不安と覚悟
「へぇ、あいつらが、この俺に、ね」
暗い部屋の中で、森の低い声が沈黙のうちに落とされる。
彼の脳裏に浮かぶのは、麗華の病院ですれ違った悠希達の姿である。
「はい。おそらくもう一刻の猶予もないかと」
彼の傍で膝をつき、頭を垂れている二人の少女、そのうちの一人が目を瞑ったまま言った。
「確かに、そうかもしれねぇなぁ」
今まで座っていた椅子から立ち上がり、森は分厚いカーテンが閉められた窓の方へと歩み寄っていく。
彼がそのカーテンを開けると、シャラッとカーテンの開く音がして、外から眩しい夕焼けが飛び込んでくる。
森の元で跪いている少女達は制服に身を包んでいて、少々息があがっているようだった。
実は彼女達は学校帰りに急いで森の元へと報告をしに来たのだった。
つい先程盗み聞きしたある事を、森に伝えるために。
「予定を早めるか。遅くても三日以内には始めるぞ」
ザラザラした自身の髭を撫でながら森は言う。
「はい」
森の命令に、今度は少女二人ともが返事をした。
※※※※※※※※※※
快晴の早朝。
「よし、よく来たわね、皆」
「偉い偉い」
目の前で佇む者達を見て、未央は満足げに手を腰にやり、凛も嬉しそうに歯を見せて笑った。
彼女達の眼前、覚悟をその瞳に宿しているのは、龍斗と茜である。
「よろしくお願いしゃっす、先輩」
「お願いします」
空手道の構えのように拳を握って胸の前で腕をクロスし、腰辺りに持ってくる動作を取る龍斗は、何もしていない時からやる気満々だ。
対する茜は、先輩への態度らしく丁寧にお辞儀。
その相者相応の覚悟を受け止め、未央は言った。
「じゃあ早速始めるわよ」
「はい!」
龍斗と茜は元気よく返事をする。
今から四人が行うのは、来る森達地下組織との対決に備えるための訓練である。
龍斗は空手を習っている凛から簡単な武術を、茜は剣道経験者の未央から木刀を使った剣術を、それぞれ教えてもらうのだ。
四人が居るのは、未央の家の庭。
家の面積は小さい分、庭の面積を多く取っているため四人で暴れても問題ないのだと未央は胸を張っていた。
庭の奥と手前に分かれて、練習が始まった。
奥で練習するのが龍斗と凛、手前が茜と未央である。
「そういえば早絵ちゃんは?」
練習用の木刀を茜に手渡しながら、未央が尋ねた。
「ああ、何か来たくないって。危ないって思ってるみたいで」
未央の質問に、茜が決まり悪そうに目を伏せる。
「そっか。確かに怖いものね。恐怖を我慢して来てくれた茜ちゃんと龍斗くんは相当勇気があると思うわよ」
不安げな茜に向かって微笑み、未央はある事に気付く。
「勇気があると言えば、悠希くんは?」
今回の計画の発案者である悠希がこの場に居ないのだ。
茜はさり気ない未央のダジャレに、悪寒を感じて二の腕を擦りながら答えた。
「麗華ちゃんに銃の使い方を教えてもらうって病院に行きました」
「け、拳銃!?」
茜の言葉に奥で龍斗に組み手を教えていた凛が、目を見開いて驚きの声をあげた。
未央は凛があまりにも大きな声で叫んだために、慌てて人差し指を口元に当てて制す。
「しーっ! こんな朝早くに物騒なこと叫ばない!」
「ご、ごめん……びっくりしすぎてつい……」
凛も良からぬ言葉を叫んでしまったことに気付いて、両手で口を覆った。
凛の眼前で、龍斗は拳を握りしめて悔しさを露わにする。
「俺達も止めたんですよ。危ないし短期間の練習だけで扱えるような簡単なものじゃないって」
歯を食いしばって、それでも行くと言った悠希の姿を思い出し、
「でもあいつは行くって聞かなくて。今思えば引きずってでも止めたら良かったんですけど」
何か大きな物事に対しての準備の段階ですら、一人で背負い込もうとする悠希の悪い癖は、龍斗も理解している。
幼馴染みと呼び合える関係になるまでに、悠希と関わった時間がこの場に居る誰よりも長いのは龍斗だ。
だからこそ、悠希が一人で突っ走ってしまうことも、一度決めたら簡単に引き下がらない頑固者だということも、一番分かっている。
止めても無駄であり、止めると余計に行こうとする。
そんな悠希をずっと見てきて、龍斗の心に隙が出来てしまったのかもしれない。
____どうせ言っても聞かないだろう、余計に無理をしてしまうだろうと。
だが、今回ばかりはそれが仇となった可能性が高い。
武器に手を出すということは、体を張って敵と対決するということ。
すなわち、悠希にはもう命を投げ出す覚悟がとっくに出来ているということなのだ。
龍斗にしてみれば、そんな覚悟は無用であり、してほしいものではない。
生死の崖っぷちに、悠希はその足を踏み入れようとしているのだ。
「____大丈夫よ」
龍斗が顔を上げると、未央が微笑んでいた。
「何で……ですか?」
「もし悠希くんが一人で突っ走って遠くに行っちゃっても、私達で連れ戻せば良いじゃない。悠希くんがそういうタチなの、何となく分かるし」
「そうそう! いざとなったらあたし達がそれこそ体張ってでも止めてみせるよ! 絶対危ない橋を渡らせたりしないんだから!」
凛も腕を組みながら頷く。
「未央先輩、凛先輩」
龍斗が安心したように二人を呼び、茜が目を潤ませた。
そんな二人を見て、未央は口角を上げながら、パチンと両手を叩いた。
「さてと、そうと決まれば、体張れるように鍛えなくちゃね。訓練始めるわよ」
「はい!」
龍斗は拳を、茜は木刀を握りしめて返事をした。
胸の内にあった不安を脱ぎ捨て、改めて覚悟を決めたような声色だった。




