小さなくまさんの世界
あれ、道に迷った?
ついさっきまで勇希とデートをしていたよね?
背後で物音がした。思わず振り返ったが、そこには誰もいない。
「私、いつの間に森に来たの?」
ほんの数分前までは遊園地にいたはずなのに、森林に囲まれて一人ポツンと立ちすくんでいた。
とりあえず歩けば誰かに会えるだろうと考え、歩き出そうとしたとしたとき、再び音がした。それはさっきより強い音だった。
自分自身を抱きしめて震える声を絞り出した。
「誰かいるの?」
何かが近づいている。少しずつ後ろへと下がっていくと、何かが飛んできた。
「やだ!」
ギュッと目を閉じて思わず振り払った。
「痛いよー」
今にも泣きそうな声にそっと目を開けた。
「ん?」
そこにいたのは小さなくまのぬいぐるみだった。
「可愛い」
バスケットボールくらいの大きさで茶色で目がくりくりとしていて、ふわふわとして抱きしめたい衝動に駆られた。
「ふえっ」
「あ、ごめんね。大丈夫?」
そっと頭を撫でると、くまはニコッと笑っているように見えた。
嬉しそう・・・・・・。
さらに撫でてもらおうとしているのか、擦り寄ってきた。そのしぐさに撫でていた手を停止した。
「もうおしまいなの?」
「も、もっと?」
「もっと!」
なでることに集中した。くまは気持ちよさそうにしている。
あれ?こんなことをしている場合じゃないよね。
「あのさ!」
くまは一瞬ビクッと震えた。
「な、なーに?」
どうしよう、何を言えばいいの?
「君は誰?」
「くまさんだよ。クーちゃんって呼んで」
「クーちゃん、私は美海だよ」
「みーみー?」
「そう。あのね、ここはどこか教えて」
「ここは森だよ」
それは見ればわかるよ。そうじゃなくて。
「えっと、人のいるところはわかる?」
クーちゃんはしばし考えてから、顔を上げた。
「わかりません」
ごめんね、ごめんねとひたすら謝るクーちゃんを宥めながら、どうしようと考える。
「のどが渇いたな」
クーちゃんはその言葉にピクッと反応し、私の手を引いた。
「美海、おいで」
「どこに連れて行ってくれるの?」
「店!」
店?そこならここからもとの場所まで戻る方法を知っている人が誰かいるかも!
私が案内された場所は何度見渡しても信じられないところだった。
服屋、パン屋、薬屋、レストラン、花屋などとたくさんの店があるにもかかわらず、人が一人もいない。いるのはたくさんのくまのぬいぐるみだった。
カランカラン
気がついたら、私達はパン屋へ入っていた。
「クーちゃん、お金!」
「ん?」
「いや、持っているの?」
私はポケットの中に手を入れたが、何も入っていなかった。
「ないけど、大丈夫だから」
顔面蒼白になっている私と違って、クーちゃんは鼻をクンクンとさせて、パンの匂いにうっとりとした顔になっている。
大丈夫なわけないでしょう。きちんと金を払うということを知らないの?
どうしようとおろおろしていると、店の人ではなく、くまが気がついた。
「いらっしゃいませ」
にこやかに笑っているくまを見て、私は言葉を失うばかりだった。
「こんにちは!パンと飲み物をください!」
「どうぞ、好きなものを選んで」
「あの、お、お金・・・・・・」
「いいですよ。クーちゃんが最近頑張って手伝ってくれたから、今日はサービスしますって約束していたものね」
「ねー」
そういうこと。手伝いってことはここと仲が良いってことだよね。
「パンも食べて。美味しいから!」
「う、うん」
パンの種類が豊富だな。何にしよう。
私達はゆっくりと見たあと、チョコチップメロンパンとクロワッサンを選んだ。飲み物はウーロン茶にした。
「美味しい!」
「うん、そうだね」
クーちゃんの口の周りに食べかすがついていた。指でとると、さっきまで忙しく食べていたのに、じっとした。
「僕もやる!」
小さな手を必死に伸ばしてきたので、顔を近づけると、汚れてもいないのに一生懸命拭いている。
食べたり飲んだりしている合間に何度もそれを繰り返してきた。
もういいよと言っても、ついているからと返されてしまった。
店にいるくまは楽しそうに笑う始末。
店のくまにお礼を言ったあとに事情を話したが、情報は得られなかった。
「ごめんなさい、お役に立てなくて」
「い、いえ」
「そうだ。その森にもう一度行ってみたらどうかしら?」
森へ行けば、帰れるのかな。かといって、いつまでもここにとどまれない。
「そうします」
店を出ると、クーちゃんもついてきている。
「クーちゃんはもう家に帰っていいよ。夕方だし・・・・・・」
しかしクーちゃんは首を横に振るだけだった。
「行く!」
あきらめて森へ向かうことにした。
しかし何も起こらない。
「もう帰れないのかな」
クーちゃんは小さな石を渡してきた。きれいな石。
「あげるから元気を出して」
この子なりに私を慰めてくれている?
「ありがとう。クーちゃん」
「どういたしまして」
渡したあと、石をしばらく眺めていると、クーちゃんがいないことに気づき、かなり焦った。
「クーちゃん?どこ?クー!」
叫んだ瞬間、強い衝撃があった。目の前にいるのはクーちゃんだった。
私の全身が光に包まれていた。
「美海、好きだよ。本当はもっと一緒にいたいけど、ばいばいするの!」
クーちゃんは泣きそうな顔で私を見ていた。
「私も好きだよ。忘れないからね」
光が強くなり、クーちゃんが見えなくなった。
「美海、起きろ!」
「ん・・・・・・勇希?」
「急に倒れるからびっくりした。大丈夫か?」
「あの、クーちゃんは?」
「まだ寝ぼけてやがる。もう少し休め。いいな?」
頷いたあと、ポケットに違和感を覚え、手を入れると、クーちゃんからもらった石が入っていた。
夢じゃない。
「あのね、面白い話があるから聞いてくれる?」
「いいぜ」
それはほんの短い時間に起こった小さなくまさんの優しい物語。