それぞれの決着
グラウンドで行われた人質交渉。
しかしそれは、男の意識を花奈から逸らすための大雅と咲夜による作戦だったのだ。
未だに、大雅は森の首に包丁を突き付けたままである。
そして今の男の意識は、裏門から走ってきた二人の警察官に向けられていた。
早乙女千里と黒川翔である。
「良かった、間に合ったのね!」
無事に男の手から奪還することが出来た花奈を抱きしめながら、未央は安心したように顔をほころばせた。
実は当初の悠希の作戦を実行する上で、極力早く現場に戻るようにすると、千里と黒川は約束してくれていたのだ。
千里は少し前に森そっくりの男、森の側近である蓮美鏡花と神楽夏姫の三人を警察署まで連行していた。
だが、取り調べを行っている途中に森だと思っていた男が替え玉だったと気付いて、急いで高校に戻ってきたのだ。
そして黒川は、千里と分担して少年院の爆破事件を調べていた。彼も千里から作戦の概要は聞いていたため、少年院を爆破した犯人がすぐに分かったのだ。
爆発物処理班との連携もあって、調査が速やかに終了したため、目星をつけた犯人の居場所____高校のグラウンドに赴いたというわけだ。
「森二三男、及びこの計画に加担した者は直ちに拘束します!」
千里は高らかに宣言し、まず近くに居た男の身柄を確保した。
校舎の裏門の外には、一台のパトカーが赤いサイレンを鳴らしながら停車していた。
「黒川、私が二人を連行するから、あなたは子供達をお願い」
「分かりました!」
千里の言葉に頷いて敬礼し、黒川は大雅、咲夜、そして花奈と未央の所へ走り寄っていった。
「森、あなたを現行犯逮捕します」
そう言いながら千里が森の方へ歩いていくと、森は悔しげに歯ぎしりし、
「糞が!」
と、今まで自身を押さえていた大雅を蹴り飛ばした。
「ぐっ!!」
お腹を強く蹴られて、大雅はそのまま後ろに吹き飛んだ。
「陰陽寺くん!!」
千里は歩みを止めて、吹き飛ぶ大雅に向かって叫ぶ。
「大雅くん!!」
「大兄!!」
千里の声で異変に気付いた未央と咲夜も、吹き飛ぶ大雅を見て声をあげた。
「何するの!」
大雅を蹴り飛ばされ、千里は森に怒りをぶつけた。
「ふん、そう簡単に捕まってたまるかよ」
目を見開く千里を嘲るように鼻で笑い、森は千里の方に包丁を向けた。
「な、何の真似……!」
「母さん!!!」
校舎の前で待機していた悠希は、包丁を向けられた母の姿に思わずグラウンドに向かおうとした。
「ダメ! 悠希くん!」
しかし、その瞬間に凛に止められてしまう。
「い、行かせてくれ! 凛先輩! 母さんが……!」
「大丈夫だから!!!」
「ハッ!」
無理にでもグラウンドに行って千里を助けようと思っていた悠希は、大声を出した凛に思わず息を呑んだ。
こんなに必死な凛は、今まで見たことがなかったのだ。
「先……輩……」
「何のために、あたしがここに残って未央が向こうに行ったと思ってんの? 最年長としてあなた達を誰一人傷付けないためだよ!」
凛は悠希の肩を掴んで、言葉を紡いだ。
「未央に任された以上、あたしは悠希くんを向こうに行かせるわけにはいかない! お母さんなら大丈夫だから!」
目を見張り息を呑む悠希の体をグラウンドの方に向かせて、
「ちゃんと見て! 悠希くんだけが危険を侵す必要は無いってこと!」
悠希が見据えた先、そこには千里を守るように彼女の前に立つ未央の姿があった。
未央も森に包丁を向けていたのだ。
「はぁ? 何のつもりだ? 未央くん」
立ちはだかる未央の姿に、森は訝しげに眉を寄せた。
「私のせいです」
「……は?」
突如発せられた未央の一言に、森は眉をつり上げる。
森をしっかりと見て、真剣な表情を崩さない未央。
しかしその唇はワナワナと震えていた。
『恐怖』。
森にはそれが恐怖から来る震えだと思えた。
「私があんな組織に入ったせいで、花奈ちゃんまで巻き込むことになっちゃって……本当に、私は自分が情けない。情けなくて、悔しいです!」
