2024/01/01 序
皆様、新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
風はまだ少し冷たいが、日差しはもう春、そんな季節。
遠くから見ると山肌はまだ冬の色だが、よくよく見れば鮮やかな色が兆し始めている。
草の芽が顔を出し、木々は新芽を開き始めていた。
そして、冬色が残る林に、明るい春の色を灯す木が点在している。
山桜だ。
芽吹きとともに花を咲かせる木。深い紅色の若葉も花と同時に伸び始めるため、木全体が淡紅色に色付いて見えるのだ。
そして街道脇にも桜の木が植えられていた。
1キロ毎に植えられているのは大木になる彼岸桜。
並木として植えられているのは一斉に花を咲かせる染井吉野。
休憩用の四阿やベンチが設けられた場所には里桜と呼ばれる、枝垂れ桜や八重桜などの園芸品種が植えられていた。
* * *
そんな街道を行く旅人が1人。
年は20代、黒目黒髪、中肉中背。取り立てて特徴はない。
「このあたりの道は舗装されていて歩きやすいな」
「ハイ、マスター」
同行するのは2メートルを超える、金属製の巨大なゴーレム。
樽型の胴体に短い手足、どう見ても旧型であるが、動作は滑らかで、整備が行き届いているのがわかる。
「やっぱり春はいいなあ。……特に桜の季節は」
「ハイ、マスター」
街道を行く旅人……とゴーレムの他、人影はない。
そもそもこの街道は『ラシール大陸』中央部を東から西へと縦断するものではあるが、利用する者は極めて少ないという、ちょっとアンバランスな道なのだ。
というのも、アルス南半球にある『ラシール大陸』は、その南側に都市が集中しているからで、東西の行き来はあまり盛んではないのである。
元々は『ラシール大陸』開発のために作られた道らしい。
「やっぱり桜は、のんびり見る方がいいな。宴会で騒がしい花見はどうも好かない」
「ハイ、マスター」
てくてくと歩いて行く旅人とゴーレム。
南半球の春は始まったばかりである。
* * *
「おや?」
旅人は、思わず声を上げた。
誰もいないと思っていた街道に、人影があったからだ。
否、人影だけではない。
「マスター アレハ オオガタトラック デスネ」
「みたいだな」
遠目がきくゴーレムがいち早く何であるかを見極め、続いて旅人も把握した。
「オウテン シテイル ヨウデス」
「そうらしいな……ああ、道路が陥没していてそこにハマッたのか」
道路の一部が水でえぐられてしまっており、避けきれずにタイヤを取られた、ということらしい。
その際に底を打ち付けたあと岩に乗り上げ、たまらず横転したようだ。
運転手と助手が2人掛かりで元に戻そうとしているようだが、4トン級のトラックはびくともしていない。
「しょうがない、助けてやるか。……行くぞ」
「ハイ、マスター」
旅人は、ゴーレムとともに横転したトラックに近付いていった。
「事故ですか?」
トラックを起こそうとしていた2人が振り返った。
「……そうなんです。溝にハンドルを取られたはずみで岩に乗り上げて横転してしまいまして……荷物は積んでいなかったのが不幸中の幸いでしたよ」
「お手伝いしましょう」
「おお、助かります」
運転手らしき男は、旅人が連れていたゴーレムを見て、ほっと胸をなで下ろしたようだ。
「トラックを起こしてやれ」
「ハイ、マスター」
ゴーレムは横転したトラックに近付くと、徐ろに手を掛け、一気に引き起こした。
「おお!」
「すごい力だ……」
運転手と助手、2人は目を見張った。
引き起こしたゴーレムは、そっと正常な位置にトラックを戻す。
「ありがとうございます!」
「助かりました!」
2人は大喜び。
「私は商人のピーター・ロレンスと申します。これは番頭のロウです」
「ジン……ジャン・シドーです。これはゴーレムのコイル」
「ジャンさんですね。あらためてお礼申し上げます」
「いえいえ」
ピーター・ロレンスは30代半ば、日焼けをした顔に焦げ茶色の髪が似合う壮年だった。瞳の色はグレイ。
番頭のロウは20代半ば、赤毛で鳶色の目をしている。
「ジャンさんはどちらまで?」
「特にあてはないと言いますか……街道を西へ向かっているだけです」
「変わったお人ですなあ……」
あてのない旅と聞いてロレンスは少し呆れたようだった。
「ですが、その大型ゴーレムと一緒なら問題はなさそうですな。荷物も持たせられますし、何よりすごいパワーがある。野盗に対する威嚇にもなりますよ」
「野盗が出るのですか?」
「最近、少々治安が悪くなっていましてね……」
ピーター・ロレンスは昨今の事情を説明してくれた。
