脅迫
「や、やめてください!」
涙ながらに訴えながら凛は、笑みを浮かべて小型ナイフを振り上げようとする森に懇願する。
「そんなに泣かれても今更なんだよなぁ、凛くん。最初に会話聞いちまった辺りで口外したらいけねぇ奴だって気付かなかったか?」
「……き、気付かなかった、です」
蚊の鳴くような声で凛は答える。
森は返答を聞いて大笑いした。
「へぇ、分からなかったか。じゃあ仕方ねぇな。……ってなるほど世の中甘くねぇんだよ」
怯え震える凛に自らの顔を近づけて目を見開く森。
「そんくらいは分かってるよなぁ、凛くん」
あえて小声で尋ねる。凛の恐怖心をそそるように、それが増すように。そして凛の怯えた顔を楽しみながら気味の悪い笑い声をあげた。
「は、はいっ……」
凛は最早恐怖のあまり絞り出すようなか細い声しか出ない。死のカウントダウンが確実に始まっている今、目の前の男の気に障るような言動に気を付け、彼が怒らないように努めなければならない事だけを考えていた。もし少しでも森を怒らせてしまえば、凛の人生は文字通り終了する。
そして今まで森の持つナイフから逃れようと後退りした結果、背後には行き止まりの壁が立ちはだかっていてこれ以上後ろに逃げる事は出来ない。かと言って前進しようとすれば間違いなく目前で楽しそうに笑っている男の手に堕ちる。前にも後ろにも左右にも、凛の逃げ場は無かった。
「じゃあ何で言っちまったんだ? え? 分かってたんだよなぁ。俺の会話は機密情報だって」
震えながら凛は黙って頷く。森から顔を逸らし、目を瞑って少しでも恐怖感が消えることを願った。
「分かってたのに言っちまったのか。とんだお馬鹿さんだなぁ、凛くん。仮にもお前、高校生だろ? 高校生がそんな低脳で良いのか?」
侮辱してくる森に首をブンブンと振る凛。顔を逸らしても目を瞑っても目の前の男が醸し出す圧倒的な恐怖感からは逃れられなかった。
「口で言ってくれねぇと分かんねぇぞ?」
膝を折ってしゃがみ込み、凛の顎を指で上げ、森はその唇に親指で触れる。その動作に、より恐怖感を抱いた凛が声にならない悲鳴をあげる。唇はわなわなと震えていて、うるうると涙を浮かべるその瞳には森の薄気味悪い笑みが映っていた。
「まぁ、こうやってずっと寿命引っ張ってやんのも面倒くせぇし、ここで終わりにするか」
そう言って凛の顎から手を離し膝を伸ばして立ち上がった森は、凛に小型ナイフの刃先を向けた。
「じゃあな、凛くん。厄介事に首を突っ込んだ自分を呪いな」
森はナイフを振り上げて凛の胸に突き刺そうとした。
「佐々木!」
その直後、路地裏の入り口から声が聞こえた。
「あぁ?」
森は怒りの眼差しをそちらに向けた。
体を傾け森の背後に視線を移した凛は、駆けつけた人物の名を叫んだ。
「い、和泉さん!」
息を切らしながら凛たちを見ていたのは、組織の副代表を務める眼鏡男の和泉だった。
和泉はそのまま走ってきた。
「和泉さん、来ちゃ駄目です!」
今来れば和泉は確実に森に殺されてしまう。凛は必死に叫んだ。
「おいおい、和泉。お前が来たところで無駄だぞ?」
森は慌てる素振りを一つも見せず、凛の肩に腕をまわしてその首に小型ナイフを突きつけた。
「こいつがどうなってもいいのか?」
「さ、佐々木……!」
「和泉さん……」
ナイフを突きつけられて凛は震えながら和泉を見つめた。
一方、和泉は歯を食いしばり、足を止めた。
そんな和泉を見てニヤッと笑いつつ、森は脅しを続ける。
「もしそこから一歩でも動いてみろ」
凛の首に突き立てたナイフの力をさらに強くして、
「こいつの首が跳ねるぞ」
「くっ!」
和泉は動けなかった。自分のせいで一人の尊い命が奪われるなど許されない。だがここでじっとしていても何にもならない。凛が殺されるのは時間の問題だ。
ナイフを突きつけられている凛は、体を震わせて和泉の方を見ていた。助けを乞うような危うげな表情から自然と声が聞こえてきた気がした。
(助けて、和泉さん……)
和泉は拳を握りしめた。これ以上じっとしていては森の思う壺だ。何とかして凛を助け出さなくてはいけない。高校生とは言えまだ子供。そんな彼女に死の恐怖を長時間与えるわけにはいかない。
(ん……?)
和泉はふとあることに気が付いた。森の黒い髪の毛、その一点に丸い小さな赤い光が見えたのだ。
(何だこれは。銃のポイントみたいだな)
和泉がその光の推測をしていると、
「動かないでください」
背後から少女の声がした。聞き覚えのある高いトーン。組織として地下で過ごす中で何度も耳にした声だ。
前にいる森と凛が目を見開いている。
彼らに倣うように和泉が振り返るとそこにいたのは……
「泉、ちゃん……」
か細く凛が声をあげる。
路地裏の入り口___先程和泉が現れた場所と同じ所に小さな少女が立っていた。その手に握られていた物に和泉は目を見張る。
(じ、銃! 本当に銃だったのか!)
泉はその小さな体に不似合いなほど大きく長い銃を構えて森の頭をポイントしていた。
「な、何のつもりだ!」
森が唾を飛ばしながら叫ぶ。
「動くなと言ったんです、森さん。あなたには見えないでしょうが、今あなたの頭をこの銃でポイントしています」
「な、何だと……!」
今度は森が歯を食いしばる番だ。遠くに立つ少女を見つめて森は目を見開き、白い歯を見せて怒りを露わにする。
だがそんな森には目もくれず、泉は強めの口調で言った。
「少しでも下手な動きを見せたら、この引き金を引きますよ」
森の熱い頬を、冷たい汗がつたって流れた。




