対峙
「いや悪い悪い。わざわざ忙しいのに付き合わせて悪かったな」
十二月十五日、午後三時過ぎの池袋。いつぞや待ち合わせをしたあの公園で、紙袋を片手にぶら下げながら、虎斗は呆れ顔の裕二をよそに、ベンチに腰かけた。
「まったく、いくら見回りが三時間おきだからって、本当に脱走して来るだなんて…姉貴にばれたら外科に世話になることになるぞ」
「まあまあ、ちゃんと見回りが来る前には戻るからばれないって」
姉の名前を出され、虎斗は一瞬顔を強張らせたものの、悪びれた様子無く煙草に火をつける。その姿に病人独特の弱々しさは感じられない。
それを感じた裕二は一瞬表情を和らげ、そしていたずらに口元を緩める。
「まあ、今回だけは可愛い彼女へのクリスマスプレゼントってことだから、黙っておいてやるよ」
「ば、馬鹿、そんなんじゃないって!」
「知らぬは本人ばかりなり、か」
「裕二!」
口論で裕二には勝てないと悟ったのか、降参した様子で虎斗は裕二を睨んだ。
「ただ、本当に今回だけだからな?」
「わかってる。ありがとな」
珍しく反論せず、虎斗は裕二の忠告を素直に受け入れた。
「次脱走したら、本当に姉貴に報告するからな?」
「それだけは…」
まるで借金取りに泣きすがる貧乏人のように、虎斗は弱々しい表情を裕二に一瞬送ったが、ふと今朝の電話の内容を思い出し、口を開いた。
「この前、姉さんに手紙かなんか書いた?」
その言葉を聞いた瞬間、裕二の表情は一気に青ざめてしまった。
「た、虎斗? そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか? 電車に間に合わなくなるぞ?」
「裕二? お前何か隠して―」
「話せば長くなるからまた今度、な?」
「…わ、分かった。それじゃ、また今度な」
強引に背中を押され、虎斗は不満げな表情を残しながらもそれに従う。
「虎斗」
ふと裕二に呼び掛けられ、虎斗は振り返った。
「頑張れよ」
「ん? あ、ああ…」
その言葉を理解したかしてないか、虎斗は首を軽く捻りながら、公園をあとにした。
「ふう…」
目先の問題が片付いたのか、裕二は小さく息を吐く。
「さすがに、虎斗に話すわけにはいかないよな…」
「何がいけないのかな?」
背後で声がした。聞き覚えのあるその声に、裕二は戦慄を覚える。
「そ、その声は…」
恐る恐る、振り返る。
「はあーい、お久し振りね。寝不足眼鏡君」
ジーンズに白のシャツ。サングラス姿に、脱色をしたロングヘアーの背の高い女性は、小悪魔のように裕二に手を振っていた。
「あはは…今日は休みでしたか、タイガ―」
「琴美でいいでしょ」
引きつった顔で挨拶する裕二に対し、タイガー木村こと木村琴美は容赦なくボディに拳をお見舞いする。
「ぐおふっ」
「下らない手紙よこしたお返しよ」
悶絶する裕二を一瞥しながら、琴美は黄金の右をバキバキと鳴らした。
「仕方ないじゃないですか」
二、三度むせ返りながら、裕二は呟く。
「何が仕方ないっていうのよ」
「何故、虎斗のお見舞いに行ってやらないんですか」
琴美は言葉を詰まらせる。
「い、今は仕事が忙しくて…」
「本当にそれだけですか?」
問い詰める裕二の声には静かだが、微かに怒気が混じっているように聞こえる。
「…まいったわねどうも」
苦笑しながら、先ほどまで虎斗が座っていたベンチに腰掛ける。
「高校の頃は貧弱なモヤシだったくせに、私に噛み付いて来るなんて」
「モヤシだって光を浴びれば味が出るものです」
横に座り、ずれた眼鏡を直す。
「それで、なんで会わないんですか?」
「……」
琴美は遠くを見つめたまま、口を開かない。
「琴美さん」
「分かってるわよ。行かなきゃ行けないことくらい。これでもあいつの姉だしね」
煙草に火をつけながら、琴美は呟く。
「少し怖いんだ」
「え?」
意外な言葉、予想外の琴美の弱音に、裕二は目を丸くする。
「だってさ、信じられないじゃない。あの馬鹿の虎斗が、不治の病なんてさ…」
太股に置かれた片手が、小さく、拳を握る。
「今まで散々あいつのこといじくって、馬鹿にしてきちゃったからさ…今ごろになってあいつに、なんて言葉かければいいのか、分からなくなっちゃった…」
「……」
男勝りの姉である琴美は、情けない顔で笑う。
「情けないわよね? タイガー姉さんがこんなことでうじうじしてるなんてさ」
「そうですね、すごく情けないです」
強い裕二の戒めの言葉に、琴美は視線を落とす。
「でも、案外可愛いとこあるんですね、琴美さんも」
「なっ!?」
あまりに唐突な言葉に、琴美は顔を真っ赤にして目を丸くした。
「少し安心しました」
そう言って、裕二は表情を和らげる。
「それじゃ、今日は俺から、タイガー姉さんにアドバイスです」
ベンチから腰を上げ、裕二は一言。
「とりあえず、頑張ってください」
「それ、あたしの受け売り」
「あれ、そうでしたっけ?」
不満を零す琴美をよそに、裕二は微笑みながら、琴美を見た。
「心配はいりませんよ。あいつはちゃんと、こっちの態度に応えてくれる奴ですから。それじゃ、忙しいので、俺はこれで」
「裕二」
踵を返し歩き出す裕二を、琴美は呼び止めた。
「…寝不足に、ならない程度に、な」
「ありがとうございます」
心地よい様子で礼を返し、裕二は公園を後にした。
「……」
ぼんやりと、琴美は長さが半分になった煙草を眺めていた。
「まいったわね…」
と、ジーンズのポケットの中の携帯電話が震えた。
「もしもし? …はいはい、分かっていますよ。収録時間までには戻りますから…」
火のついた煙草を灰皿に捨て、琴美は立ち上がった。
「気付かないうちに大きくなっちゃって…」
太陽が橙に染まりかけた冬の午後、そんな太陽を細目で見つめ、琴美は背伸びした。