否、未央が唇を震わせていたのは、関係ない後輩もとい友人を巻き込んでしまったことによる悔しさからだった。
「悔しくて許せない。でも! もっと許せないのは……森さん。あなたです」
刃を向けながら、未央は森に怒りの眼差しをぶつける。
「善良な慈善活動団体……? あんな場所がそんなわけないじゃないですか。犯罪を企てて実行する、最悪の犯罪組織ですよ!」
「な、何だと……? 黙ってりゃ勝手なことばかり言いやがって!」
森は未央の偉そうな態度に腸が煮えくり返るような思いだった。
「あなたが何を思ってあの組織を率いているのか、本当の理由は分からない。でも、今こうして警察に刃を向けている以上、あの組織は慈善団体なんかじゃありません!」
「簡単に捕まってたまるかよ……? 何様のつもりですか! そうやって武器を使って人を脅すことしか出来ない、犯罪でしか自分を正当化出来ない……そんな人は檻の中で自分のしてきたことをしっかりと反省するしかないんです!」
かつて未央自身も、当時交際していた彼氏への嫉妬を押さえきれず、自分は被害者だと正当化して、その結果愛していたはずの彼の命を奪ってしまった。
少年院という檻の中で、未央は自分の不甲斐なさを心底嘆いた。
何故、彼を殺してしまったのか。そもそも殺す必要などあったのか。
未央が勝手に抱いた嫉妬という気持ちが、未央に罪を犯させたのだ。
そしてそれを理由に、後ろ楯にして実行してしまった未央も未央だ。
だからこそ、未央には森がやろうとしていることが痛いほど分かるのだ。
かつての自分と目の前の男を重ねながら、未央はもう一度言い放った。
「ちゃんと、罪を償ってください!」
「言っただろ、簡単に捕まらねぇってよ。勝手に自分の後悔語って浸ってんじゃねぇぞ」
森の未央を馬鹿にするような言葉を聞いた途端、未央の中で何かが切れた。
彼氏に抱いた嫉妬とよく似た気持ち____『憎悪』。
未央は目を向き、森に向かって突進していった。
「未央! 駄目!」
包丁を片手に、森へと突っ走る未央を見て、凛が叫んだ。
その声は怒りや憎悪を剥き出しにしている未央には聞こえるはずもない。
そして未央は森の喉に刃を____突き刺すことはなかった。
「うっ……」
森が喉を詰まらせて声を絞り出す。
彼の喉を突き刺そうとしていた刃は、森の喉に突き刺さることなく、すんでのところで止まっていたのだ。
「未央……」
感情のまま突っ走らなかった未央を、凛は胸をなでおろしながら見つめた。
思わず叫んでしまったが、未央が作戦決行の前夜に言っていた言葉を思い出す。
『私ね、前に感情を抑えきれなくて、大事な人を殺したの。でも今度はそんなことしない。もう、成長できたってことを自分で証明するから』
そう言って、未央は微笑んでいたのだ。
「はぁ、はぁ……」
肩を上下させ、息をする未央。
森は自分の喉に向けられた刃を見て、今度こそ負けを悟ったのか、
「くっ……!」
唇を噛みながら、その場に座り込んだ。
「森二三男、16時30分確保」
千里はそう言って、力なくうなだれた森の手首に手錠をはめた。
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その後、千里は森と部下の男を連れてパトカーに乗り込むと、エンジンを蒸して走り去った。
「未央ぉーーー! びっくりしたじゃんーーー!」
戦いが終わったグラウンドでは、凛が号泣しながら未央を抱きしめていた。
校舎の前で戦いの行方を見守っていた悠希達も、グラウンドに居た。
「ご、ごめん……危なかった……」
森に向かって突進していた時の未央には、自我が感じられなかった。
しかし、彼女は直後に凛に誓った言葉を思い出して踏み止まることが出来たのだ。
「でも早く離れて。苦しいわよ」
息苦しそうに天を仰ぐ未央。
しかし大号泣の凛には聞こえていなかった。
「困った子なんだから、本当に」
