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第七話 紅葉

霊の記憶編です。


ボロの長屋の角部屋に、私はひとりポツンと座っていた。


部屋と言っても、土間と寝床が有るだけで、至るところにクモの巣がはり、酒飲みのお(おっとう)が散らかした後などがあって、兎小屋のウサギの方がまだいい暮らしをしていると思う。


それでも、私は土間の隅っこに隠れる様にして、ポツンと誰にも気付かれない様に座っている。

(おっかあ)が居るときはまだ良かった。そう思う。

お母は去年の春に血を吐いて死んだ。

それも全てお父が悪いのだ。お母は元々体が弱いのに、無理に働かせて自分は酒を飲んではお母を殴っていた。


長屋の屋主さんも何度も止めにきてはいたけれど、そうしたら影でコソコソとお母を殴る様になった。


ベッピンで有名だったお母の白い顔には必ず二つか三つは青くて痛々しい痣があったし、前から痩せていた体はもっと痩せていった。


男に混じって煙草売りなんてするのは恥ずかしかったと思うし、売りに行くたびに顔の痣を見られて悲しんだと思う。


それでも、私が煙草屋さんまで迎えに行くと家では暗くて笑わないお母が照れた様に笑うから、私は家から煙草屋への道は砂利道が多くて足の裏が痛いけど毎日お母を迎えに行った。



そんな、私とお母だけの時間が楽しくて仕方なかった。手を繋いで春は桜を見て、夏は星を見る。秋は大家さん家の庭に落ちている紅葉や柿を拝借して、冬は足がかじかんだと言ってダダをこねてはおんぶをせがんだ。


でも長屋に帰ればまた悪夢が始まる。



「おいっ!!きよっ!!きよっ!!狭いんだから聞こえてるだろうがっ!!酒を持ってこんかっ!!」


お父の怒鳴り声が体に響いて怖くて怖くて土間の隅っこに隠れる。


「あんた様……もう家には酒を買う余裕などありません」


育ちの良いお母はどんなにお父に怒鳴られても、怒鳴りかえす事はなかった。


それがまたお父の怒りを奮い立たせるのか、お父は今日もお母に手をあげる。


《パーーンッ》


「そうやって…いつも心の中では笑ってるんだろ?甲斐性の無い馬鹿亭主だってなっ!!」

「誰があんた様を馬鹿亭主なんて言うのですか?そんな事思った事もありませんよ」


「その善人面した言い草に虫ずが走るんだよ!」


お父はそう言うと、お母の腹や背中を蹴りだした。



私はいつも泣くだけしかできなかった。

それから段々とお母は弱っていって、それから二月もしない位に煎餅布団から一歩も出る事は出来なくなっていた。


隣の家のおばちゃんも心配になって様子を見に来てくれた、だけどお父はお母が病気になって居心地が悪くなったのか、家には殆んど帰っては来なくなった。



隣の家のおばちゃんがお母に夜ご飯を作ってくれて、それを二人で食べた後にお母は不意に私に言い聞かせるように言った。



「お葉ちゃん……お父を恨んだりしてはいけませんよ……お父は本当はいい人なのよ、でもね、怪我をしてからは人が変わった様になってしまったけれど、本当はもっとお葉ちゃんと遊んだりしたいと思うの…だから、お母が死んでも、お母の分までお父に優しくしてね」


涙を溢して絞りだす様に言ったお母の最後の頼みに幼かった私は頷く事も出来ずに、ただお母が居なくなってしまうというのは感じとれて、寂しくてお母の痩せてしまって堅い胸に顔を押し付けて泣いた。