それによると、ここ2年ほど、隣のローレン大陸から『あぶれた者』が移住してきているらしいという。
* * *
ここで、『ラシール大陸』の現状を説明すると、まず『国家』は存在していない。
ローレン大陸・ゴンドア大陸・パンドア大陸の国々からの代表による合議制で運営されている。
また、各国の飛び地的な『自治区』も点在している。
そんな統治形態である理由の1つは、『人口が少ないこと』である。
大陸暦3930年頃から始まった『ラシール大陸開発』だが、肝心の開拓者が少なく、ゴーレムや自動人形に頼っての開拓であった。
人口が少ないため大陸全土への進出というよりも、『環境のいい場所』を選んでの移住といった方がいいような状況。
「都市や町はこの『中央街道』より南に点在しておりますからな」
「なるほど」
「都市間の移動はこの『中央街道』より1本南にある『南街道』を使った方が便利ですし」
「そうでしょうね。……ですが、ロレンスさんはどうしてこの街道を使っているんです?」
「この街道沿いにも町は幾つかあるんですよ。そこへ買い付けに行く途中でした」
「ああ、なるほど」
旅人……ジャンは頷いた。
「ジャンさんは、どこでお泊りになる予定です?」
「適当な休憩所で野宿するつもりですが……」
「それでしたら、一緒に行きませんか? この先、ここから車で1時間ほどのところに目的の村があるんですが」
「…………そうですね。では、ご一緒させてください」
「決まりですな」
さて、ここで問題になるのはジャンのゴーレム、コイルである。
トラックの定員は4人だったのでジャンは問題なく乗れるが、コイルは乗れない。
だが。
「コイルは走らせましょう」
「え……?」
「こう見えて、コイルは走れば時速50キロくらいは出せるんですよ」
「それは凄いですな……」
と、ジャンが保証したので、ジャンはトラックに同乗、コイルは並走することになったのである。
だがしかし……。
「調子悪いですね」
「うむ……」
走り出して5分。
トラックの乗り心地はよくない。
道路は荒れていないのに、いやに振動が多いのだ。
「横転したときにどこか壊れたのかもしれませんね。一旦停めたほうがいいですよ」
無理に走らせると、完全に壊れてしまうかもしれないから、とジャンは言った。
「しかし、私は修理なんてできませんよ? 番頭も同じです」
「いや、俺はできます」
「え? ジャンさんが?」
「はい。俺は『魔法技術者』ですから」
「そうでしたか。……ロウ、停めてくれ」
トラックは停止した。並走していたゴーレム、コイルも停止。
3人はトラックから降り、ジャンはコイルに命令する。
「……コイル、トラックを持ち上げてくれ」
「ハイ、マスター」
「……え?」
「……うわわっ!」
4トン級のトラックの場合、車体総重量は8トン近い。
それをコイルはやすやすと(表情がないのでよくわからないが)持ち上げたのだ。ジャン以外の2人が驚くのも無理はない。
「よし、そのまま保持していてくれ」
「ハイ、マスター」
ジャンはトラックの下に入り、上を見上げる……。
フレーム構造なので、車体内部もよく分かる。
「ああ、後輪のトレーリングアームが曲がっていますね。ダンパーも歪んでいます。これじゃあ振動を吸収しきれないわけだ」
そして振動の原因を特定、修理に取り掛かる。
「『変形』『変形』『強靱化』『変形』……」
続けざまに工学魔法を使い、あっという間に修理を行っていった。
「うーん……ちょっと潤滑油が切れているな……ロレンスさん、潤滑油は……ないですよね」
「ええ、恥ずかしながら。……これから向かう村で手に入るかと」
「ああ、そうですね。では、そこでもう一度きちんと整備しましょう」
今はこれで当面大丈夫、とジャンは言った。
そしてコイルはそっとトラックを下ろし、再び街道を走り出す。
「おお、乗り心地が格段によくなりましたな」
「ジャンさんは凄腕の技術者なんですね。……ショウロ皇国の方ですか?」
「え? どうしてです?」
「先程『魔法技術者』と仰っていたでしょう? それってショウロ皇国での呼称で、他では大抵『魔法工作士』と呼ぶはずですから」
「ああ、なるほど。確かに俺はショウロ皇国の方から来ました」
「おお、やっぱり。……こちらの大陸へは船で?」
「まあ、そうです」
ローレン大陸がらラシール大陸への交通手段としては船舶と飛行船、飛行機、それに転移魔法陣が使われている。
「つまりジャンさんは船で東端にある港へやって来た、ということですな」
「まあ、そうです」
そんな話をしながら、トラックは西を目指した。
