二人の新入り 2
「ちょっと剣くん?」
二人で並んで歩いている途上、末妃奈はわざと不機嫌な声で剣に呼びかけた。
「なんだよ?」
「おばさんは私の身体を心配してくれたけど、傷つけた張本人は何か言う事はないの?」
剣は少しだけバツの悪そうな顔をしながら、
「お身体の具合はどうでしょうか?」
卑屈な聞き方が少々癪に障り、末妃奈はお返しに尊大な態度で返答する。
「右腕の内部のC‐26回路のは破損。肩部の人工筋肉は断裂。両足のフレームは強制変形。何か言う事は?」
常に仏頂面を崩さない剣でさえ、かなり焦った顔を見せ、頭を下げた。
「誠に私の不徳の致す所です。今後はより一層の注意を払いたい所存でありまして……」
まるで、不祥事をやらかした官僚の記者会見を思い起こす謝り方である。
だが、末妃奈も心の底から怒っているわけではない。剣だって壊したくて自身の身体を破壊されたわけではないことも、もちろん理解している。ただ、それをお互いに了解しながらも、けじめを付けるために謝罪の場を設けるのだ。
彼女はこれを信頼関係の上で成立している儀礼のように思っている。
「ふむ、仕方ない。許してしんぜよう。次は注意するのだぞ」
末妃奈は完全に面白がる様子を見せながら言うが、剣は深刻な表情を崩さない。
「ああ。この世に二つと無い、大事な身体だからな。お前のことは必ず守り抜く」
「剣くん……」
少しだけ感動してしまった。あの朴念仁の剣がこんなことを言うなんて……。
顔を赤らめ、末妃奈が乙女の顔で剣を見つめていると、
「末妃奈の身一つ次第で、世界中のパワーバランスが崩れる可能性かあるからな。命に代えても、俺は大切な護衛対象を守り抜く」
「剣くん……」
あれ? 文字にすれば同じなのに、先程とは全く意味が異なる呟きが声に出たのは何故だろうか?
落胆しながら末妃奈はとぼとぼと学校へ向けて歩き出した。
「おい、いきなりどうした?」
「なんでもない!」
剣は慌てて追って来る。
まあ、本音を言えば、
……剣くんが無事なら、私は……。
元々戦いに赴く役目も、傷を負う責任も、全ては自分が背負うべきものである。
それを自ら進んで買って出た剣には感謝の念しかない。口では毎回身体が破壊されたことに文句を言いつつも、考えるのはいつも自身の身体よりも剣の無事である。
だから、照れ隠しのためについつい剣に大きな態度をとってしまうのだ。
「ところで末妃奈?」
「――え、え? どうしたの?」
夢見る乙女状態に入っていた末妃奈は慌てて現実に引き戻された。
「昨日、官房で聞いたんだが、機関に新メンバーが入るらしい」
初耳だ。昨日ツヴァイには会ったが、そんなことは一言も言ってなかった。
「官邸から帰る間際に総理から直接聞いた。どうやら、昨日の夜に決めたことらしい」
「あの夜」以来、機関の戦力は大幅に削られたため、戦力不足は常に指摘されていた
今回の米国大使の事件は何とか剣(と末妃奈の身体)だけで凌いだが、この次も上手くいく保証はない。《C》の連中がどう動くか分からない以上、磐石な体制と整えなければならないのだろう。
*
そもそも、『機関』とは何か?
『機関』とは、言わずと知れた内閣官房に置かれている極秘組織、『護国機関』のことだ。
魔術、神術、民衆には開示されていない科学技術、その他諸々の「一般社会には存在しない技術」から国家を防衛するために結成された機密扱いのタスクフォース。中央官庁、諸大学等の研究機関、宗教法人、国内の有力企業から選ばれた精鋭で構成された日本最後の切り札である。
那岐剣は内閣府の宮内庁から出向している魔人の少年であり、末妃奈のメンテナンスを担当するツヴァイは、中学生ぐらいの年齢ながらも、東京大学大学院工学系研究科の助教授であり、総理大臣のサポートを行う総合科学技術会議の議員でもある天才だ。
では、結城末妃奈という少女はどの組織から出向しているのか? そして、その特異な肉体をどのようにして持つに至ったのか?