お母は優しく私の背中をさすると、その日は一緒の布団で寝ていてくれた。


そして、朝、目を覚ますとお母は冷たくなっていた………。


私を抱いたまま、見たことの無いくらい最後の顔は優しく微笑んでいて、これが夢だと思いたくて、私は泣きながら両頬を真っ赤になる位につねってはその痛みに絶望した。


そのまま眠りたかった。


永遠にお母と一緒に眠りたかった。









お母が死んでからしばらくたった春に、私はお父に連れられて初めて遠出をした。野を越え山を越え、幼い私にはその変わりくる景色に飽きる事は無かった。


お母にあんな酷い事をしたお父だったけれど、罪悪感からか大きく見えた背中は以前よりも背中が小さく見え、力を無くしていた。


お父との遠出は楽しいものとは思えず、私は歩く時でも、休む時でも、うつ向いて目を合わさない様にしてただただ時間を消費していた。


途中春に新芽を出したもみじの木が続く林に差し掛かった。

まだ若い色をした小さい掌がなん個も私に手を振っているようでその時だけは大好きで、お母との思い出が溢れるもみじも虚しく見えた。



それから半日程歩き、お父と私は大きい町に出た。

見たことも無いくらい大きな街でどこもかしこも人だらけだ。知らない店や、見たこともないほど綺麗な工芸品が所狭しと置いてある。


お父は私の手をひいて、そんな店を通り過ぎて朱色が目に痛い一角へと連れていった。

さっきの所より、静かで皆眠っているみたいだ。それでも、店の造りが派手だから人は居ると思う。




「ごめんください。」

父は小さな門戸の店へと入った。それに私も続く。

扉のとなりには木で出来た格子があって、牢の様に私には見えた。


「あぁ、遠いとこからよく来たねぇ。」


中から煙草をふかした、ふくよかなおばさんが出てきた。着ている着物がとても派手で、煙草をすっているのに白粉の臭いがするので気持ちが悪くて、私は思い切り顔をしかめた。それが、おばさんには解ったのか私を思いきり睨みつける。


「こいつをよろしく頼んます。」


短くそう言うとお父は店を出ていった。


「お父!!お父!!まってよ!!お父!!」


私はおばさんに体を掴まれていてお父を追い掛ける事ができない。必死になってお父をよんでも立ち止まる所か、振り返りもしない。




お父は走って行ってしまい、小さくなる背中を私はずっと見ていた。不思議と涙は出なかった。


「無駄な世話焼かすんじゃないよ。あんたはねぇ、あの馬鹿親に捨てられて、江戸で一番でかい吉原のこの店に売られたんだよっ!!飯が食いたきゃ働きなっ!!子供だからって容赦しないよ!!」


私の肩を持って、怒鳴るおばさんの言葉を私はただ呆然と聞いた。

でも分かったのはお父が私を捨てたと言うのと、私はこれから大変な仕事をしなくてはご飯が食べれないということだ。




「まぁまぁ、女将さん…そんな怒るもんじゃあないよ」


後ろに見たことも無いくらい着物を重ね着した女の人が立っていた。

髪に(かんざし)を何本もつけて、まるで天女さまみたいだ。


葉嬪(ようひん)なんだい、太夫のあんたが仕立ててくれんのかい?こいつ、親に捨てたれたってのに泣きもしない!!」


「へぇ、面白いじゃあないか…煩くないのは好きだよ、名前はなんと言うのかい?」


「……お葉……です」


恥ずかしくなって太股の辺りのこなき色した着物をギュッと掴む。

余りに強く握り締めたから爪が掌に食い込んで赤い点々がついた。



「へぇ、私とおんなじ名前なんだねぇ…よし、決めたよ!あちきがこの子を仕立ててやるよ」


葉嬪太夫はそう言うと、私の手をひいた。

私の黒い手と太夫の白い綺麗な手が仲良く繋いでいる。まるで、お母が生き返ったみたいだ。



「あんた、紅葉は好き?」


私はコクリと頷く。


「江戸の近くに紅葉の林があっただろ?そこから名前をとってやるよ…あんたの名前は紅葉だ」



私はその時から紅葉になった。













「太夫!!紅葉太夫!!」


ついついうたた寝をしていた私は女将さんの怒声に起こされた。


太夫となった私は、明日にもこの江戸を離れて大名の屋敷に嫁ぐ事になっていた。


それまで私は長い休みを頂いていて、きっと女将さんが私を呼んだのは、お夕飯の支度が出来たからだ。


でも、食欲など湧かない。


嫁ぐ事が決まった日に私は旦那さんに呼び出された。


あの酒飲みの父は私を売って三日後に母を追ってか、長屋の梁に紐をつけて首をくくって死んでいたらしい。それでも、私は泣くことが出来ず、ただ、力が指先から抜けていっただけだった。


