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惜別

 裕二が死んだ。死因は、人通りの無い一本道を軽自動車で運転中、道を急に外れ、アクセルを踏んだまま電柱に衝突した、というものであった。詳細は定かではないが、裕二の体からはアルコール等を摂取した形跡は無く、居眠り運転の可能性を視野に入れ、現在調査中、とのことである。


 十二月二十四日。午後五時十五分。橘春菜は目を覚ました。

「……」

 体がだるい。何もしたくない。どれだけの涙を流し、何度泣き疲れ、何度目を覚ます度に涙したか、覚えていない。ただ、ベッドの横に置かれた、裕二のクリスマスプレゼント。それが目に入るだけで、まるで科学反応のように涙が溢れるのだ。

「若本さん……」

 紙袋を手に取る。確かに感じる重さ。丁寧に包装された緑の紙に包まれたラッピング。

「……」

 その紙包みを、春菜は開けずに、元の位置に置いた。紙包みが捨てられたペットのように、カサリと音を立てた。

「開けないの?」

 ドアを開け入って来たのは、琴美だった。

「開けたくないんです」

 視線を合わせず、春菜は返答する。

「無理に開けろとは言わないわよ、ただ……」

 ドアから一歩も動かず、琴美は続ける。

「あいつが、一生懸命頑張って、買ってきたプレゼントだからさ、無駄にはしないで欲しいな」

「強いんですね、琴美さんは」

「そう、かな」

 琴美は苦笑し、春菜は視線を落としたまま、時は過ぎる。

「あいつ、生意気だからさ」

「生意気、ですか?」

「昔からひょろひょろなガリ勉のもやしのくせして、こないだ私に頑張れとか言ってきたんだ」

 春菜の反応は無い。

「あいつに最後の最後に、頑張れなんて言われたらさ……頑張るしかないじゃない? 私は、みんなのタイガー姉さんなんだからさ」

「琴美さん」

 初めて顔を上げた春菜は、はっとした。そこにいた琴美は、強い女性、タイガー木村ではなかった。ただ、無様な笑顔を浮かべる、木村琴美という名の、一人の女性だった。

「馬鹿だよね……寝不足にならない程度に頑張れって、言ったのにさ」

 目を細め、琴美は笑う。赤くなった瞳で、腫れた瞼で。

「虎斗、部屋にいないみたいだからさ、私、帰るね。虎斗によろしく」

「えっ」

「……それじゃ、あんたも頑張ってね」

 ぐっと笑顔を作り、琴美はドアを閉めた。カツカツと、急ぎ走り去って行く足音が聞こえる。その足音は、琴美の心情を知るには余りあった。

 

「虎斗、部屋にいないみたいだからさ」

 

 琴美の言葉が、頭に残った。


 何時間経っただろう。ただ、何かに思い耽るような、何も考えていないような時間。気付いた時には、窓の外はとうに暗く、イルミネーションは意味も無く、色鮮やかに世界を彩っていた。

「……綺麗」

 ほそりと呟く。ようやくベッドから離れた春菜は、力無く窓ガラスを撫で、その光景を眺めた。

「(木村さんも、見てるかな)」

 ふと、春菜は虎斗の顔を思い浮かべた。彼ならきっと、飽きるまでカメラを回し、屋上にまで上って呑気にこの夜空を眺め、私は何気なくそれを楽しみ、それを見つけた裕二が、きっと私達をからかうのだろう。

「(駄目だ、また泣きそうだ……)」

 ぐっと堪えられたのは、きっと琴美のおかげだろう。

 とりあえず虎斗に会いたかった。ただ、今会わなければ、耐えられない。そんな気がした。

 

 部屋を出、隣の虎斗の部屋に入る。

「木村さん、いますか?」

 返事が無いのは分かっていた。ドアを開けた瞬間から、そこには誰もいなかったのだから。それでも、春菜は敢えて、虎斗を呼んだ。

「……寒いな」

 虎斗は呟いた。何本の煙草を吸っただろうか。分かってはいたが、冬の屋上は、寒い。ただ、凍えるまで煙草を吸っても、今は何も感じない。何かを感じたいが、寒さすら、感じているかが分からない。震える気力すらない。