*
その後はどんな新入りに入って欲しいかを話しながら、二人は学校に着いた。
私立神代学園高等学校。
創設者一族がお上と関わりが深いことから、剣や末妃奈のような政府関係者が在籍することが多い。剣自身も知らない特殊な経歴を持つ人物もおそらく居るはずで、以前も意外な人物がその手の人間だと分かったこともある、
「ん? ちょっと待って剣くん」
立ち止まると、末妃奈が目を瞑り集中した面持ちで、耳元に手をあてていた。
「職員室の方から気になる単語が聞こえる……。――今日、ウチのクラスに転入生が来るって!」
末妃奈の耳は特別製だ。鼓膜などがマイクロチップで改造されていて、数百メートル先の会話も、人間の可聴域を超えた音、つまり超音波を聞き取ることも出来る。
「どうしてこんな半端な時期に……。何か怪しくないか?」
剣は末妃奈を見た。
転入生と言えば、剣にとって真っ先に思い浮かぶのは目の前の少女だ。
「うっ……確かに私は怪しい身元だったけれど、今回は多分大丈夫だよ」
「だと良いんだが……」
結城末妃奈は元々転入生だ。彼女はある理由からこの学園へ来訪し、そうして那岐剣と出会うこととなったのだ。
末妃奈は、「機関の新入りも楽しみだけど、クラスの転入生もどんな人が来るのかなぁー」と楽しそうだ。
しかし、剣は逆に心配していた。米国大使の件があってからまだ二日と経たない。今回の転入生も、二ヶ月前に転入してきた末妃奈と同じく、かなりブラックな出自を持っているという可能性も否定出来ないのだ。
だが、天下の神代学園はその辺りを徹底的に調べているはずだ。末妃奈の件があったからこそ、更に厳戒な身元調査が行われているに違いない。
剣は、自分が心配する必要は無いと結論付け、末妃奈と供に校舎の中へと入っていった。
騒がしい朝の2‐Aに入り、自分の席に着くと、剣は左斜め前の机に目をやった。
……まだ帰ってきていないのか。
席の主の名前は火門ひのかど優一ゆういち。神社本庁に所属する名門一族の嫡男で、護国機関に出向している魔術師だ。剣とは幼い頃からの友人で、かなり長い付き合いである。
彼は現在、日本国内に居ない。機関からの指令で、イタリアのローマ市内に存在する世界最小国家、バチカン市国へと出向いているのだ。
カトリックの総本山であるバチカンは世界有数の魔動力保有地であり、聖職者だけでなく、魔術師も多数所属している。バチカンの内政を司るローマ教皇庁は、現実世界における魔術活動の一切を取り仕切る権限を持っており、日本の神社本庁もその傘に入っている。
そんな場所に優一が出向いたからには、何らかの理由があるはずだが、「極秘任務」という事で、剣は聞かされていなかった。
「優一くんはまだ帰って来ないね」
声のする方を振り向くと、末妃奈が心配そうな顔で立っていた。クラスメイトである前に、同じ護国機関に入っている仲間だ。彼の身を案じるのも無理は無い。
「まあ、そう心配するなよ。あいつの実力は折り紙つきだ。俺が保証する」
彼女の不安を取り除こうと、珍しく気を遣ってみる。だが、
「いや、心配なのは優一くんが無事に帰って来ちゃうことだよ。当分バチカンに居てもらわないと」
末妃奈が真面目な顔で剣の想像とは正反対の台詞を吐いた。
「え……?」
「実は、優一くんから借りた『とある宮内庁職員の苦悩』を何処かに置き忘れちゃって。あれが見つかるまで任務が長引いて欲しいんだけど……」
「げっ……」
今朝方、母親の唯が話していた父、刀千の迷著である。
「なんか、神社本庁の資料室の奥深くに眠っていた貴重本らしいんだよ……。『失くすなよ! いいか、絶対失くすなよ!』って言われて。帰ってくる前に見つけないとヤバいよー……」
何でそんな安っぽいコントみたいなことをやっているんだ……。
「……何処に置き忘れたか心当たりは?」
「多分、中央合同庁舎二号館……。昨日、電脳の通信精度のチェックをしに行ったから……」
「総務省かよ!」
よりにもよって、内政の中心に爆弾を置いてきたらしい。
「……末妃奈はその本を読んだのか?」
「すっごい面白んだよ! 政治家や官僚のやり取りとか、すごいリアリティがあって!」
だから発禁処分になったんだけどな。
その本を読んだ優一と末妃奈も、いつか消されるんじゃないだろうか……。
「本当は優一くん、剣くんに貸したかったみたいだけど、丁度その日、剣くんは任務だったから先に貸し
てもらったんだ」
出来れば一生読みたくない。
例の事件では神社本庁の呪術師が総動員されたらしいから、優一はその関係で見つけたのだろう。もしかしたら、あの作者が誰なのかも知っているのかもしれない。
「多分早く見つけないと、帰国した優一が空港に降り立った瞬間、公安に拘束されるぞ」
「え? それってどういう……?」
と、教室でするには随分と国の暗部に触れすぎた内容を話していると、前の席に一人の男がやって来た。
「おはよう、那岐、結城さん」
そこには、落ち着いた雰囲気の、優しそうな少年が居た。