あとがき
長編と呼ぶには足りないが、短編以上の小説を完結させられたのは、今回が初めてです。長かった。でも駆け抜けて見れば一瞬だったかも知れません。
この小説は、プロットだけなら、実は五年前に完成していました。しかし仕事やスランプ、精神的ストレスから、なかなか筆(携帯?)を取ることが出来ませんでした。
ようやく書き始めてみれば、話の展開に見つかる見つかる矛盾点。何が書きたいんだ自分はと、とにかく執筆の難しさを痛感しました。
特に裕二の死亡からクライマックスまでの流れは二転三転。とあるサイトの日記には書きましたが、作者は裕二を死なせたくありませんでした。「死」は必然的に、「悲しみ」を呼び込んでしまう要素だからです。
今まで書いた詩や小説を読んでくださった方々は承知だとは思いますが、自分は、「死」「恋人、友人の死」「闘病」「浮気」などのキーワードから生まれる感動が嫌いです。捻くれ者ですいません。だってあまりに量産されすぎて、「哀」が過剰接種されているんですもの。
しかし、開いて見れば闘病。矛盾かも知れませんが、自分は「救いのある闘病」「明るく、強さと笑いと救いがある感動」をどうしても追及したかったのです。
屋上シーンからの落ちは、本当に迷いました。本編では「春菜の再発」、「虎斗の再発」、「虎斗の努力」の流れでしたが、これが「春菜の再発」、「虎斗の再発」、「春菜がカメラで起こす」、「実は全部虎斗の夢でした」などという意味不明な落ちや、「春菜が目覚めた後、過眠症の治療方法が進み、睡眠時間が短くなる方法が見つかる」といったハッピーエンドまっしぐら展開など、いろいろ案がありました(笑)。
しかし最終的には春菜が虎斗を目覚めさせ、また、二人の闘病が始まる。という結末で締めくくったのは、やはり「頑張る」と言うコンセプトと二人の絆を大事にしたかったからです。
思えば二人も気付けば随分仲よくなりやがりました。これは作者の想定外です(笑)
表現が足りなかったなと今では反省していますが、春菜は二十代の女性ではあるものの、過眠症により心は十代後半というつもりで描いてきました。
二十五歳の虎斗と、高校か大学生くらいのまだ青春時代の春菜との繋がり。この二人の絆が恋愛か何なのかは、作者にも実は分からないのです。そもそも無駄にベタベタしたのは嫌いだから、ハグとかキスシーンとかは断じて却下してましたし(笑)
ただ分かることは、二人の絆は友情よりもっと深く、強いものだということ。もしかしたら家族愛なのかもしれませんね。でもここは敢えて……読んでくださった方の御想像におまかせします(笑)
きっと二人はこれからも、強く、明るく、支え合って生きて行くことでしょう。支えてくれる人はきっとそばにいる、見つかる。あなたにも誰かを支えることは出来る。
もしそれを少しでも感じていただけたなら、自分は感無量です。
最後に、この小説を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
拙い小説だったかも知れませんが、これを経験に、新しい作品を更に楽しく書ければなと思います。
新しい作品が出来ましたらまたお会いしましょう。
では、また。