婚約破棄されました
侯爵家令嬢である私はたった今婚約破棄をされました。
目の前にいるのは『元』婚約者である王子とその王子が見初めたらしい少女がいます。
外見は、まあ可愛らしいですね。庇護欲をそそる小動物タイプ、というところでしょうか。……とても国を背負っていけるようには思いません。
国を導くというのは本当に大変なものなのです。全国民の見本となるために自分を押し殺し、時には残酷な決断をしなければいけません。彼女にその覚悟があるというのでしょうか?
私が大きくため息をつくと二人の体がびくりと反応しました。
「話はわかりました」
「……本当にわかってるのか?」
王子が不審げな目に私は「ええ」と答えます。
「今後一切その方に近づかず、余計な手出しをするな、ということですわよね」
「ああ、そうだ」
私が少女に目を向けると王子が守るように彼女を背に隠します。なんとお熱いことでしょう。全くもって羨ましくありませんけど。
「その上、もう二度と婚約者と名乗るな、と」
「それは」
「ええ、わかっております。貴方はその方と添い遂げたいのですよね」
王子の言葉を遮るなんて本来なら不敬ですが、この場合はいいでしょう。どうせこの方の口から大した言葉が出てくるはずもありませんから。
それにしても、本当に呆れてしまいますわ。
婚姻も王族の立派な責務ですのに、それを真実の愛を見つけたとかこの愛を貫くとかそんなことで放棄するなんて、いつから王子はここまで愚かになったのでしょう。思えば、彼女が現れてからおかしくなりました。
まあ、そんな無責任なことをする男なんてこっちから願い下げですが。
だけどこれだけは言っておかないといけませんね。
「お言葉ですが、彼女はただの平民。貴族てもない娘が王族と結婚なんてできるわけがありませんわよ」
「お前は、またそんなことを……」
王子は私を由々しげに睨みつけます。幼い頃は笑いかけてくれたことも合ったのに、今はそれも遠い過去。
「身分なんてそんなことどうでもいいだろう。大事なのはお互いの気持ちだ!」
王子の言葉に、私は思わず失笑してしまいます。
確かに人間の中身は大事ですが、だからといって身分を軽んじていい理由にはなりません。貴族には貴族として生まれた者としての義務があります。それはこの国の発展と繁栄の為に尽力し、民を守ること。身分をないがしろにするということは、民をないがしろにすることと同義なのです。
「だいたい」
「もう、結構。わかりました」
これ以上交わす言葉などないと感じた私は席を立ちます。時間は有限であり、無駄にするものではありませんから。
「婚約については私の独断ではどうにもできないので、父上にご報告させていただきます。……そちらもお父上に話がいっていないようですが」
貴族の婚約とは家同士で交わされる約束。当人だからと勝手な行動を起こして良いわけがないのですが、今の王子にはそれさえわからないのでしょう。王子への愛想はもう尽き果てました。
ですが、国王は大変な思いをなさるでしょうね。婚約を一方的に破棄されたとなれば父上は当然激怒なさる。侯爵たる父は王には決して無下にできない相手。王子は愚かですが、王は聡明な方です。侯爵家当主と王位継承権第一位の王子ならどちらを優先すべきかわかるはず。最悪、廃嫡されるに違いありません。
ですが、そんなことにも気づかない愚か者共に忠告するほど、私は親切ではないので、せめて今のうちだけその思い上がった幸福を噛み締めておくといいでしょう。
ああ、そうそう。
「あなた」
「は、はいっ」
私は少女に声をかけます。おそらく、私を婚約者から引きずり下ろすことに成功して内心ほくそ笑んでいるであろう彼女に。
「前々から言っていたと思うけれど、マナーが全くなってませんわ。宮廷マナーもろくに使えないのによく王族に嫁ごうなんて思えましたね。よほどその頭は空っぽなのですね」
これでも私は何度も彼女に言いました。王族と結婚することはそれはそれは大変なことなのだと。ですが、彼女はそれをただの脅しとしか受け取らなかったようです。頑張りが実らないというのは、本当に虚しいことです。
「お前っ……!」
王子が後ろで何か言っていますが、もう知ったことではありません。
これから先、少しでも彼らが痛い目に遭って改心してくれることを祈るばかりです。
「……はぁ~」
背を向けて歩く女がやがて見えなくなり、俺は重い息を吐く。……相変わらずあの女と話すのは疲れる。
「大丈夫?」
俺を心配そうに見つめる彼女に「大丈夫だよ」と返す。彼女といると、本当に心が休まる。
「ごめんな、嫌な思いをさせて」
「ううん、私は平気。……それより、あのひと大丈夫なの?お父さんに言うって言ってたけど……」
「ああ、大丈夫大丈夫。あいつはともかく、あいつの両親はまともだからさ、ろくに取り合わないさ」
本当に、なんであの両親からあんな娘が生まれたんだって不思議になるぐらいいい人達だ。だからこそ、あんなのに振り回されて、本当に同情する。
「それに婚約がどうのこうのってどういうこと?」
恋人としてそこは気になるらしく突っ込んでくるが、どういうこともなにもない。
「全部あいつの虚言だよ。そんなこと、間違ってもありえない」
「でも二人って元々幼馴染みだったんでしょ?」
「それはそうだけど」
確かに、俺とあいつは一応幼馴染みという間柄で、昔はそれなり仲が良かった。……昔の話だが。
「だからって今どき政略結婚なんてありえないだろう。……王政だった頃じゃあるまいし」
あいつの言ったように、俺は王族の、あいつには侯爵家の血が流れている。だけれど、それも民主主義になって久しいこの国では意味が無いことだ。俺の家もあいつの家も裕福ではあるが権力も権威もない、普通の家になっている。
それなのに今時、王族だの貴族だの、そんなこと言うやつなんてあいつぐらいだ。
「それにしても、どうしてあの人は、あんな風に貴族とか王族とかにこだわるんだろう?」
「それはな、それしか誇れるもんがないからだよ」
思えば幼い頃からプライドだけは高い性格だった。周囲からちやほやされたいのに自分から歩み寄るのは嫌で、努力するのはかっこ悪いと思っているから勉強も運動もできないままで、それでも自分はすごい人間なんだと頑なに信じていた。
そんな彼女が、自分の家は昔侯爵家だったと知って暴走したのは自然の流れだったのかもしれない。
今では「勉強も運動も侯爵令嬢たる私には必要ないものですわ」と言って開き直る始末。
「あいつ、宮廷マナーとか言ってただろう? あれだって今じゃあとっくに廃れてるものでどこにも披露する機会なんてないのに……」
ついでに言えば、そんな大昔のマナーと今あるマナーは、当然違っている。仮に披露することがあっても誰からも賞賛されないに違いない。
「俺を婚約者役にしたのもそうだ。あいつは侯爵令嬢の自分に相応しい相手として王族の血を引いてる俺を選んだだけだ。俺が好きなわけじゃなない」
俺は王子じゃないし、お前も令嬢じゃないと何度言ってもあいつは聞かず、血筋をないがしろにするな、王族としての勤めを果たせとわけのわからないことばかり言う。
一人のごっこ遊びならそれでいい。しかし、巻き込まれた方は溜まったもんじゃない。
「……本当、早く目を覚まして欲しい」
それでも、あいつとは長い付き合いだ。あいつがこのままでいるのではなく、まともになることをせつに祈っている。
そんな俺の背に彼女が優しく手を添えてくれた。
ふと思いついたネタです。
婚約破棄で相手が悪いんじゃなく、主人公側が悪いものを書いてみたいと思って書きました。