相棒
「……それで、相談したいことっていうのは?」
狭いリビングの机の前に座っている黒川が未央に尋ねる。
「あぁ、それなんですけど」
キッチンでコーヒーを淹れ、リビングに運びながら未央は言った。
「黒川さんって何で警察官になろうと思ったんですか?」
「え? ていうか、僕の名前……」
まだ名乗っていないのに、と不思議そうな黒川の胸に指を差して未央は合図する。未央が指す方向には胸ポケットに入ったまだ少し新しい警察手帳___半分開いて名前が見えている___があった。
「ん? あ、あぁ! これか! って、見えてたらダメなのに!」
納得しかけた黒川は「よくわかったね」と半笑いしながら急いで警察手帳を閉じ、胸ポケットに押し込む。
「あ、で、何だっけ? 質問の内容」
「黒川さんが警察官になろうと思った理由です」
「そうだった、そうだった」
黒川はまだ動揺している様子で「えーっとぉ」と頭を掻いた。
「子供を助けたいって思ったからかな。君みたいにって言ったら失礼だけど辛い思いしてる子供たちを自分の手で救いたいなって」
「へぇー」
相槌を打ちながら未央もコーヒーを一口飲む。
「優しいんですね」
そう言ってニコリと笑う未央に顔を赤らめながら黒川は「そんなことないよ」と否定する。
「僕が子供の時から若年者による犯罪率が増加していってね。それを止めたいって思ったのもあるけど」
「充分優しいですよ。それで本当に夢も叶えられてるじゃないですか」
「うん、まぁね。勉強はしたから。それにいっぱいお金もかけちゃったのになれなかったら損だし」
(子供を救いたい、か……)
未央は黒川の言葉を心の中で繰り返した。今未央が抱いているこの気持ちも彼の純粋な思いと同じなのだろうか。仮に違ったとしてもどこか少しでも似ている所があるなら相談できる。
「それで、改めてというか相談があるんですけど」
キョトンと眉を上げる黒川をまっすぐ見つめて未央は言った。
「私に協力してもらえませんか?」
「協力?」
「はい。私、社会を変えたいって思ってるんです」
机の方に向けていた体を黒川の方に変えて膝を折り姿勢を正す。
「社会を変える?」
黒川が上げた眉を潜めた。この子は何を言っているのかと言わんばかりに未央を見つめる。当然だ。いきなりとんでもないことを言い出したのは未央なのだから。
黒川の言葉に頷いて未央は話を続ける。
「実は今日花奈ちゃんと会ってきて色々聞いたんです。花奈ちゃんの弟のことも」
「花奈の弟」という言葉に黒川がハッとする。
「正直私悲しかったんです。何で姉思いのいい子が殺人に手を染めるほど追い詰められちゃったんだろうって。咲夜くんの友達にそんなことをするような子はいなかったそうなんです。だから花奈ちゃんは咲夜くんの精神的なものだって思ってます。でも私は、何か違う気がして」
自分の胸の内を全て吐露するように未央は黒川の様子も確認せずにただ黒川の足元を見つめて、
「咲夜くんを変えたのはこの社会の風潮なんじゃないかなって思うんです。さっき黒川さんも仰ったみたいに若者の犯罪率が上がってる。だからちょっとくらい手出しても大丈夫かもって半分投げやりの気持ちが咲夜くんに芽生えてしまった。それが原因じゃないのかなって思ってるんです」
視線を上げ、黒川の瞳を見て未央は尋ねた。
「黒川さんはどう思いますか?」
黒川は未央の言葉、表情、考えに圧倒されていた。黒川からみれば未央はまだ小さな少女だ。そんな彼女が見知らぬ少年の末路を心の底から悔やんでいる。そして今後のために変えたいと思っている。その事に衝撃を受けていた。
「黒川さんが子供を救うために警察官になりたいと思ったって聞いて安心しました。私の気持ちと似てる……ううん、同じなんじゃないかって。同じ気持ちを持ってる人同士なら協力できるんじゃないかなって」
黒川は思った。確かに表面上では自分と目の前の少女の考えは似ている。どちらもこの世の中を変えたい、救いたいという切実な気持ちの表れだ。
だが蓋を開けてみればその差は明らか。
黒川はただ漠然と子供を救いたいと願った。だが未央は知り合いの女の子の弟のような子供が現れないようにと具体的な根拠をもって子供達を救うべく世界を変えたいと願っている。
どう見ても黒川の方が劣っている。
それでも目の前の少女は自分に協力を求めている。未だはっきりとお願いされたわけではない。だがもうすぐ頭を下げられるに違いない。
もし本当にそうなったら黒川はちゃんと未央の期待に応えることが出来るだろうか。未央が望んだ通りに手を差し伸べられるだろうか。
「お願いします」
未央の心からの叫びが聞こえた。黒川はハッとして目の前の少女をもう一度見る。
未央は正座をして地面にこすりつけでもするような勢いで頭を下げていた。
「一緒に世界を変えてください」
「世界を、変える……」
その言葉はただの幻想だと黒川は思っていた。漫画などの作り話、夢物語でしかないはかない物だと。
だがそんな哀れな考えは一人の少女によって壊されかけている。
目の前で必死に懇願する彼女。この子とならそんな「奇跡」と呼ぶべき現象を起こせるかもしれない。
黒川の目標であり未だ成し遂げられていない使命は未央の願いと類似している。いや、ほぼ同じだと言っても過言ではない。
あの月夜の日に上司である課長を刺した少年のために、かつて犯罪を犯し尊い命を奪った少女と、これから自分は行動を起こす。
果たしてそんなことが叶うのだろうか。だがもし、もし許されるのであれば___。
「うん」
黒川は決意を固める。
「一緒にやろう」
未央の顔が輝いた。心から安心した様子のその表情に少しだけ小さな希望が見えた気がした。
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