ひょんなヒョーゴの1日 中編
「ほんとうにドーマンまで走れるんですか?」
「大丈夫だ。心配ない。体力には自信があるからな」
「でも警備隊の仕事は?マックスさんが抜けたら大変なんじゃないですか?」
「問題ない。むしろ俺が行けば護衛は1人で十分だし、他の奴等もそんなにヤワじゃねぇよ」
テフの町の南門へとマックスさんと並んで歩く。例の中年オッサンーーイワン商会のカルザスさん曰く、今すぐに出立して欲しいとのことで、村への手紙を書いた後は休憩もそこそこにこうして行動開始ということだ。まぁ馬車がないため急ぐのは仕方ない。報酬が良いからそこは我慢しよう。問題は、出会ってから今まで悪印象しか与えてないであろう愛しのラウラさんの彼氏、マックスさんが俺の護衛になったということだ。正直、先ほどのやりとりもあって俺は気まずい。よって何とか護衛交代を遠回しにカルザスさんに打診したのだが、そこはなぜかマックスさんの強い希望で押し通されてしまった。
「実は俺も近々ドーマンに行かなきゃならなかったんだよ。それにこの護衛で金も入る。一石二鳥だろうが」
らしい。まぁ腕は確かなのだろう。テフの町は治安が良いので有名だから、その警備隊員が弱い訳ないし、先程の発言からもマックスさんの自信が伺える。
「そうですか……ちゃんと、守ってくれるんですよね?」
「当たり前だろうが。それが仕事だ。正直テメェは気に食わねえがな」
守ってはくれるようです。
南門に着くと、マックスさんは門番の警備隊員となにやら談笑を始めた。俺も少しここで待機だ。カルザスさんが配達品ともう1人ーー俺たちの野営道具やらなんやらを運ぶ人を連れてくる。本来そういうのは全て馬車に載せるのだが、今回はそれがないため仕方なくそれを運ぶ人も用意してもらうことになったのだ。……俺がそれに気付かなければ、俺が全部背負わなければならなかったが(マックスさんは護衛のため、身軽である必要がある)。
しばらくすると、急ぎ足でこちらに向かってくるカルザスさんと1人の大男の姿が見えた。
「はぁ、はぁ、おまたせしました。ヒョーゴさん、こちらが特配の品です」
初登場時と変わらず額に汗を浮かべたカルザスさんは、息を整えながらこちらに一つの封筒を渡してきた。大きさはA4程度の少し大きめで、色は不気味な真っ黒。封筒の縁には金の刺繍が施され、なんだか妖しい高級感。うーん、中身は分からないが、何やら魔術関係な気がする。直接見たことはないが、もしや魔法陣とか呼ばれるものではないだろうか。
「ヒョーゴさん、別に脅す気はないですが、その中身はとても高級なものです。おそらく、売ればヒョーゴさんが300人ぐらい買えます」
「ほんまかいな」
思わず漏れた驚愕の声。これで俺が300人……。俺、そんなに安い男じゃないぞ。
「安心して下さいカルザスさん。持ち逃げなんかさせませんから」
無駄に白い歯を見せてサムズアップするマックスさん。いや、そんな度胸ねぇわ。
「ははは、ヒョーゴさんはそんな男には見えませんけどね。それと、こいつは今回の荷物持ちを担当するゴンダイです。ほら、挨拶しなさい」
「お、オラぁはゴンダイ言うどす。ド田舎から出てきたもんで、ばかですけども、がんばりますんで、よろしゅうおねがいしもうすぅ」
そういって頭を深く下げるのは俺より10センチほど大きいマックスさんも軽く見上げる大男。身体はゴツゴツと威圧感MAXだが、それとは対照的にボケーっとした顔。俺が言えたことでもないが、もう見た瞬間田舎者って分かる感じだ。田吾作の後継者はコイツで決まりじゃないか?
