ある女性の死と二人の姉妹
ドスッ!
横断歩道を通行していた私は、鈍い衝撃を受けてふっとんだ。
「轢き逃げだ!」 「誰か、誰か早く119番に!」
「おいっ、しっかりしろ!」
私の周りに通行人が集まってくる。皆、口ぐちに叫んでいる。
だけど私は声を出すことも、身じろぎすることもできず、アスファルトに横たわっていた。
「姉ちゃん、しっかりしろ!すぐ救急車が来る!」
必死に呼びかける誰かの方へと目を向けようとすると、突然視界が赤く染まる。
目に入ってきたのは血だった。どうやら頭も打ったらしい。この分だと全身打撲でもおかしくない。
朦朧とした意識がで最後に考えたのは。
―他人に殺されるとは思わなかったわね。
遠ざかる音と光。こうして一人の女性は世界から失われた。
芦田百合―職業は大学教授。轢き逃げによって死亡。享年37歳。他の家族は一年前に彼女を残して死亡していた為、母方の伯父夫婦によって葬儀は執り行われた。
轢いた男は連日の残業によって睡眠不足状態にあり、誤ってスピードを出しすぎた為今回の事故につながったということが取り調べによって発覚した。
誰にとっても救いの無いできごとだった。
春半ば。桜が降りしきる並木道を二人の少女が歩いていた。
「お姉ちゃん、すごいきれいだねぇ!」
赤いランドセルを背負った小さな少女がそばを散っていく桜を見て、手をつないでいる少女に話しかける。
「ええ。桜吹雪っていうのよ。昔の人達はいっぱい桜の詩を残したのよ。」
「へえぇー、物知りだね!すごいや!」
きらきらとした目で妹―呉竹茉莉香は私を見てくる。
―昔大学で教えていたからね。
心の中で姉の少女は呟いた。
呉竹齋―それが前世で芦田百合と呼ばれた魂の現在の姿だった。
―どうしてこうなったのだろう。
ひそかに今の人生を振り返る。齋はなぜか昔から難しい知識や経験したことの無い記憶があり、周りの大人も読めないような難しい漢字を読んだり、歴史に詳しくないと知らないような人の名前を行ったりして小さい頃から周りを驚かせてきた。それらは時に相手を怖がらせたり、気味悪がらせた。けれど、理解ある両親や祖母が私を支えてくれた。祖母に関してはちょっと特殊なのだけど。それに何より、前世では得られなかったものがあった。
「・・・おねえちゃん、おねえちゃんてば!」
はっと気がつくと、茉莉香がふくれっ面をしている。どうも少しの間ぼうっとしていたらしい。
「もう、きいてるの!」
「ああ、ごめんね茉莉香。あんまり桜がきれいだからみとれちゃってたの。」
「もう!」
ふくれたほっぺのまま茉莉香が横を向く。かわいらしい怒り方にこっそり笑ってしまいそうになるのをがまんする。このあたりでご機嫌をとっておかないと、きっと拗ねてしまうだろう。
「茉莉香、今日はおばあちゃんが手作りおはぎを持ってくるんだって。」
「ほんとう?もうかえろう!」
甘いものが大好きな茉莉香はすぐ機嫌を直してぐいぐい私の手を引っ張って歩き出す。
「そうね。帰りましょう。」
つないだ手を握り返すと、高めの体温と柔らかさが伝わり、自然と温かい気持ちになった。
私はそう、とても幸せだったのだ。
けれど、私はまだ知らなかったのだ。数年後、この幸せを壊すような危機的状態になることを―。