貴女が私に頑張れと言うのなら
目の前が白くなり、しばらくすると、瞼に遮られた闇が広がり、私ははっとして目覚める。
「……あ」
どうやら私は寝てしまったらしい。長い眠りによる筋力の衰え。若干の気怠さ。私はまた、過眠症を再発させたらしい。
「いいところだったのにな」
あれはきっと去年より前のことなのだろうが、私にとって、あの出来事は昨夜に起こった話である。
いいところ……自分で呟いておきながら、なんだかこそばゆく、恥ずかしい。いけない。また顔が熱くなっている。悪い癖だ。
ベッドの横、病院から支給されている小さな机の上に、見慣れないノートが数冊詰まれていた。私の物ではない。
体はまだうまく動かないが、何とか手の届く距離だ。私は若干痙攣する手を伸ばし、「1」とマジックで書かれたノートを手に取り、開いた。
「十二月三十一日」
『十二月三十一日』
おはよう春菜。悪くない朝だけど、今日は寒い。目茶苦茶寒い。ずっと布団の中に籠っていたい気分だし、どうせだから明日から始めたほうが見栄えがいいかなとも思ったけど、俺のテンションが変わる前に始めようと思う。
春菜が頑張れって言ったから。今日から俺なりの頑張りを、ここに記録する。
下手な字で書かれたそれは、私に宛てられたものだった。
私が頑張れと言った、私に頑張れと言われたその人のメッセージは、「5」まで続いていた。
『三月七日』
おはよう春菜。相変わらず寒い朝だ。でも、ようやく冬は終わるらしい。個人的には春より冬の方が好きなんだけどね、寒いけど。
そうそう、昨日は大事件があったんだ。六号室の患者さんが目を覚ましてさ。後藤さんっていう、四十過ぎのおじさんなんだけど、七年振りに起きたみたい。かなり精神的に重症みたいで、何とか話をしてみたんだけど、塞ぎ込んじゃっててさ。
看護婦さんの話によると、俺と同じくらいの年で発症したらしいから、精神年齢はまだ三十前後。俺も将来は、そうなるのかな。
でも、なんとかしなきゃいけないよな。俺は、頑張るって決めたんだし。春菜が俺を支えてくれたみたいに、俺もあの人を、絶対に救ってみせるよ。
『三月十日』
おはよう春菜。今日は微妙に暖かい朝だ。ちなみに後藤さんはリハビリ中。まだ足の筋肉が弱ってて、車椅子状態。
でも、昨日初めて、後藤さんと話が出来た。少しだけだけど、後藤さんは笑ってた気がする。
春菜のことも教えてあげたよ。そうしたら、「君は運がいいね」だってさ。どういたしまして。
俺、後藤さんを救えたのかな。次に後藤さんが眠りにつくまでに、俺は後藤さんに何が出来るかな。
『三月二十二日』
おはよう春菜。九州あたりでは、桜が咲き初めているらしい。おかげで少し寝坊した。
後藤さんが昨日の夜に、再発して眠りについたって、武田さんから聞いたよ。また、しばらくは静かになる。
後藤さんは、もうそろそろ再発が近いって、薄々勘付いていたみたい。看護婦さんから、後藤さんからの手紙を貰ったよ。三日前から、再発したら俺に渡すように頼んでたみたい。
『俺は運がいい』って、ただそれだけ書いてあった。柄にもないけど、ちょっと泣いた。
俺、頑張れたかな。
『三月二十三日』
おはよう春菜。
『おはよう』
全てがそこから始まる日記。毎日書かれ、所々に数週間のインターバルが置かれたその日記は、毎日、春菜におはようと呼び掛けていた。