未央は眉を下げながらも、柔らかく微笑んだ。
「ははは……」
そんな二人のやり取りを見ていた花奈も声をあげて笑った。
「お姉ちゃん!!」
不意に花奈をドンと押す衝撃があって花奈が少し下を見下ろすと、咲夜が花奈に抱きついていた。
「咲夜……」
咲夜は花奈の胸に顔を埋めているため、表情は読み取れない。
しかし彼の肩が小刻みに震えていて嗚咽混じりの声が聞こえてくるので、咲夜が泣いているのだと花奈はすぐに分かった。
「私のために頑張ってくれてありがとね」
花奈は咲夜の髪を撫でながらそう言った。
それを聞いて、胸に顔を埋めたまま首を横に振る咲夜。
姉に会えた喜びと無事だったことへの安堵で胸が詰まり、その思いは言葉にはならない。
しかし、それは花奈にしっかりと届いていた。
花奈の目からもゆっくりと涙が溢れてきたのだ。
「うっ……」
止められない涙を嗚咽に変えて、花奈は咲夜をさっきよりも力一杯に抱き締めた。
「ありがとう、咲夜。ありがとう……本当にありがとう」
透き通るような涙を流しながら、花奈は感極まって声が高くなりながらも、自分を救うために命を懸けてくれた弟に何度も何度もお礼を言った。
「お姉ちゃん……!」
咲夜は姉からのお礼に、さっきよりも沢山の涙を流した。
殺人を犯してから少年院に入院するまで、そんな言葉なんてかけてもらったことなどなかった。
少年院に入院しながらも、いつかは誰かの役に立ちたいと思っていた咲夜。
今、一番言ってほしかった言葉を、一番言ってほしかった人に言ってもらえたのだ。
どんなに道を踏み外しても、花奈は咲夜をずっと信じてくれた。
勿論、今もそうだ。
咲夜を信じてくれていたからこそ、花奈は無駄に抵抗することはせずに、じっと耐えてくれていたのだ。
「ボクも……ありがとう」
溢れてきた気持ちを一言の言葉に込めて、咲夜は姉に届けた。
そんな姉弟を微笑ましく見ていた悠希は、それを見届けてから大雅に近付くと、笑顔でお礼を述べた。
「ありがとな、陰陽寺。助けに来てくれて」
「いや……別に。たまたま小耳に挟んだだけだ」
大雅は悠希から目を逸らして、ポリポリと頬を指で掻く。
少し照れているようだが、特別頬は赤らんではいない。
大雅の否定を否定して、悠希は首を振った。
「それでも、ありがとう。俺達だけじゃ絶対に守り切れなかったからさ」
何の躊躇もなく言い切ってしまう悠希。
「それもそれでどうかと思うけど」
腕を組んで、大雅は悠希をジト目で見た。
「た、確かにそうだな……」
こげ茶色の髪を掻きながら、悠希は顔を引きつらせた。
確かに大雅の言い分は尤もである。
もしも大雅と咲夜の援助が無ければ、一体どうなっていたか。
早々にリタイアしてしまった悠希にとっては、猛反省すべき点ばかりである。
ともあれ、無事に決着が着いたのは、最後まで諦めずに頑張ってくれた友人達のおかげだと、悠希は心の底から思った。
「僕の時みたいに大活躍ってわけにはいかなかったみたいだね。君も落ちぶれたね」
はぁあ、と嘆息する大雅に、悠希は思わず叫んだ。
「し、仕方ないだろ! もうちょっとで撃たれるところだったんだから!」
懸命に叫ぶ悠希を、大雅は呆れ果てながらジト目で見ていた。
「あ、あの!」
鈴のような高い声に、皆が話を中断してその声の方に目を向ける。
すると、花奈が両手を組んで悠希達を見つめていた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。助けてくださって本当にありがとうございました」
花奈はそう言って深々と頭を下げた。
「大丈夫よ」
最初に答えたのは未央だった。
「花奈ちゃんはただ、私が入ってるって言われて入っちゃっただけでしょ? 何も悪くないわよ。良いように利用されただけなんだから。本当に無事で良かったわ」
「とりあえず、全員病院まで送るね。皆怪我してるから」
黒川はそう言って悠希達を見回して微笑んだ。