「こいつは私が少し前に拾ってやった奴でしてね、頭は悪いですけど、真面目で悪いヤツじゃないんです。見た目通り体力はありますので、ご迷惑はかけないと思います。どうかよろしくお願いします」
改めて頭を下げるカルザスさん。……正直、俺は商人ってのにあまり良い印象を抱いたことはないんだけど、この人は普通に善人だなぁ。中年オッサンとか言って悪い。
ゴンダイってのも一瞬見たときはビビったが、こいつも根っからの正直者感がする。それにこのユッタリとした雰囲気もマックスさんの剣呑とした雰囲気を緩和してくれるだろう。うむ、ありがたい。
「はい。こちらこそ、何から何までありがとうございます。この品は俺が責任持って届けますので、大船に乗った気持ちでいて下さい」
走る、走る、走る。
とは言っても勿論全力疾走ではなく、長距離を走るための調整したペースだが。俺の後ろを走るのはマックスさん。一本の両手剣を背中の背負った彼は非常に身軽で、問題なく俺の走りに着いてきている。最後尾を走るのはゴンダイ。ドスンドスンと恐竜が走るような不恰好なフォームだが、こちらも今のところ問題ないよう。背中に背負った大きな荷物も意に介してなさそうで、そこは頼り甲斐がある。ただ、やはり長距離の走りには慣れてないようで、少し息の乱れも見える。この旅はゴンダイのペースで進めていくことになるだろう。まぁ仕方ないし、問題ない。カルザスさんの話では、ドーマンまでは7日以内に着いて欲しいとのこと。俺1人で走ったとして5日の距離だ。途中の村でゆったり睡眠もとれる。まぁ大丈夫だろう。
二日目の夜、今回初めての野営を行うことになった。というのも、テフの町の周りには幾つか村が点在してるのだが、少し離れると、ドーマンまではその数がめっきり減ってしまうのだ。
見かけによらずテキパキと用意するゴンダイ。マックスさんも経験はあるようで、それを手伝っている。何気にこの二人の相性は良いようで、思ったより気が長いらしいマックスさんがノロノロとしたゴンダイの喋りを待つ感じで穏やかに会話している。
俺も野営準備を行うは行えるのだが、今回は人手が十分ということで薪集めへ。ついでに近くの川の様子も確認しに行く。実際こういう役目って護衛がするもんだと思うのだが、実際の品は野営地に置いてるし、何より俺が死んでもマックスさんが届けるから問題なし、というマックスさんの俺の存在意義を否定しかねない理論によりこの役回りとなった訳だ。
適当に良さげな枝を集めながら川のせせらぎの聞こえる方へと歩く。気をつけるべきは熊などの野生動物だが、俺も森に入るのは小さい頃からのベテランだ。足跡や奴等の痕跡が何かあればすぐに気付くし、逃げ足にも自信はある。まぁ一応、と気をつけながら川に出ると、熊がいた。
「おいおいおいおい」
そりゃないよぅ、と呟きながらその場で固まる。こういう時は派手に動いてはダメなのだ。幸いまだあちらは俺に気付いていない。しかも、ここは川。おそらく水飲みか魚捕りの最中だろう。まだ距離もある。俺はゆったりと摺り足で後ずさり、なんとか森の木々の間に身を隠した。
よし、帰ろう。見つかる前に。俺はそう思い川へ背を向ける。
しかし、何かの違和感が頭を過ぎった。あの熊、何してた?四つん這いの体勢で川の方を見つめていた熊は、別に水を飲んでいたりした様子もなかった。かと言ってボーッとしてる訳でもなく、どちらかというと…警戒?川に向かって威嚇していたような気がする。
俺は正直な男だ。主に自分の興味に、好奇心に。今回は目に見えた危険が身近になかったこともあった。俺はその場でしゃがみ込み、川の、熊の方へと木々も隙間から視線を向けた。
未だ変わらずに視線を川、川の底辺りに向けて威嚇を続ける熊。大きさから見るに、あの熊も相当な大きさだ。立ち上がれば3メートルあるんじゃないか?森の主、というヤツかもしれない。
突然、川から何かが飛び出した。
「あ」
ソイツは緑だった。
ソイツは「皿」を持っていた。
そいつは、
「カッパ…?」
まごうことなき河童だった。
うわ、すげ、初めて見た。てか実在したんだ。
なんともいえない感動が俺を包む。
川の対岸に着地したソイツは、細長い切れ目を熊へと向けた。無駄に優雅な所作で水に濡れた髪を撫でる。頭頂の皿はクリスタルのように透明な輝きを放っていて、沈みかけた夕焼けに照らされたソイツは表現のしがたい妖しさを放っていた。
相対する熊がムクリと立ち上がる。やはりデカイ。こちらも中々お目にかかる大きさじゃない。熊は首を大きく回し、コキコキっ、という子気味の良い音を鳴らす。まるで番長だ。絶対昔はいじめっ子だっただろっていう風格が漂っている。
勝負はカッパから仕掛けられた。
「クワッ!!」
お前はアヒルか?とツッコミたくなる鳴き声と共に、ヤツが両手を下から突き上げる。
なんということでしょう。それと同時に振り上げた手の延長線上にあった川の水面がフワリと浮き上がり、まるでカッパの皿のような小さな円形を2枚形成。
「カッパッパッ!!」
え、それは技名?鳴き声?
