護国機関 1
西暦二〇一五年五月二五日。
ジャック・ライアー米国大使の日本着任パーティが、千代田区のホテルで開かれた。
しかし、多くの政治家や財界人が集まる場で突如、謎の武装勢力がホテルを占拠。ライアー大使を含む数十人がホテル内で人質に取られた。
この事件を正体不明の勢力によるテロと認定した日本国政府だったが、人質のために警察や機動隊は突入を阻まれていた。
*
桜田門に聳え立つ警視庁本庁舎の中。警視総監は、現場に居る機動隊から話を聞いていた。
「なにっ! テロリストが光学兵器を所有しているだと?」
『間違いありません。どう見てもビーム兵器です。威嚇の数発で、ホテルの内装が溶解しています!』
ビーム兵器などという存在は、未だ実用化されていないはずだ。米軍ですら、その開発には難航しているとの噂も聞く。そのような装備を保有したテロリストが日本で行動を起こすなど……。
そんな存在に警察機構が対応出来る訳がない。自衛隊の出動も検討されるだろう。
警視総監は頭を抱えていると、机の上に置かれていた電話が鳴り出した。
すぐに手に取ると、若い女性の声が聞こえた。
『総監、私です』
「そ、総理……」
それは、この国の最高権力者の声だった。
「総理、今しがた連絡しようと思っていたところです。にわかには信じ難いことですが、敵勢力は未知の兵器を保有している模様です。かくなるうえは、総理に指揮権を委譲し、自衛隊の出動を進言しようと――」
『私も件の『兵器』については聞き及んでいます。しかし、自衛隊は出しません。また、指揮権は表向きには、依然として貴方が持っていてください』
「表向き? どういうことですか、総理?」
『総監、これより裏令を下します。今回の占拠事件の指揮権を私、白神亜梨沙内閣総理大臣に委譲してください。現時刻を持って、この件は私と内閣官房の所轄とします』
《裏令》。それは、公表されることのない、裏向きの命令だ。
そして、これが適用されるのは殆どの場合、あの組織絡みと聞く。
「総理、まさか彼らを出動させるおつもりですか!」
『敵の新兵器が表沙汰に出来ない以上、彼らに動いてもらうのが賢明です』
警視総監は、未だに『彼ら』を直接見たことが無い。国民に至っては、その殆どが存在すら知らない組織だ。
「分かりました、総理。指揮権を委譲します。御武運を」
『ありがとうございます』
そうして、通話は途絶えた。
*
ホテルの外で、茶色く長い髪を持った少女が、防護服を着て待機していた。年齢は高校生くらいだろうか。柔和そうな顔立ちとは反対に、その眼光は鋭い。
そして、その手に、この時代には場違いな武器が握られていた。
日本刀。とても現代戦では通用しない武装だ。
『聞こえるか、01。白神だ』
耳に付けたインカムから、女性の声が聞こえる。
「こちら01。感度良好です。現在、ビルの入り口付近で待機しています」
『指示を出す前から用意が良いな、お前達は』
「我々は、独自の情報網を持っていますので」
白神が苦笑するのが聞こえる。
『さて、総監が私に指揮権を委譲した。敵は未知の光学兵器を所有しているらしい。敵勢力を無力化し、米国大使を始めとする人質達を救え。日米同盟の未来も掛かっていることを忘れるな』
少女は気合を入れて返答する。
「了解!」
手に持った日本刀を腰に据え、彼女はホテルの裏口から侵入を開始した。
*
01と呼称された少女は、ホテルへ潜入し、内部を目視で確認する。そして、改造されている脳組織に埋め込まれた熱源探知機を意識起動し、周囲に人間が居ないことを確認すると、パーティ会場のある階層へ向かうためにエレベータを使う。
もちろん、目的階層のエレベータ入り口付近はテロリストの連中が見張っているだろう。扉が開いた瞬間、普通の人間なら蜂の巣ということも考えられる。
だが、普通ではない彼女には、その心配は無い。
エレベータに乗り込み、階数を指定する。連中は入り口付近の見張りはエレベータが動き出したことに気づき、仲間を呼んでいるに違いない。
頭上の数字盤を見る。もうすぐ到着だ。
扉が開くと同時。目の前に数人の人間が銃を構えているのを即座に確認する。
瞬間、何発もの破裂音が響き渡り、彼女は撃ち抜かれたかのように見えた。
しかし、
「通常兵器では、この身体を撃ち抜くのは不可能だ」
銃弾は彼女の前で零れ落ち、数発は手でポップコーンのように握り潰されていた。
「ば、ばかな……」
動揺している相手を尻目に、彼女はエレベータの外へと足を踏み出しながら、力強く両手の握りこぶしを両斜め前方に居た二人のテロリストの腹に叩き込んだ。
防護服を身に着けているはずの彼らは、少女の拳一つでよだれを垂らして気絶し、倒れた。
「貴様――っ!」
別の男が背後から襲いかかってくる。彼女は身体の向きを有り得ない速さで変え、彼の手首を蹴り上げて、銃を弾き飛ばした。
相手が怯んだ隙に、今度は顎下を思いっきり殴り、ノックダウンさせる。
「おい、二手に回り込めっ。コイツはおかしいぞ!」
敵が前と後ろの両方から襲い掛かるのが見えると、彼女は突然仰向けに倒れ、両手で上体を持ち上げる。その反動を受けた両足で前方の男を蹴飛ばし、空中で身体を一回転させると、今度は両足を地面と並行に回しながら、後ろに居た者達の頭を正確に狙って蹴り飛ばす。
着地と同時、別の人間が鋭利なナイフを握り締め、こちらに向かって突進してきた。
「痛覚を一部遮断」
少女はわざとそのナイフを右腕で受ける。
ナイフを向けた男が驚愕した。
「なっ……?」
ナイフを握り締めたまま驚く男ごと、腕を振りかざし、男は空中で弧を描いて床に叩きつけ
た。
少女は一息ついて右腕に刺さったナイフを引き抜いた。
「あーあ。また末妃奈に怒られる……」
彼女の見つめる腕からは、血の一滴も流れていなかった。代わりに、皮膚の裂け目から見えるのは、無機質な金属部品と無数のコード。
倒れていた男が、その光景を眺めて呟いた。
「貴様、何者だ?」
少女が振り向く。
「神様だよ」