電波
「はいはーい、皆様こんばんは今夜も始まりましたタイガー木村の『死ぬまで生きナイト』!」
軽快なBGMとともに聞こえてくる、男らしい活気を前面に押し出すその若い女性の声は、赤く小さなラジオから流れ出ていた。
「はてさて、クリスマスまで残すところあと一週間! 若いお嬢さん方は今頃ゲレンデが炎上するくらい胸をときめかせている頃でしょうか?」
一人で使うには少々広いその病室、多数の音楽雑誌とクラシックCDが並び、そしてその横に使い古されたヴァイオリンが立て掛けられているその部屋に、赤いラジオは置かれていた。
「しかーし世の女性方! 乙女チックも大概にせんと、タイガーお姉さんがきつく喝を入れちゃうからね! 嫉妬じゃねーぞ!」
物静かな雰囲気の中、女性の声にしては若干、いやかなりお淑やかさに欠けるそのトークはスピードを落とすことなく続けられる。
『タイガー木村の死ぬまで生きナイト』、タイトル通り、女性司会者であるタイガー木村によって繰り広げられる、深夜の人気ラジオ番組である。
破天荒かつ辛口、それでいてリスナーへのサービスを忘れない、タイガー木村の独特なトークが、ツンデレ指向を好む今の若者には好まれているらしい。
「それでは今日もはりきってまずはこのコーナー! 『ジャガー姉さんの半殺しお悩み相談室』!」
何故かBGMに『極道の女たち』のテーマが流れる。今や一人のリスナーとなっているその部屋の住人は、小さく笑みを浮かべながら、そのラジオに耳を傾ける。
「それではまずは最初のお手紙から。ペンネーム『黒猫になりたい三毛猫』さんからのお悩み相談!『タイガーの姉貴こんばんは』はいこんばんは、てか姉さんと呼びなさい。あたしゃ極道か!『僕の家の祖母が、いつも飼っている鶉のヅラたんに手作りのカツラを被せて遊んでます。当人は楽しそうなのですが、これって動物虐待ですか?』…ふむ、それじゃタイガー姉さんが一言物申す!」
小さく息を吸う音が聞こえた次の瞬間、
「知ったことか!!」
タイガー木村の怒号とともにダイナマイトが爆発した時に使いそうな効果音が弾ける。
「そもそも鶉でカツラでヅラたんて! いろんな意味で狙ってるだろ三毛猫!」
もっともなツッコミである。
「しかしまあ、可愛い、と思うからよし! 是非今度写真を送ってこい、すっげえ気になるぞ! ただ鶉の心配する前に自分の心配もしろ三毛猫、クリスマスを鶉と過ごす男なんて笑えなさそうで地味に笑えるからな!」
喜々とした様子でリスナーに喝を飛ばすタイガー木村。真冬の深夜の暑いトークはまだまだ続く。
「それでは次のお手紙、ペンネーム『寝不足眼鏡』さんからのお悩み相談、どんと来い!」
数秒の間。
「『タイガー木村さんこんばんは』、はいこんばんは。今度は改まりすぎだ! 律義だな眼鏡だけに!」
再びペースを取り戻したかのようにタイガー木村は喋り出す。
「『僕には小さい頃から付き合っているとても仲の良い友人がいます』。おお、いいこった。『しかし先日、その友人が重い病気にかかってしまい、退院の目処が立たない入院生活を送っています。今の僕に、彼に何かしてやれることはできないでしょうか』…」
再び、数秒の間があった。
「よし、眼鏡、あたしからのメッセージ、耳の穴かっぽじってよく聞けよ?」
小さく息を吸い、タイガー木村は、
「とりあえず頑張れ!!」
ずどーん、大きな叫び声はやはりダイナマイトの破裂とともに全リスナーに届けられる。
「あ、今投げやりだとか思ったろ、違うからな?」
男口調でハイテンションのタイガー木村の声のトーンは、先ほどより少し抑えめに聞こえた。
「いいか眼鏡。あたしらは医者じゃないんだ。病気のことは医者にしか分からない、そうだろ?」
その声には、どこか力強い決意を感じさせる重さがある。
「お前のダチが本当に信頼できる奴なら、お前はただ、そのダチのためにがむしゃらに、もがいてもいいから頑張りゃいいんだ。そいつがつまらない男じゃない限り、いつかはお前の気持ちに応じてくれるはずだ。だからとりあえず、寝不足にならない程度に頑張るんだぞ? ったく、クサい台詞言わせるんじゃねえよ。そんじゃ次…」
十二月十五日、朝七時、携帯電話の着信音に耳を掻き回され、虎斗は目を覚ました。
「…もしもし?」
こんな朝早くから一体誰だといった様子で、不機嫌そうに虎斗は電話に出る。
「あたしだけど」
どことなく強気な女性の声だった。
「珍しいね、姉さんが朝起きてるなんて」
「別に…」
ばつが悪そうな様子で、姉と呼ばれた電話の主は言葉を濁す。
「今移動するから待ってて。部屋で電話したら看護婦さんに怒られるから」
「ああ、すぐ終わるからその場でいいよ」
「?」
小さく息を吸う音が聞こえた。
「今度あんたの友達が来たら、あんな手紙送るなって伝えといて。仕事に私情持ち込まれるとパニくるから」
「は?」
「私も、とりあえず頑張るからさ」
「…は?」
「それじゃ」
ぷつっと一方的に、電話は切れた。
「…あ、昨日放送日だったな」
思い出したように、虎斗は開いた携帯電話を畳んだ。
「…久々に母さんに顔出しにでも行くかな」
西武池袋線、電車は今日も走り出す。線路沿いの細い道路に、小さな黒い軽自動車を停車させていたその女性は、そう呟きながら携帯を助手席に置き、アクセルを踏んだ。