第2話:死神閣下の温かなスープと、初めての「おかえり」
お城の中は、外の猛吹雪が嘘のように静かだった。
石造りの廊下には、深い真紅の絨毯が敷き詰められている。壁にかけられた魔法具の燭台からは、柔らかな琥珀色の光が溢れ、寒さで震える私の視界を優しく包み込んだ。
「……あの、閣下。おろしてください。私は、歩けます」
カイルム様の腕の中で、私は消え入りそうな声で訴えた。
王都では、私は「不浄」として誰にも触れられなかった。私が触れれば、相手の体温を奪い、不快な思いをさせてしまう。そんな私が、この国の英雄である方の胸に抱かれ続けていいはずがない。
けれど、カイルム様は私を下ろそうとはしなかった。
「無茶を言うな。君の足は、もう感覚がないほど冷え切っている。……それに、君は驚くほど軽い。ちゃんと食事を与えられていたのか?」
その問いに、私は言葉に詰まった。
公爵家では、妹のベアトリスが食べ残した冷めたパンや、傷みかけた野菜の屑が私の食事だった。使用人たちも、私に触れるのを嫌がって、食事を床に置いていくことさえあったから。
答えられない私を見て、カイルム様はわずかに眉を寄せ、さらに腕の力を強めた。
その力強さが、決して私を落とさないという意志のように感じられて、私は思わず彼の黒い外套の襟元をぎゅっと握りしめていた。
大きな扉が開く。
そこは、暖炉の火がパチパチとはぜる、広々とした居間だった。
「閣下、お帰りなさいませ! ……おや、そちらの小さなお嬢様が?」
出迎えたのは、きびきびとした動作の女性だった。
銀髪を短く切り揃え、騎士服のような凛々しいメイド服を纏った彼女は、私を見るなりその目を丸くした。
「セフィ、準備を。この方は今日からこの城の主となる、エルシア様だ。すぐに温かい食事と、着替えを用意してくれ」
「承知いたしました! ……まあ、なんてこと。こんなに濡れて……。すぐにお支度をいたします。エルシア様、よくぞノースウォールへお越しくださいました」
セフィと呼ばれた彼女は、私の姿を見て顔を曇らせたけれど、それは「不浄」を嫌う色ではなく、純粋に私の体調を案じる「慈しみ」の色だった。
私は、その温かな視線に耐えられず、また俯いてしまう。
カイルム様は、暖炉の真ん前にある、毛皮が敷かれた大きなソファに私をそっと降ろした。
「ここで待っていなさい。すぐにスープが来る」
彼はそう言うと、私の目の前に跪き、驚くべきことに自らの手で私の濡れた靴を脱がせ始めたのだ。
「っ……か、閣下! なにを……!」
「……足先まで氷のようじゃないか。失礼、少し失礼するよ」
彼は大きな手のひらで、私の冷え切った足を包み込んだ。
じわり、と。
まるで氷の上に熱い湯を注いだような、強烈な熱が伝わってくる。
私の「氷」の魔力が、彼の「熱」に触れて、霧のように溶けていくのがわかった。
「……あ……う……」
あまりの心地よさに、思わず吐息が漏れる。
私を苦しめてきた「冷たさ」が、彼の手によって吸い取られていくような錯覚。
「私の魔力は強すぎる。こうして誰かを温めることなど、今まで一度もできなかった。……だが、君は。君だけは、私の熱を嫌がらないのだな」
カイルム様は、独り言のように呟いた。
その瞳には、深い孤独と、それ以上の喜びが混ざり合っているように見えた。
やがて、セフィが銀のトレイに乗せて持ってきたのは、湯気が立ち上る黄金色のスープだった。
野菜と鶏肉をじっくり煮込んだ、濃厚で、芳醇な香り。
「どうぞ、エルシア様。まずは一口、召し上がってください」
震える手でスプーンを持ち、一口、口に運ぶ。
熱い液体が喉を通り、胃に落ちた瞬間。
私の身体の芯に、初めて「春」が訪れた。
「……おいし、い……です……」
ポタリ、と。
スープの中に、大粒の涙が落ちた。
温かい。
食べ物が、こんなに温かくて、優しい味がするなんて知らなかった。
誰かに「おかえり」と言ってもらえることが、こんなに胸を締め付けるなんて思わなかった。
「……美味しいか。そうか。なら、もっと飲みなさい。ここには、君が食べたいものは何でもある」
カイルム様は、私の隣に座り、私の髪を優しく撫でた。
その指先は、私が恐れていた「奪う熱」ではなく、私を「守る光」のようだった。
「……閣下。どうして、私にこんなに良くしてくださるのですか? 私は……私は、王都で『不浄の氷』と言われ、疎まれてきた女なのです。いつか、閣下のことも凍らせてしまうかもしれないのに……」
私の問いに、カイルム様はふっと口角を上げ、静かに笑った。
それは、凍てつく冬の夜に、唯一輝く星のような、美しい微笑みだった。
「エルシア。私は『氷の死神』だ。強すぎる氷の魔力のせいで、この地の誰も私には近づけない。だが、君はどうだ? 君が隣にいるだけで、私の荒れ狂う魔力は、凪のように静まるのだ」
彼は私の手を、自分の心臓の上に当てた。
ドクン、ドクン、と。
力強い生命の鼓動が、私の手のひらを打つ。
「君の冷たさは、呪いではない。……私にとっては、何よりも尊い『救い』なのだよ」
救い。
その言葉が、私の凍りついた人生の全てを、肯定してくれた気がした。
私は、溢れ出す涙を拭うことも忘れ、ただ彼の温かな胸に顔を埋めた。
外の吹雪の音は、もう怖くなかった。
ここには、私を全肯定してくれる、私だけの「太陽」がいるのだから。
エルシア・フォン・フレイム。
捨てられたはずの私は、この日、世界で一番温かな地獄――いいえ、天国へと辿り着いたのだ。
「君の冷たさは、私にとっては救いだ」
カイルム閣下の不器用で、けれど深い愛の一節。
皆様の心にも、ほんのりと熱が届きましたでしょうか。
冷え切った身体に、温かなスープと、それ以上の「愛」が染み渡る……。
そんなエルシアの変化を、これからも一歩ずつ丁寧に描いてまいります。
もし、この「体温」を感じる物語をこれからも応援してくださるなら、
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皆様からの温かな反応が、私の執筆の何よりのエネルギーになりますわ。
次回、第3話は「初めてのふかふかベッドと、閣下の甘い囁き」をお届けする予定です。
どうぞお楽しみに。




