組織脱退
「麗華」
地下組織内の一室のドアが拳でトントンと叩かれた。
「はい」
部屋でシューティングゲームに勤しんでいた少女、和泉 麗華はテレビから目線を外して叩かれたドアを振り返った。
「入ってもいいか?」
「どうぞ」
娘の返事を聞いた父、和泉はドアをガチャリと開けて、
「少し話があるんだが」
黒縁メガネを指で押し上げて麗華を見つめる。
「何でしょうか」
「佐々木凛のことだ」
「凛さん、ですか」
頷き、和泉は続ける。
「お前も聞いていたよな? あいつが森さんの企業秘密を知っていると」
「はい。ですが、それはもう森さんが許されたのではなかったんですか?」
コントローラーを床に置き、立ち上がった麗華は和泉が立つ玄関へと足を運んだ。
「勿論森さんはもう許してくださってる。だからと言って佐々木が企業秘密を知った事実は変わらない」
「……まさか、凛さんに何かするつもりですか」
警戒心を露わにする麗華。
「察しが良いじゃないか」
そんな娘に怪しげな笑みを浮かべる和泉は、開いたままのドアに手をついてもたれかかり、
「少しだけ手伝ってくれればいい。パパの頼みだと思って」
「私を子供扱いしないでください。もう中学生ですよ」
『パパ』という言葉を聞いて、麗華が眉をひそめた。
「ん? あぁ、すまない。つい麗華が小さい時を思い出してしまってな」
麗華のサラサラの髪に手を置き、先程とは違った優しい笑みを見せた。
「やる事は今から言うから。安心しろ。麗華がするのはあくまでも"手伝い"だ。……失望させないでくれよな」
まだ不安げな表情が消えない麗華だったが、戸惑いながらも最終的には肯定の意を示していた。
※※※※※※※※※※※※※※
その頃、応接室では少女の怒鳴り声が響いていた。時折、机を叩く音や、何かを壊すような音も聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと未央! 落ち着いて!」
いつも活発な凛がいつも大人しい未央を必死で羽交い締めしていた。押さえつけられている未央の目は怒りで燃え盛っていた。
未央は目の前の人物をものすごい形相で睨みつけ、
「いい加減にしなさい! 凛を何だと思ってるの!」
最早相手が歳上だという事実も捨てて、感情のままにまくし立てる。
「わ、悪かったよ、本当に。別に、そんなつもりじゃなかったんだ」
少女の剣幕に怯えて途切れ途切れに話す森は、元々座っていたソファーではなく、冷たく冷えた床にその尻をつけていた。
彼が腰をぬかしている周辺には、机から落ちて粉々の破片となった花瓶、それに入っていた水と茎の折れた花が転がっていた。
三人___二対一の間にある長机に置かれた湯のみも零れ、陶器にも若干のヒビ割れが見られる。
「そんなつもりはなかった……? これで凛が死んでてもそんな事言えるわけ⁉︎」
「み、未央っ、もう良いから!」
渾身の力を込めて、凛は森に掴みかかろうとする未央を押さえて何とかソファーに座らせた。
叫び続けて息切れし、それでも怒りが収まらない未央は、叫ぶのを止めた後も森をギロリと睨みつけていた。
「本当だよ未央くん。ただ、俺にとって機密情報を組織のメンバーに知られたって事は結構マズイことなんだよ。未央くんには、その、あまり想像がつかないかもしんねぇが」
未央の顔色を窺い、言葉を選びつつ森は再びソファーに腰を下ろした。
「だからって脅迫して良いって言うの? 命を奪おうとして良いって言うの?」
「み、未央……」
組織の代表を前にして喧嘩腰の未央を、凛は冷や汗をかきながら必死で宥めようとする。
確かに凛も森に脅迫されたことには少なからず不満や恐怖を抱いているが、かつての自分を拾ってくれた恩もあるため、あまり強く言えないのだ。
「脅迫するつもりはなかったんだ。口調がキツくなって凛くんがそれを脅迫だって受け取っちまったのかもしんねぇ。でも脅迫じゃないって事は分かってくれ」
「首にナイフ突き立てておいて、脅迫じゃないんですね」
ため息をつき、未央は森への喋りを敬語に戻す。
「な、何でそれを未央くんが……!」
未央の言葉に目を見開く森。
既に汗だくの額や顔に追い討ちをかけるように、頭部からさらに汗が吹き出ている。
「凛から全部聞いてるんです。私が全部は知らないだろうと思って適当な事言わないでください」
相手が子供だと思って適当に誤魔化そうとする大人は数少なくない。この森もその類の人間だろうと未央は踏んだ。
第一に自分がナイフを突き立てたという行為を指摘されて動揺する姿を見れば、今までの話し合いも未央の叫びもまるで茶番のように捉えていたのだと思ってしまう。
同時に森への怒りはさらに増幅した。
「……もう良いです」
暫く森を睨みつけていた未央は、立ち上がって彼を見下ろした。
「私、この組織から抜けます。あと凛も。こんな危険な所に一人で残せません」
「え、いや、ちょ、ちょっと……」
焦る森を尻目に、
「もう決めました。行こう凛」
不安そうな表情の凛に視線を移して、未央は応接室を出た。ドアを閉める際、困惑している様子の森をもう一度睨みつけて、
「さようなら」
強めの口調で言い放ち、ドアをバタンと閉めた。
「い、良いの? 未央。森さん怒ってやり返してきたりしないかな」
廊下を進みながら、凛が心配そうに言った。
「大丈夫よ。万が一の時は黒川さんにでも頼むわ」
未央は引き締めていた表情を和らげ、凛に微笑みかける。
「凛のことは絶対守るから」
「……ありがと」
未央の笑顔に、凛も微笑み返した。だが、その笑みにはまだ不安の影が写っていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
「和泉! 和泉! どこだ!」
組織のメンバーの部屋が並ぶ、未央と凛が歩いていった方とは別の廊下を踏みしめる森の怒号が響く。
「何ですか、森さん」
ちょうど娘の麗華と共に部屋を出たところだった和泉が、黒眼鏡を指で押し上げて尋ねた。
「後始末、するって言ってたよな」
森の問いに和泉は頷き、
「……それが何か?」
「もう一人追加だ。誰の事かは分かるよな」
唇をわなわなと震わせ、怒りを露わにする森に若干引きつつ和泉は再度首を縦に振る。
男二人の会話を、麗華は手に携えた銃を強く握りしめながら聞いていた。
その腕が小刻みに震えているのに彼女は気づかなかった。