とにかく、カッパがその声と共に両手を前へ突き出すと、その水の皿を両方が熊の方へと勢い良く撃ち出された。そのスピードは狩り用の弓程度か。決して遅くはない。しかし、真正面から放たれれば、例え熊であろうとも避けることは容易かったようだ。
「グルゥウウアアァァァアッ!!!」
恐ろしい程気合いの入った声で熊が叫ぶ。そして跳躍。地面に亀裂が入るほどに踏み込みで飛び上がり、その巨体からは想像できないほどの俊敏性でなんと川の対岸に着地する。その位置、丁度カッパに隣。
バキバキバキィッ!っと熊から外れた水の皿がすこし離れた位置の木々を砕く音がする。あの魔術?的な攻撃もそれ相応の威力はあるようだ。しかし、今はそれどころではない。あのカッパはすでに大熊のリーチに入ってしまっている。ヤツはどんな対応をするのか!?
「く、クワァッ!?」
思いっきり驚いた様子のカッパ。ヤツは俺の期待に反し、胸が熱くなるような接近戦を熊と繰り広げる訳でもなく、尻尾を巻いて川へと飛び込んだ。いや、尻尾はない。だが、逃げ込んだ。
「グルァア!!」
逃げんな!!とでも言ってそうな熊の怒りの声。そこで彼がカッパをおいそれと逃す訳もなく、共に川へと飛び込む。
川の底は1.5メートル程か。しかしあの馬鹿デカイ熊にとっては十分浅瀬なようで、身体の半分は外に出ている。
そこらはカッパを捕まえんと巨腕を川へと叩き続ける熊vs逃げるカッパ。壮絶は泥仕合の様相だ。時折水上まで飛び上がるカッパに最初の優雅さはまるでなく、その姿は熊に狩られる鮭を彷彿させた。
そして、ついに闘いは終局を迎える。
やっとのことでカッパを捕まえた大熊。彼はカッパの首を片手で締めるように握り、その細い身体を空中へと持ち上げる。酸素が足りないのか、元から緑色の顔は、青黒くなっているように見えた。
「グィ、……グゥァっ!」
最後の足掻き、とでも言うのか。カッパは右手の掌に再び水の皿を形成させる。その形状は最初のと少し異なっており、皿の縁が回転しているかのように見えた。そして、それを至近距離で熊の顔面へぶつける!
「ガアァァアッァァ!!!」
有効っ!!っと、どこからか審判の声が聞こえたような気がした。たまらず熊はカッパを岸辺へと放り投げる。そう、俺の隠れている木々の目の前へ。……え?
顔を押さえていた熊が腕を退ける。あの一撃はなんと右目に直撃したのか、熊の右目は血の染まっていた。しかし、同時に彼の怒りマグマを噴火させるのにも十分だったようで、…あれ、熊の周りに赤黒い怒りのオーラが見えるよ?
俺の身体は完全に固まってしまっていた。それはもちろん恐怖によってだ。熊が例のカッパを俺の隠れる木々の目の前に投げたことにより、熊の尋常ならざる殺気は直線延長線上で俺にまで伝わって来るのだ。
その時は、フルフルと頭を振りながら立ち上がったカッパが、おもむろに後ろを振り向き、
「……クェ?」
「………死ね」
俺と目が合った。