避難
「とりあえず一旦戻ろう」
黒川の鶴の一声で、未央と凛は最初に集合した巨大ビニールハウスに戻ることにした。戻る最中も凛を庇うように黒川と未央が左右の壁になって周囲を警戒しながら移動したが、怪しげな人物は見受けられなかった。
「凛、大丈夫?」
ビニールハウスに戻ってから柔らかな芝生の上に座り込んだ凛の肩を未央が優しく抱いた。
「う、うん、大丈夫。ありがと」
凛は笑顔で答えたが、その声は恐怖で震えているようだった。目は焦点を定めず泳ぎ、口はワナワナと小刻みに動いている。
「森さんの話だとここなら絶対安全だから大丈夫だよ」
黒川が二人を宥めるように言った。
「黒川さん」
凛が芝生を見たまま黒川を呼んだ。
「ん?」
「危ないって教えてくれてありがとうございました」
黒川は微笑んで首を横に振り、
「ううん、君の運が良かっただけだよ。僕は口だけで実際一歩も動けなかったからお礼言われる筋合いはないよ」
「それでも、黒川さんのおかげで助かりました」
凛はそう言うと黙って頭を下げた。
「凛ちゃん……」
うなだれる少女を見つめ、黒川が吐息を漏らした。
「黒川さん、一体誰が……」
「しっ!」
言いかけた未央の言葉を途中で遮り、黒川が指を口に当てた。
未央は反射的に口を両手で覆う。
黒川は凛を顎で示して首を振った。
未央にもようやく黒川が未央を遮った意味がわかった。
恐怖で震えている凛の前で話を盛り返すのは可哀想だと黒川が凛を配慮しての行動だったのだ。
「大丈夫ですよ」
だがそれに気付いたのか、俯いたままの凛が口を開いた。
「あたしも誰がこんなことしたのか知りたいですし」
黒川と未央は黙って凛を見つめていたが、やがてゆっくりと黒川が言葉を発し始めた。
「分かった。とりあえず犯人が誰なのか、それを一番に考えよう。いくら注意してても誰に狙われてるか分からない状態じゃ圧倒的に不利だ」
「凛は心当たりある? 最近喧嘩した人がいるとか」
未央の言葉に凛は黙って首を振った。
「もしかしたら未央が言ってたみたいに、組織の人かも」
絞り出すような声で凛が言った。
「組織の人?」
尋ね返した未央に頷き、凛は続ける。
「ほら、あたしが聞いちゃった会話の内容の時に未央言ったじゃん。口封じのために殺される可能性もあるって」
「う、うん」
確かに、この地下組織の代表である森の機密情報と思しき会話を聞いてしまったと凛が告白した時、未央は嫌な予感に駆られて凛に警告をした。「機密情報を聞いてしまったというような発言は軽々しくするものではない。もしそれを聞かれたら口封じに殺される可能性もある」と。凛はおそらくこのことを言っているのだろう、と未央にはすぐに察しがついた。
「じゃあ廊下での会話を誰かに聞かれてたのか?」
黒川がボソッと呟き、それに女子高生二人が驚きの声を上げる。
「そうじゃないと今の段階で攻撃してくるのはおかしい。予行演習で組織のメンバーは近くにもたくさんいる状況だったし、完全な外部の人物による攻撃とは考えにくいと思うんだ」
「ってことは」
「やっぱり犯人は組織の中の人……」
凛の閃きを未央が次いで言葉にする。
黒川は頷いて険しい表情を極めた。
「しかも相手は拳銃で凛ちゃんを襲ってきた。つまり、武器を持ってても怪しまれない立場にいる人物か、もしくはバレないように隠し持っていた人物か、このどっちかってことになり得る」
凛の後方で光ったもの。あれはおそらく拳銃の先端だろうと黒川は睨んだ。そこから考えると一つ、犯人について分かったことがある。
「犯人はきっと銃の扱いに慣れてない人物だ。少なくとも僕の位置からは完全に銃の先が光って見えた。拳銃の達人ならそんな真似はしないはずなんだ」
「じゃ、じゃあ、武器を持ってても怪しまれない人物っていうのは」
未央が気付くと、黒川は頷いて
「おそらく今回は違うだろうね。武器の扱いに相当慣れている人物じゃないと怪しまれる場合が多いから」
最初に考えた犯人の可能性、『武器を持っていても怪しまれない立場にいる人物』を切り捨てた。
そうなると、自動的に犯人として考えられる可能性に浮上してくるのは『拳銃をバレないように隠し持っていた人物』だ。予行演習という組織の群衆がごった返す状況で、ほとんどの人間は自身が持っている小型スマホに夢中になっている。拳銃の一つや二つ持っていたとしても気づかれる可能性は極めて低いとみて良い。さらに組織のメンバーの視線が手元の小型スマホに集中していることから考えても周囲に対する警戒心も薄れていることは明らかである。
そんな状況下での標的への攻撃は犯人にとって絶好のチャンスと言えるだろう。
だが不運にも犯人の思惑は外れた。
まず、一つ目の要因として『拳銃の先端が黒川の目に映ったこと』が挙げられる。凛に狙いを定めていたとするなら黒川が立っていた位置からは丸見えになってしまう。流石の犯人でも当日の他の人物の立ち位置までは予測できなかったに違いない。そこで誤算が生じ、黒川に異変を感じさせてしまったのだ。
そして二つ目の要因として『光を見て怪しんだ黒川が凛の後方への警戒を怠らなかったこと』が挙げられる。仮に銃の先端が日光に反射して光っても、それを見た黒川が特に違和感を覚えなければそこに警戒することもなく、狙い通りの標的を撃つことができた。だが、その光に黒川が違和感を覚えてしまったために、凛に注意喚起が行われて、標的を外してしまった。
おかげで凛は命拾いし、おさげの先端を弾丸がかすめた程度で大事には至らなかったというわけだ。
「とにかくしばらくは外に出ないでおこう。犯人がどこから狙ってくるか分からない」
黒川の言葉に未央も凛も頷いた。
すると突然三人を呼ぶ声がした。
「おーい! 大丈夫かー?」
走ってきたのは、地下組織の代表者、森と副代表者、和泉だった。
森が慌てた様子で問いかける。
「撃たれそうになったって聞いたんだが大丈夫だったか?」
「はい。命に別状はありません。あと毛先を少しかすめただけで済みました」
黒川の言葉に凛が立ち上がり、森はホッと胸を撫で下ろした。
森は凛の肩に手を置き、
「そ、そうか。良かった良かった。怖い思いをさせてしまってすまなかったな」
「い、いえ、こちらこそお騒がせしてしまってすみませんでした」
凛は森と和泉に頭を下げた。
「いやいや。何もなくて本当に良かった。とりあえずお前さんたちは基地に戻っといてくれ。状況調査とかは俺たちがやるから心配すんな」
森は笑顔で言った。
「ありがとうございます」
黒川のお礼と同時に未央と凛も頭を下げた。
和泉だけが笑顔を見せず、無表情のまま立っていた。




