訓練の成果
少し長いです。
「とは言ったものの……実際には難しいわね……」
千里はガックリと肩を落とした。
今まで彼女は牢獄と化した部屋の中で歩き回りながら脱出の方法を考えていたのだが、全く良い考えが思い浮かばないままその足をついに止めてしまったのだ。
ベッドの隅に座って龍斗の具合を見ていた黒川が、千里を見て言った。
「あそこの窓も修繕されてます。多分龍斗くんが割ったんでしょうね」
黒川が見つめる先に千里も視線を移すと、頭上の壁にある窓にはガムテープが貼られていた。
「龍斗くんはあの窓を割って脱出しようとしたのね。でも呆気なく見つかった……」
千里は顎に手をやって呟いた。
「入口の鍵は……」
「閉まってます」
黒川が言ってドアノブをガチャガチャと捻ってみせた。
だが当然と言うべきか、扉は開かない。
しっかり鍵がかかっていた。
「となると、脱出するにはやっぱりあの窓を使うしかないわね」
結局龍斗と同じ考えに至ってしまった。
千里はまだ明るい空が見える窓を恨めしそうに見つめた。
まだ今が午前中であることが不幸中の幸いと言ったところだ。
夜であれば千里の場合、悠希に心配させてしまう恐れがある。
それに予め悠希にも組織に潜入することを伝えている以上、失敗だと分かれば悠希までここに乗り込んでくる可能性も高い。
千里の失態のせいで息子にまで危害を与えたくはない。
それだけは何としてでも避けたいところだ。
「どうすればいいのかしら。下手に割ると見つかるし……現に見つかったからこうなってるんだし……」
千里は未だ目を覚まさず、ベッドで眠る龍斗を見つめる。
「午前中なんですし、組織全員でどこかに行ってくれないですかね。そしたらその間に何とか出来そうなのに」
黒川がため息をついてぼやいた。
「そうよ! それよ!」
黒川の発言に千里が瞳を輝かせる。
「えっ!?」
もちろん黒川は驚いて目を丸くしていたが、千里にとって黒川の言葉は名案でしかなかった。
「何とかして外の様子が確認出来れば良いんだけど」
再び窓とにらめっこをする千里。
「黒川」
「無理ですよ!」
千里が何か言い出す前に黒川がストップをかける。
黒川は目を見開いて一生懸命抗議した。
「どうせ僕にあの窓の縁にジャンプして掴まって、外の様子を見ろとか言うんでしょう? 先輩の言わんとしていることはお見通しですからね! そして絶対に嫌ですからね!」
「分かってるじゃない。やってよ」
「嫌ですよ! 見てくださいあの窓! あれだけ高い所にあるんですよ!? 僕がジャンプしても届かないですよ!」
黒川は高い位置にある窓を指差して懸命に訴える。
「じゃあ試しにジャンプしてみて」
ぴょん。
黒川は言われた通りにその場で軽く飛び跳ねた。
「その場でじゃなくて!」
予想通り、千里がナイスツッコミを披露。
「あなたわざとやったでしょ」
叫びすぎて息切れした千里は、黒川を睨みつけて言った。
「はい」
黒川は平然と顎を引く。
しかもその顔は無表情でふざけた意図を感じさせない。
だが千里には効果無しだった。
「あのね、今ふざけてる場合じゃないの! ここから脱出しようってしてんのに、何でそんなに非協力的なの!?」
身振り手振りを駆使して必死に叱責する千里には目もくれず、黒川は再びベッドの隅に腰をかける。
「僕だって今の状況がどれだけ危険かは分かってますよ。でも明らかに無理な相談です。あんな高い窓に届く人間なんていますか?」
「龍斗くん、届いたからあの窓が割れてるんじゃない」
「きっと何かを使ったんですよ。自分一人の力でジャンプしたんじゃないと思います。先輩はそれが分からないんですか」
早口にまくし立てる黒川。
窓の縁に飛びつくことがいかに不可能であるか、態度とともに千里に分かってもらわなければいけないからである。
「あなたね、腐っても警察でしょう?」
腰に手を当てて呆れたように、千里は黒川に問いかける。
「そのポーズ、こっちがやってやりたいですよ……」
明らかに黒川の方が悪いという状況になっているが、本来は無茶振りを要求した千里に非がある。
黒川からしてみれば、自分が盛大に呆れたいところだ。
だが千里は黒川にとって大事な上司。
ここで生意気な口を聞いて生意気な態度を取れば、今後の仕事にも少なからず影響してくるはずだ。
そう思うと、とても逆らえなかった。
「訓練の成果、見せてもらおうかしら」
腰に当てた腕を組み、千里はまるで教官のように偉そうな態度でもって黒川を見つめてくる。
もちろん黒川に逆らうという選択肢はない。
「分かりましたよ」
実際、警察になる上でこのような状況に陥っても大丈夫なように訓練は積んできた。
故に、反射的に断固拒否したジャンプも難しくはない。
命と引き換えに出来るものなど何も無い。
ここから脱出するには、今までの訓練の成果を発揮する必要があるのだ。
「ふぅーーー」
深く息を吐いて窓を見据える。
そこから助走をつけて床を蹴り上げる。
それと同時に黒川の身体が宙に浮かぶ。
空中でちぎれんばかりに手を伸ばし、何とか窓の縁に指がかかった。
「おっ! 先輩! いけました!」
黒川も内心は失敗すると思っていたので、一発成功は予想外。
大人げなく喜んでしまった。
「それで、外の様子見える?」
「あ、えーっと、はい。建物の隙間から少しなら」
案の定千里にスルーされたが、今の状況を最優先に窓を覗いて外の様子を確認する。
「外に誰か居るってわけじゃないですね。通りすがりの人達ばかりで組織のメンバーらしき人物は見当たりません」
「そう……。この時間だから外に出かけて何やら怪しい取引とかでもしてるかと思ってたけど」
千里の言葉に冷や汗をかきながら内心で黒川は呆れ、窓の縁から手を離して床に着地する。
「この組織、表向きは社会慈善に力入れてるんですよ。こんな大っぴらに取引するわけないじゃないですか」
「……そ、それもそうね」
自分の発言が明らかに間違っていたことに気付いた千里は、恥ずかしそうに顔を赤らめて、おほんと咳払いをして誤魔化した。
かくして二人の予想は大きく外れた。
組織のメンバー達が外に出ていれば、たとえ窓を割った際に警報が鳴っても捕まえに来る人間がいないため脱出できる可能性は格段に上がったはずだった。
「次なる手を打たないと……どうしようかし」
「先輩! しっ!」
突然黒川が千里に静かにするよう言った。
さっきまでとはかけ離れた真剣な表情を見て、千里もただならぬ状況を察知する。
話すのを止めて耳を傍立てると、コツコツと足音が聞こえていた。
しかもその足音はだんだん大きくなっていく。
こちらに向かって誰かが近付いていた。
龍斗を守るようにして二人は身構える。
ドアががチャリと開いて、外から丸刈りが顔を出した。
(森の部下の……)
現れた彼に、千里も黒川もハッとした。
丸刈りはがっしりとした足で二人に歩み寄る。
二人は少し後ずさりながらも、龍斗だけは守るとベッド周りを死守。
やがて丸刈りは二人の目前まで足を運ぶと一言。
「出ろ」