* * *
「おお、見えてきましたな。あそこが今日の目的地、カドノコ村です」
街道から奥まったところ、小山を背にした開けた場所に、まばらに木の柵が立てられている。その内側がカドノコ村ということであった。
「あれ、街道の北側なんですか?」
「大抵の村、町、都市は街道の南側にありますが、ここは例外ですな」
「ははあ、そうなんですね」
時刻は午後3時。
トラックを見つけて手を振っている者がいるが、並走するゴーレム、コイルを見て顔色を変えていた。
そこでジャンは窓からコイルに指示を出す。
「コイル、そこで止まれ。呼ぶまで待っていろ」
「ハイ、マスター」
コイルはカドノコ村の手前50メートルで停止。
トラックはそのまま走り続け、村の柵の手前で停止した。
「やあ、村長さん」
「ロレンスさん、いらっしゃい。あの、後ろのあれは……」
「ああ、あれは同行しているジャンさんのゴーレムですよ。ご安心ください」
「そ、そうですか……」
ほっと胸をなでおろす村長。
ロレンスは改めてジャンを紹介する。
「村長さん、こちらは旅人で同行者のジャンさん。優秀な『魔法工作士』……いえ、『魔法技術者』です。ジャンさん、こちらはこのカドノコ村の村長さんでヤショウさんです」
「ジャンです」
「ヤショウです、よろしく」
互いに名乗りあい、握手をした。
「では、ゴーレムを呼ばせてもらいますね。……コイル、来い!」
「ハイ、マスター」
コイルは早足で近付いてきた。それを見た村長ヤショウは少し腰が引けている。
「大丈夫ですよ、村長さん」
「は、はあ……」
「私も途中、トラックが横転したり故障したりで大変だったんですが、ジャンさんコイルさんに助けてもらいました」
「そうだったんですか」
この話を聞き、村長もかなり安心したようだ。
「それで、いつもの小屋に泊めてもらえますね?」
「ええ、どうぞ」
ようやく安心したらしい村長は、ジャン、ロレンス、ロウ、そしてコイルの3人と1体を村に招き入れてくれたのだった。
トラックは番頭のロウが駐車場に駐めてきた。
* * *
ロレンスが定宿としている小屋は、高床式の快適そうな丸太小屋であった。
中にはベッドが4つあり、旅人や行商人を泊めるための施設なのだという。
ちなみにトイレは外。水道ではなく自噴する井戸水が使われているようだ。
「食事は村長さんのお宅で食べさせてもらえます」
「なるほど」
「まだ3時半ですし、少し村を案内しましょうか?」
「そうですね、お願いします」
「ロウ、君は商品を見せてもらっておいてくれ」
「わかりました」
番頭のロウはロレンスの指示で、今回買い付ける予定の商品をひと足早くチェックしに行った。
「コイルはここで待機だ」
「ハイ、マスター」
そしてジャンとロレンスは歩き出した。
「そういえば、この村の特産って何なんですか?」
「ああ、お話ししていませんでしたね。『GSP』ですよ」
「へえ……
「驚かれませんね。『GSP』がどういうものかご存知と見える」
「ええ。正式には『地底蜘蛛樹脂』ですね」
「さすがですね、ジャンさん。こんなレア素材のことまでご存知とは」
ロレンスは驚いた様子であった。
「ここで養殖しているんですね」
「まあそういうことです。結構有名なのですが、ご存知ないとはやはりジャンさんはローレン大陸のお方なのですね」
「ええ、だから旅をしているんです」
そんなお喋りをしながらやって来たのは村の北。
こちらにはしっかりした石造りの砦のようなものがそびえている。
「これは?」
「ご覧のとおり、砦ですよ」
「あ、これを使って『地底蜘蛛』を養殖しているんですね?」
「正解です。……凄いですなあ、ジャンさん。あなたは一流の『魔法技術者』のようだ」
「はは、ありがとうございます」
2人は今は養殖場となった砦に近付いていく。
遠くからでは気が付かなかったが、近くで見るとだいぶ劣化が目立つ。
『強靱化』や『安定化』の掛け方が甘かったんだろうかな、とジャンは思った。
それで、このままでは崩れそうな部分が3箇所ほどあったので、こっそり『強靱化』を掛けておいたのであった。
「中は見せてくれませんので、次へ行きましょう」
「わかりました」
それからジャンとロレンスは右回りに村の外周を歩いていく。
次にやって来たのは村の北東側。
こちらには大きな溜め池があった。広さはサッカーのグラウンドくらいもある。
「広い溜め池ですね」
「でしょう? 北の山からの湧き水です。ここで魚を養殖しているんですよ」
「はあ、なるほど」
「今夜の食卓に出てくると思います」