「木村さん」

 声がした。聞き覚えのある、いや、聞き慣れた声か。

「そんなところにいつまでもいると、風邪引きますよ」

「いいよ。今日は別に風邪引いても、なんともないだろうからさ」

 そう言いながら、煙草に火をつける。

「吸い過ぎは、体に毒ですよ」

「……ほっといてくれ」

「今日は、雪、降るみたいですから、あまり外にいると」

「ほっといてくれよ」

「体を労らないと過眠症は悪化しやすいって、若本さんも……」

「ほっといてくれって言ってるだろ!!」

 初めて、虎斗が怒鳴った。

「俺が、裕二を殺したんだ!」

「木村さん……?」

「俺があいつを何度も呼んだから……あいつは死んだ。あいつの医者への道をずっと邪魔しなかったら、過眠症がうつることはなかったんだよ!」

「違います! 過眠症は感染する可能性は低いって若本さんが」

「可能性がゼロなわけじゃないだろう!」

「虎斗さん!!」

 初めて春菜に、木村ではなく、虎斗と呼ばれた気がした。

「頑張って、ください」

 どこか、最近聞いたような、弱々しい声。そしてその時より、か細く、千切れそうな声。

「頑張って……頑張ってくださいよ」

 

「(ああ、そうか……)」

 

「若本さんは、頑張ってたんです。琴美さんも、今、頑張ろうとしているんです……」

 

「(昨日も、こんな声出してたっけな)」

 

「私も、頑張りたいんです。でも、私は若本さんみたいに、琴美さんみたいに強くないから、だから……」

 

「(また、俺は春菜に)」

 

「虎斗さんまでそんなになったら、私は頑張れないんです! 虎斗さんがいないと、私は! 私は……!」

 春菜の手が、背を向ける虎斗の服を掴んでいた。

「春菜…」

 口を開いた虎斗の声に、悲壮は、焦燥はなかった。

「ごめん、春菜。俺……」

 沈黙があった。

「ふふ」

 そして背後から聞こえたのは、いつもの、聞き慣れた、いつも聞きたかった笑い声だった。

「呼び捨ては、初めてですね」

「そう……だっけ?」

「そうですよ」

 春菜はくすくすと、しかし嬉しそうに笑った。でも、別に、虎斗の声に動揺は無く、その頬に赤らみが浮かぶことはなかった。きっとそれは、もっと早く、当たり前になるべきことだった。

「俺、また春菜に助けられたな」

「そんなに、私虎斗さんを助けてましたっけ?」

「さあ、どうだろね」

「意地悪ですね」

 楽しそうに不満を漏らす。そのやり取りは、こんなにも、こんなにも……。

「春菜……」

 雪が降って来た。

「なんですか? 虎斗さん」

 雪が降って来た。

「ありがとう」

「虎斗さん……ごめんなさい」

「……え?」

 背中を掴む感触が消えた。とさりというわずかに乾いた音だけが、響いた。

「春菜……?」

 振り返った。春菜は、視線より下に、いた。

「春菜?」

 春菜は僅かに白い息を優しく吐きながら、返事をすることはなかった。

「春菜!」

 声を荒げ、春菜を抱き上げる。穏やかに吐息を立てる春菜は、まるで人形のように、虎斗の腕の中にいた。

「いくらなんでも……これはないだろ……」

 虎斗は声を震わせ、天を仰いだ。

「こんなのないだろ!!」

 涙が、溢れた。

「春菜だけじゃないんだよ。俺……俺、いつも、裕二に頼りっぱなしでさ、いつも姉さんに助けてもらっててさ……俺なんて大して強い人間じゃないんだよ! 目茶苦茶情けない大人なんだよ! それなのに……!」


 雪が……。

 

「春菜……今寝たら……俺、なんにもできないじゃないか!!」

 

 白く……。

 

「俺、春菜みたいに……毎日笑ってられるほど、強くないんだよ……」

 

 全部、白く広がって……。

 

「春菜……春菜……」

 

 もう、上を見ても、下を見ても、春菜を見ても、全てが真っ白に広がって……。

 

「……春菜」

 

 全てが、白くなった。頭の中まで、全てが、白くなった。

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