2023/01/02
(承前)1 ド・ラマーク領
翌日もいい天気だった。
朝の早い仁は、目が覚めると外へ出て、庭を散歩してみた。
昨日は夢中で気が付かなかったが、北には高山が連なり、白銀に輝いている。
ちょっとだけカイナ村から見る風景に似ていた。
「あらジンさん、お早いですね」
「あ、ミチアさん、おはようございます」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
「申し訳ないんですけど、朝食まであと1時間ほどありますの」
「早く起きたのは自覚していますから、お気遣いなく。……水汲みですか?」
「ええ」
ミチアの手には水桶が提げられていたのだ。
「井戸ですか?」
「そうです」
「ポンプは?」
「まだそこまで整備されていなくて、釣瓶です」
「それじゃあ……俺がなんとかしましょう」
「え?」
怪訝そうな顔をするミチアと共に、仁は井戸へやってきた。
間違いなく、仁が知る釣瓶で組み上げる形式の井戸だ。
「『地下探索』……ふうん、地下水面はマイナス2メートルか。まあ普通だな。……おや? ……『地下探索』……ふうん……」
地下水面とは、仮に井戸を掘った場合に地下水の水面がどの高さまで来るか、その値である。
これが地表面より上の場合、自噴する井戸となる。
そして仁は、今掘られている井戸の地下水面は地表から2メートルほど下であるが、さらにその下に岩盤があり、その下に流れている水脈の地下水面はプラス1メートルくらい。つまり自噴することを突き止めた。
「……ということなんですが」
「ええと、その岩盤を貫ければ、何もしなくても水が噴き出す井戸になるんですね?」
「そうです」
「ううん……それは私には判断できませんね……。朝食時に主人に聞いてみていただけますか?」
「わかりました」
地下水の汲み出しには問題もある。汲み上げすぎによる地盤沈下だ。
東京をはじめとする都市部では問題になっている。
* * *
「うーん、その水量はどのくらいなのかな?」
朝食時、仁はアキラに状況を説明し、判断を仰いだ。
「結構多いですね。それに、これは俺の私見ですが、岩盤の下なので地盤沈下のおそれは低いと思います」
「なるほどな……なら、頼むとするか。……念の為、汲み出す水量は少なめで頼む」
「わかりました」
「ハルトと協力してやってくれ」
「はい」
ということで、仁はハルトヴィヒと共に『掘り抜き井戸』を作ることとなった。
『掘り抜き井戸』とは、『掘り井戸』に対する用語であるが、多少用法が揺らいでいる。
ある辞書では『地下の不透水層に達するまで深く掘って、その下の被圧地下水を湧き出させる井戸』とある。
が、別の説明ではそれは『打ち込み(打ち抜き)井戸』のこととなっていたりもする。
ここでは先の意味で使うことにする。
「『掘削』『掘削』『掘削』」
「おおっ?」
仁が3度連続で『掘削』を使う。
穴の直径は5センチ。
1度目で土を掘り、2度目で岩盤を穿ち、3度目で水脈を掘り当てた。
「『接着』『硬化』『強靱化』」
そして掘り抜いた穴の壁の土をくっつけ、硬化することでパイプいらずとなる。
「お、出てきた出てきた」
それほど高圧が掛かっていたのではないようで、噴き出した水の高さは70センチほど。
そこへ準備しておいた金具をつけることで、水の噴出を止めることができた。
「これで助かるよ」
ハルトヴィヒが満面の笑みで言った。
後はここからパイプを引いて『絹屋敷』へ配管すればいい。
「この場所に溜池を作っておいてもいいんじゃないか?」
「ああ、それもいいですね」
飲用にしない水、例えば拭き掃除用の水ならそこから汲むこともできる。
……で、そちらは屋敷の者たちと相談して工事することになった。
* * *
水のろ過装置は既に使っていたので、その日のうちに『絹屋敷』ではこの水を利用することができた。
昼食はその水で調理する。お茶も同じ。
「今までの井戸水よりおいしい気がするわ」
「同感だね」
「私もそう思います」
というのが皆の感想であった。
「思ったよりも硬度が低い水のようですね」
「うん、そうね……って、ジンさん、どうしてわかるの!?」
「あ、工学魔法の『分析』を使うとわかるんです」
「なにそれ、反則じゃない。……異世界の魔法って便利ねえ……」
「そう言われても」
『分析』とて万能ではない。術者が知らないことはわからないのだ。