好きでもない男………いや、私は男だろうが女だろうが好きになった事はない。


兎にも角にも、私は男に嫁ぐ事などできないのだ。





「太夫??どこへ行くの??」


私が仕立ててやった部屋子の鶴丸が声をかけてきた。


鶴丸も今日は休みを貰っているのか、ずっと私にくっついて回っている。


「最後に江戸の夜風に当たろうと思ってね……一人にしておくれ」


そう吐き捨てる様に言うと鶴丸は顔をクシャリとして、奥へ下がっていった。


まだ夏が終わったばかりだというのに辺りは息が白くなるほど寒かった。


かじかむ両手を擦り合わせて、私はあの紅葉が美しい林を思い出した。



死ぬならば、私は枯れ葉に体を埋めながら息絶えたい。

もう何年も林には行っていないのに、私は道を間違える事なく林に着いた。


林は、早すぎる紅葉を迎えていて、私を歓迎しているようだ。


林の一番奥には滝がある。

その滝壺に飛込んだら最後、生きて帰ってきた人はいないと聞く。


私は、けたたましい程の轟音を立てる滝に何の迷いもなく飛込んだ。




翌日、私は滝より離れた下流で発見される。早すぎる紅葉を迎えたもみじは沢山の葉を落としていて、私を包みこんでくれていた様だ。


私は最後に、あの長屋で過ごした幸せな日々を思い出した。


また、私はお父とお母の間に生まれて、二人が喧嘩をしたときにはまた土間の煤臭い、あの隙間に隠れるのだと、そう思った。












霊は泣いているように見えた。


本当は泣いてなどいないが記憶を見た後の霊は、ただ無表情に力をなくしていた。


コアを奪われたのだ、力も思考もあと数分も持たないはずだ。


既に、外側を包んでいた霊は煙の様にだんだんと上へと進んでいる。


少女の霊は腕の裾に何かが入っているのに気が付いて力なく探る。骨張った手に捕まれていたのは小さな赤いもみじだった。

それは変形してちり紙の様に皺だらけだったけれど、少女は大事そうに両手で胸へともってゆく。


そして、生前に流す事の出来なかった涙を一筋流して、少女は煙とともに一番最後に上がっていった。




「由紀野さん!!」


ノブナガの声がして、弾かれた様にそっちを向いたが視界が滲んでいた。


どうやら私も泣いて居たようだ。


「ユキノっ!!大丈夫?」


私の顔を覗き込むナージャに私は思わず抱きついた。


悲しくて悲しくて仕方なかった……。



ポンポンとナージャが私の背中をさする。

もし、魂だけでもあの少女の霊がまた父と母と三人でいる事が出来たなら、少しは救われるのにと私は涙が止まらないかった。


頭上からは季節相応の白い雪が降る。

空間が歪められて、暖かい空気が満ちるこの敷地に降る雪は、私の顔に落ちては水になって、積もる事はないけれど、その儚さが少女の様で何とも言えない虚しい気持ちになった。


やがて、私の気持ちも落ち着いて、室内に戻るとゆっくりとナージャとノブナガに霊の記憶を話していった。


私は、霊の記憶を見るのが嫌だ。


何より悲しいし、良い思い出では無いからだ。

今回だって、そうだ。


本当ならあの霊に生まれ変わったら幸せになって欲しいとか、魂だけでも生前のままで生きて欲しいとか思うけど、魂が空へ上がっていった後の事など解らない。


死の女神がどういった判決を霊に下すか解らない。

誰にも解らないから、幸せだけど、誰にも解らないから虚しい。



話している最中に聞いてくれている二人は、ただ真剣に頷いてくれていた。



ナージャは、ユキノばかり辛い思いをさせたと言っていたし、ノブナガは眉を潜めて涙を堪えていた。


こんこんと降る窓の外の雪は、私たちを包んでいる様だった。

読んで下さり有難うございました。

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