「それは楽しみですね。どんな種類の魚ですか?」
「トロート(ビワマス)、オマソウ(ヤマメ)、それにウナギでしょうか」
「それはそれは」
こうしてみると、このカドノコ村はかなり裕福そうだなとジャンは感じた。
* * *
東側から南東側は田んぼであった。
春なのでまだ何も植わってはいないが……。
「ここはお米を栽培するんですね」
「ええ。なかなか味がいいと評判なんですよ」
南側はやって来た街道なのでそちらへは行かず、村の中を横断して西側へ向かう。
途中、中央付近を横切るわけだが……。
「中央広場の北側に半地下の食料倉庫が建ってます」
「なるほど」
そして村の西側。
「ささやかではありますが、工房があるんですよ」
「そのようですね」
実は、ジャンをここへ連れてきたかった、とロレンスは言った。
「ジャンさんを、一流の『魔法技術者』と見込んでお願いいたします」
「何でしょう?」
「工房内の道具類が破損して困っているのです。直せるものがあったら直してやってもらえませんか? 手間賃は私が払います」
「そういうことですか、わかりました」
そこでジャンは工房内を覗いてみた。
「ああ、これは酷いな……」
作業台は脚が折れて傾いているし、金床はヒビが入っている。
火床は、形作っている耐火レンガが割れて崩れてしまっているし、道具類は錆びついている。
「……10年以上使われていないような気がしますが?」
「正解です。職人がいなくなってもう12年ほど経つそうです」
ロレンスが説明した。
「でも今年、村長さんの息子さんが職人としての修行から戻ってきたのですよ」
「ああ、それで……」
「これは、村長さんからの依頼でもあったんです」
期限は設けないが、できるだけ早いうちに工房を修理できる職人か技術者を連れてきてほしい、と言われたというのだった。
「なるほど、だから俺を怪しまなかったんですね」
普通ならもう少し警戒されてもおかしくないのに、とジャンは言った。
「はは、ジャンさんもそう感じていたんですか……」
苦笑するロレンスであった。
「そういうことなら、整備しましょうか」
「おお、ありがとうございます」
「手伝いとしてコイルを呼びたいのですが」
「それはそうでしょうな。呼んできますか?」
「いや、大丈夫です」
ジャンは左腕に着けた漆黒の腕輪に向かい、
「コイル、ここへ来い」
と話し掛けた。
すると腕輪から、
『ハイ、マスター』
と小さく声が響いたのである。
「ジャ、ジャンさん、今のは!?」
「え? コイルに指示を出せる魔導具なんですよ、これ」
「そ、そうなんですね……ローレン大陸の方では、そういうものがあると聞いてはいましたが……」
そして、2分後にはコイルが姿を現した。
「よく来てくれた。ここの工房を修理するぞ」
「ハイ、マスター」
「ジャンさん、私はここで見ていてもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
それだけ答えると、ジャンはゴーレムのコイルとともに工房の修理に取り掛かった。
「おお……これは……」
それは、見ているロレンスが思わず感嘆の声を上げるほど。
溜まっていた埃はゴーレムのコイルがどうやったのか一気に吸い込み、一塊にしてゴミにした。
ひび割れていた金床は、コイルが支えてジャンが工学魔法『融合』で修復。
その後『強靱化』と『硬化』で仕上げた。
錆びついていた道具類は『還元』と『表面処理』、『防錆』により新品同様に。
脚の折れた作業台は『接合』で直し、台上もきれいに修正。
火床は、崩れた耐火レンガを『接着』で一旦仮止めした後『加熱』で再度焼成。
さらに『強靱化』を掛け割れにくくした。
その他道具棚や素材置場も整備・清掃を行ったので、工房は見違えるほどきれいになったのである。
しかも、所要時間は全部で30分。
「……こんな感じでどうでしょう、ロレンスさん?」
一仕事終え、満足そうにジャンが戻ってきた。
「え、あ、ああ、とてもいいと思います。ありがとうございました」
「それはよかった」
「あ、あの、ジャンさん、ローレン大陸の……いえ、ショウロ皇国の『魔法技術者』の方は、皆ジャンさんのようなことができるのですか!?」
「え? あ……いえ、少ないと思います」
「そ、そうですか……」
ホッとしたような残念なようなロレンスであった。
お読みいただきありがとうございます。
1月2日も同じ時間に更新いたします。
20240104 修正
(誤)水道ではなく自噴るる井戸水が使われているようだ。
(正)水道ではなく自噴する井戸水が使われているようだ。