もう少し詳しく言うと、術者の知識を組み合わせて答えを出している、とも言える。
例えば『炭酸水素ナトリウム』という物質があったとして、それに仁が『分析』を掛けた場合、仁は『炭酸』『水素』『ナトリウム』という物質を知っているので、『炭酸水素ナトリウム』という答えが返ってくる。
さらに、これは別名を『重曹』という、ということまでわかるのだ。
ゆえに、ノーマルな元素を覚えていれば、大抵の化学物質は解析できることになる。
いやおそらく、人工元素も原子核、中性子、電子を知っていれば『110番目の元素である』くらいはわかるであろう。
閑話休題。
仁は羨ましがるリーゼロッテに『分析』の説明をした。
「そういうことね……魔法といっても万能じゃないのね」
「それはそうですよ。俺は工学魔法もまた、道具の1つだと思っています。とても便利ですけどね」
「道具、ね……あ、そうそう、ジンさん、あなたは『道具』と『工具』って、何が違うと思うかしら?」
「道具と工具、ですか……」
仁はリーゼロッテからの質問を、少し考えてからこう答えた。
「自分の手に馴染んだ工具が道具、ですかね」
「手に馴染んだ……なるほどねえ」
買ってきたばかりの工具は道具ではなく、使い込むうちに手に馴染んだものを道具という、と仁は主張した。
「その『馴染む』には、ちょっとカスタマイズする、ということも含みます」
ちょっと角を丸く削るとか、柄に革を巻くとか、そういった過程を経て工具は道具になる、というわけだ。
「面白い考えね。でもいい話だわ」
「僕もそう思うよ」
ハルトヴィヒもまた、仁の説を肯定したのだった。
* * *
夕方まではまだ時間があるので、アキラは仁に『蚕室』を見せてやった。
「ははあ、こうなっているんですね。これがいわゆる『蚕棚』ですね」
「そういうことだな」
『蚕棚』とは、文字どおり『蚕』を飼うために作られた『棚』である。
イメージとしては戸を外した押入れ。
あるいはそこにさらに棚を増やしたような作りが『蚕棚』である。
余談だが、一部の山小屋で、登山者が寝る部分を棚状、あるいは2段ベッド状に区切ってあるつくりを『蚕棚』と呼ぶこともある。
限られたスペースを有効に使うという意味では有効だ。
なお、そこで不用意に起き上がると天井に頭をぶつけるので要注意だ(経験あり)。
「空調も備えられているんですね」
「そうだよ。特に湿気はお蚕さんによくないからな」
「ああ、聞いたことがあります。……確か、山梨でしたっけ? 『突き上げ屋根』って作りの家があった気が」
「お、よく知っているな。そう。風通しをよくすることと、明かりを取り入れることの2つに大いに役立つ作りなんだ」
「アキラさんは詳しいですね」
「まあ、そういう研究室だったからな」
その『蚕室』の傷んだ箇所にも仁が『強靱化』を掛け、補修したのであった。
* * *
「いやあ、ジン君のおかげで、建物ががっしりしたよ。本当に助かった」
夕食時、アキラがあらためて仁に礼を言った。
それほどまでに『絹屋敷』の老朽化は深刻だったのだ。
「そんなに予算がなかったんですか?」
「いや、予算を領内の開発に回して屋敷は後回しにしたからなんだ」
「ははあ、領民思いの領主様なんですね」
「いやあ、そんないいものじゃないけどな」
新米領主としての人気取りだよ、と言ってアキラは笑ったが、それが照れ隠しであることは周囲の者たちの生温かい視線を見ればすぐに察しがついた仁であった。
* * *
来客用の寝室にて。
(うーん、アキラさんって一所懸命なんだなあ)
仁はあらためてアキラの人柄を思い返していた。
自分と違い、『チート』もなしに異世界に放り出され、幸運に恵まれはしたもののほぼ己の力だけで地位を確立し、世界に貢献している。
(何か、俺にできることでもっと協力してあげたいけど……)
魔導具や魔導機を作るには『魔結晶』が手に入らない。
(便利な道具か……何があるかなあ)
そんなことを思う仁。
(……ハルトヴィヒさんと重ならない分野というと……)
これも大事である。
彼の存在意義を奪ってしまうのは仁にとっても本意ではないからだ。
(乗り物系……かな)
アキラはそちら方面には詳しくなさそうであるし、ハルトヴィヒもどちらかというと小型のものを作るのが得意そうである。
(特殊な素材が手に入らなくても、荷車ならいけるかも……)
