
二つ目は、陰陽寺大雅と百枝咲夜が助けに来てくれたことだった。
どうやって二人があの騒ぎを聞き付けたのかは分からないが、二人が来てくれたおかげで悠希達は難を逃れることができた。
当初の悠希の作戦として、無理矢理にでも大雅と咲夜の力を借りて森達と対峙する予定だったため、結果的には作戦の一部でも決行出来たことになった。
無事に地下組織との決着もついたことで、事件は収束を迎えた。
あの後、大雅、咲夜、未央によって倒された組織の男達も警察に身柄を拘束され、今は留置所に入れられているという。
百枝花奈を人質に取って、長時間拘束した罪で森二三男と部下の男は書類送検された。
近いうちに、彼らの刑罰を決める裁判も行われるそうだ。
そして、悠希の心には日向未央が森にぶつけた思いも強く残っていた。
『犯罪でしか自分を正当化出来ない……そんな人は檻の中で自分のしてきたことをしっかりと反省するしかないんです!』
あの言葉はおそらく、未央自身が初めて少年院という名の檻に入って強く感じたことだろう。
彼氏への嫉妬を正当化するために彼氏を殺めてしまった、自分に向けての戒めでもあるのだ、と悠希は未央の叫びを聞いてそう思っていた。
未央が包丁を森に向けて突進していった時は、悠希も寿命が何年も縮まった思いがしたものだった。
しかし、彼女が直前で踏みとどまったことで罪に問われることはなくなった。
今も未央は別室で大雅や咲夜と共に点滴で疲労を和らげる治療を行っている。
「悠希」
ドアがガラガラと開いて悠希を呼ぶ温かい声がする。
悠希がドアの方を見ると、にこりと微笑みながら千里が病室に入ってきた。
「母さん」
悠希も母の来院に思わず笑みをこぼした。
「調子はどう? あと腕の傷も」
千里は悠希が座っているベッドの傍にパイプ椅子を持ってきて、その上に腰をかけた。
悠希は口角を上げたまま微笑んで、
「うん。だいぶマシになってきたよ」
「そう、良かったわ」
千里は安心したように、ホッと胸をなでおろした。
「皆は?」
悠希は自分が一番気になっていたことを千里に尋ねた。
人数の関係で悠希は一人個室なので、皆の様子が全く分からないのだ。
「大丈夫。皆それぞれ治療受けてるわ」
千里はそう言って優しく微笑んだ。
「でも本当に、あれだけ激しく戦ってたのに誰一人重傷者がいないなんてね。本当にすごいわ」
息をつき、千里は天井を仰ぐ。
悠希も笑顔で頷いて、
「そうだな。皆無事で本当に良かったよ」
それから決まり悪そうに髪を掻いた。
「元はと言えば、俺が考えた作戦に皆を巻き込んじゃったのが一番の原因だし、皆には本当に申し訳ないよ。それと同じくらい有り難いけど」
森と蓮美、そして神楽が高校を襲撃してきた時は、悠希も森達地下組織に盾突いたことを酷く後悔していた。
まさか先手を打ってこられるとは思わなかったため、それに備えた対策など何もしていなかったのだ。
そのせいで無関係な他の生徒や教師を恐怖にさらすことになってしまった。
この事に関しては、月影先生が必死に頭を下げてくれたようだった。
校長先生の判断により、最終的に命に別状がある人間が誰一人としていなかったことを考慮に入れて、今回のみ多めに見るとの決断が下されたそうだ。
そもそも、何故悠希が大規模な人数を誇る地下組織に盾突いたのか。
幼馴染みである龍斗、母の千里、その部下の黒川を狭い部屋に閉じ込めた張本人である森を黙って見過ごすことが出来なかったのだ。
どうしても自分の手で森を反省させたいという思いが日に日に強くなり、あのような無謀とも言える作戦を思い付いた。
龍斗は自身が辛い目にあった経験もあって、悠希の作戦に真っ先に賛成してくれた。
茜は勿論驚いていたが、『そんなにも悪い奴らなら』と協力体制を取ってくれた。
最初こそ猛反対していた早絵も、最終的には茜や麗華と共に奮闘してくれた。
大雅と咲夜は悠希達の絶体絶命のピンチを助けてくれた。
未央と凛、そして麗華は途中から駆けつけて、自分の命の危険も顧みずに組織と真っ向から戦ってくれた。
月影先生も負傷した悠希と龍斗を保健室まで運び、応急処置をした後に警察に通報してくれた。
千里と黒川は悠希の作戦がどれほど危険を伴うものかということもしっかりと理解した上で、協力して現場に駆けつけ、森達組織のメンバーを確保してくれた。
黒川に至っては、全員の入院手続きも済ませてくれていたようだ。
色々な人が危険を承知で、それでも悠希の作戦に協力し、最後まで諦めずに頑張ってくれたこと。
これが勝利の理由だったのだと、悠希は改めて思う。
そして同時に、皆がいなければこのような幸せな未来は訪れなかったのだということもひしひしと痛感した。
「警察としても、あの組織は怪しいってマークしてたのよ。でも決定的な悪事を働く様子もなかったから、なかなか捜査に踏み出せなくて。そういう意味では、悠希の作戦は大助かりだったかしら」
千里の言葉に、悠希はホッとして笑みを浮かべた。
しかし千里はすぐに表情を引き締めて人差し指を立てると、
「でも! だからってあんな無謀なやり方は今後一切許さないからね。今回の件でどれくらいの人に迷惑かけたと思ってるの?」
千里に諭されて、悠希は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ご、ごめん……。これからは絶対にそんなことがないように気を付けます」
姿勢を正して悠希がそう謝罪すると、千里はふぅと息を吐いて眉を下げた。
「まぁ、何回も言うようだけれど、何よりも皆が無事だったから今回は特別よ」
「ありがとう、母さん」
悠希は千里に向かって微笑むと、しっかりと頭を下げた。
すると、またドアが開いて月影先生が入ってきた。
「先生!」
予想外の先生の来院に、悠希は思わず背筋をピンと伸ばして出迎えた。
月影先生は『あぁ、楽にして良いのよ。傷が痛むと困るもの』と言ってから、にこりと微笑んだ。
「うん、早乙女も元気そうね。安心したわ」
悠希は月影先生の言葉に頷くと、
「俺は大丈夫です。ありがとうございます」
頭を下げてお礼を言った。
月影先生はそれを見て優しく微笑むと、『あ、そうだ』と何かを思い出したようにポンと手を打った。
「終業式のことなんだけど」
先生の言葉を聞いて、悠希はハッとした。
悠希達の終業式は、本来なら明後日の予定だったのだ。
しかし学校が襲撃されたことによって、少しだけ授業が出来なくなってしまったため、二日ほど登校日を設けて潰れた分の授業を補うこととなった。
先生から知らされたのは以上のことだった。
「だから終業式は一日延びて明々後日に変更になったわ」
「分かりました。ありがとうございます」
月影先生は、龍斗や茜、早絵の容体も確認した上で三日後と判断したと言う。
すなわち、三人とも特に必要な治療は無かったということになる。
龍斗の場合などは特に沢山の怪我を負っていたため、内心で悠希は凄く心配だったのだ。
しかしその心配も杞憂に終わり、悠希は心の底から安堵した。
他の面子____大雅、未央、凛、花奈、咲夜の容体についても、目立った異常などは見つからなかったとのことだった。
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それから三日後。
悠希達高校一年生にとっては初めての終業式が執り行われることとなった。




