発症
一週間が経った。昼だと言うのに、東京の空は肌寒い。カメラを片手に、虎斗は身を震わせた。
「もうそろそろか」
安物の腕時計をちら見し、呟く。電線に停まる鳩にシャッターを切りつつ、虎斗はビルの建ち並ぶ街道をのんびりと歩いた。
彼は待ち合わせをしていた。待ち合わせ場所は、公園の噴水前だった。
「待ったか?」
相手を、見つけ手を上げる。パラパラとメモ帳をめくりながら顔を上げたのは、黒縁眼鏡をかけた、長身の若者だった。
「電車に遅れるなら早めに言えよな」
「悪い悪い」
少し不機嫌な彼の反応に、虎斗は素直に謝る。若本裕二、二十五歳。虎斗の高校時代の同級生であり、親友。頭脳明晰冷静沈着、優等生を絵に書いたような人間であり、虎斗が最も信頼している男でもある。
「まあ、とりあえず」
軽く伸びをし、虎斗は少年のような顔で裕二に笑いかける。
「就職おめでとう」
「ありがとう」
裕二も素直に微笑んだ。
ベンチに座り、虎斗は煙草に火をつける。少し目を細めながらも、裕二はそれを止めなかった。
「しかしすごいよな。まさか医者になるなんて」
大学で医学部を専行していた裕二は、大学では一、二を争うほどの成績を残し、内科医としての第一歩を都内の大きな病院で踏み出すことが決まっていた。
「まだまだこれからだよ、医療も病気も常に進化するんだ。こんなとこで立ち止まってたらすぐに置いてかれる」
少し照れた様子だが、謙遜した様子で裕二は答える。
「そんなもんかね」
よく分からないと言った顔で、虎斗は紫煙を吐く。
「お前もぼんやりしてていいのか?」
嫌味じゃないことは分かっているものの、その一言は虎斗にとってはチクリと痛かった。
「俺には俺の道があるの」
曖昧に言葉を濁す。カメラマン、詩人を語っているものの、虎斗の作品は出版社の箸にも棒にも引っ掛かったことはない。高校を卒業し、大学を受けずにバイトとカメラを続け早七年。そろそろ、一つの決断を迫られていることは自覚している。
「正直、お前の夢は…俺が選んだ道よりも実現が難しい世界だと思う」
「……」
言い返せない。頭の中では分かっていることだからだ。心に靄がかかる。
「でも、俺はお前の作品は嫌いじゃない」
そう言って、裕二はにこりと笑って見せた。裕二のこういうところはつくづくずるい。虎斗はそんなことを思いつつ、苦笑しながら口を開いた。
「まあ、とりあえずあと一年だけ続けて…」
そこで、会話が止まった。
「(あれ?)」
異変に一番最初に気付いたのは虎斗だった。同時に、デジャヴを見た。
「虎斗?」
裕二の質問に、虎斗は明後日の方向を見たまま、反応できずにいた。
「(これは、この前の)」
「虎斗、おい、どうしたんだ? 虎斗!」
裕二の声がどんどん小さくなっていき、視界が白く染まっていく。
「(あの時の…目眩)」
どしゃ、という音と同時に、虎斗の意識はこの動の世界から遮断された。
コンクリートの冷たい感触。それが虎斗の、この日の最後の記憶だった。