そんなことを考えながら眠りに就いた仁であった。
* * *
翌日。
「そのくらいの素材なら用意できると思うよ」
「ではお願いします」
仁は木材と鉄を用意してもらい、まずはリヤカーを作った。
木材は丸太、鉄はくず鉄だが工学魔法があるので問題ない。
木材はまたたく間に角材と板に加工され、くず鉄は精錬された鉄のインゴットに変わる。
「ううん、ジン君は凄いね」
見学しているハルトヴィヒは感心することしきり。
「道具の代わりに魔法を使っているだけですよ」
「それでもね、僕も使えたらいいなとは思うよ」
これを聞いて、あとでハルトヴィヒに工学魔法の素養がないかどうか調べてみようと決心する仁であった。
さて、リヤカーの製作はさくさく進んでいる。
荷台は木製。車輪もとりあえず木製だ。要所は鉄で補強。
ゴムはそれなりに高価だというので、まずは木製、鉄補強にしたのである。
フレームは鉄パイプとした。
「できました」
「は、早いな……」
この程度なら1台あたり10分も掛からないで作れる仁である。
「おお、リヤカーだ!」
完成したことを聞いて見に来たアキラが嬉しそうに叫んだ。
荷車はあったが、リヤカーはなかった。
何が違うかというと、荷台の高さである。
この世界で使われている荷車は、車軸が荷台の下を通っているので、必然的に荷台の床は車軸より高くなる。
そして悪路に対応するために車輪の径は大きめ、つまり荷台の位置がとても高い。
仁が作ったリヤカーは左右の車輪が荷台の側面に付いている形となるため荷台が低く、荷物の積み下ろしが非常に楽である。
「これなら荷物の積み下ろしの効率が上がるよ。ジン君、ありがとう」
「いえいえ。……では、あと4台作っちゃいますか」
「え?」
一度作ってしまえば、製作速度はさらにアップ。
30分で計5台のリヤカーを作り上げた仁であった。
「これでいいでしょうか?」
「う、うん」
仁の技を目にしたアキラは若干引いている。
……がリヤカーを作ってもらったことにはきっちりと礼を言う。
「ジン君、ありがとう! これで領内の輸送が捗るよ。あとはこれを参考にして、同じものを増やしていけたらと思う」
「だと嬉しいんですが」
仁としても製作物を喜んでもらえるのは素直に嬉しい。
なので次に何かできることは……と考える。
素材はほとんど使ってしまったので、製作はできない……が。
「そうだ、道具類を整備しましょう」
「整備?」
「はい、壊れにくくしたり錆びにくくしたりできます」
昨日はリーゼロッテのところで実験器具の強化をしていたので、それを他の道具類にも、と思ったわけだ。
「それじゃあ、包丁をお願いできます?」
ミチアからの依頼である。
「わかりました。すぐにやりましょう」
刃物なら『強靱化』と『安定化』により、錆びにくく、刃こぼれしにくく処理できる。
仁は2分で包丁6丁を錆びにくく、刃こぼれしにくくした。
そして7分で台所の調理器具を錆びにくくする。
「終わりました」
「あ、ありがとうございます」
ミチアも少し引いていた……。
* * *
「凄いな、工学魔法は……」
少し羨ましそうなハルトヴィヒに仁は、
「練習してみますか?」
と尋ねた。
「え、僕に?」
「はい」
「覚えられるかな?」
「それは素質次第なんですが……」
「うーん、駄目で元々だ。試させてほしい!」
「もちろんです」
ということで、仁はハルトヴィヒの適性を確認するため、たまたまポケットに入っていた『魔結晶』の欠片を使い、『知識転写』の適性を測ることにした。
その昔、エルザやラインハルトにしたことと同じである。
* * *
結論からいうと、ハルトヴィヒはごく初歩ではあるが『工学魔法』を覚えることができたのである。
ハルトヴィヒは大喜びで、『変形』『加熱』『明かり』など初歩ではあるが工学魔法を使いまくっていた。
「これはすごい! 便利だ! ジン君、ありがとう!」
「いえいえ、有効に使って下さい」
「もちろんだよ。これでアキラへも、もっともっと協力できる」
その夜の『絹屋敷』は前夜にもまして大賑わいであった。
(喜んでもらえてよかった)
仁は和やかな気分で眠りに就いたのである。
お読みいただきありがとうございます。
20230104 修正
(誤)朝食時、仁はアキラに助教を説明し、判断を仰いだ。
(正)朝食時、仁はアキラに状況を説明し、判断を仰いだ。




