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父の刃

作者: 久保ハル
掲載日:2026/03/16

 世の中は、いつからこんなに暗くなったのだろう。

テレビをつければ事故や争い、誰かの怒りばかりが流れてくる。窓の外の空まで、どこか灰色に見えた。

 

 「うるさいな……」


 リビングのソファに寝転びながら、娘はリモコンを乱暴に押した。ニュース番組が消え、部屋は静かになる。


 妻は娘が産まれてすぐに原因不明の病にかかり、この世を去った。それからというもの娘を優先に生活してきた。


 高校生になった娘は、最近すぐに反抗する。話しかけても会話にならない。


 それでも、毎朝同じように声をかけた。


 「朝飯、食ってけ」


 「いらない」


 ぶっきらぼうな返事。だが、玄関を出る前にちらりと振り向く。


 まだ見てる。


 美咲は小さく舌打ちしてドアを閉めた。

 ほんの少しだけ、安心していたことを、本人だけが知っている。



 その頃、学校では別の嵐が吹いていた。


 クラスの一部の生徒が、美咲を標的にしていた。

 きっかけは些細なことだった。言い返したこと、群れなかったこと、空気を読まなかったこと。


 机に落書き。

 聞こえるような悪口。

 スマートフォンに届く無数のメッセージ


 「別に平気だし」


 誰もいない帰り道で、そう呟く。

 けれど涙は、言葉より正直だった。



 その日、隆は一本の電話を受けた。


 学校からだった。


 内容は多くを語らない、曖昧な説明。

 「少しトラブルがありまして」という言葉。


 だが父親には十分だった。


 黙って電話を切り、棚の上の古い木箱を開けた。


 中には一本の刀があった。

 祖父の代から残る、古い日本刀。


 もちろん人を斬るためではない。

 隆志は剣術の道場で子どもたちに剣道を教えている。


 だが今日は違った。


 「……守るってのは、こういう時だよな」


 刀を手に、学校へ向かった。



 校門の前。


 数人の男子が笑っていた。

 その中心に、美咲がいた。


 「だからさ、お前さ――」


 言葉が止まった。


 ゆっくりと歩いてくる男がいたからだ。


 美咲の父だった。


 手には木刀。


 「お前ら、うちの娘に何してる」


 声は大きくない。

 だが、空気が凍った。


 男子の一人が笑う。


 「別に?遊んでるだけ」


 その瞬間、木刀が地面に叩きつけられた。


 乾いた音が響く。


 「遊び?」


 隆志の目は、怒りではなく、覚悟の色だった。


 「だったら俺が相手してやる。

  娘を泣かせる遊びなら、父親とも遊べるよな」


 誰も笑わなかった。


 男子たちは顔を見合わせ、逃げるように去っていった。


 静寂が残る。


 美咲は顔を赤くして叫んだ。


 「……バカじゃないの!?恥ずかしいんだけど!」


 隆志は肩をすくめた。


 「そうか」


 それだけ言って帰ろうとする。


 美咲は思わず呼び止めた。


 「……なんで来たの」


 父は少し考えてから答えた。


 「父親だからだ」


 それだけだった。



 夕方。


 家の食卓には、珍しく二人分の夕飯が並んでいた。


 しばらく沈黙が続く。


 やがて美咲が小さく言った。


 「……今日さ」


 隆志は黙って聞く。


 「ちょっとだけ、助かった」


 顔はそっぽを向いたまま。


 「でも調子乗んなよ。

  別に守ってほしいとか思ってないし」


 隆志は笑った。


 「そうか」


 味噌汁をすすりながら言う。


 「俺は守るから」


 美咲は黙った。


 少しだけ目が潤んだが、父には見せない。


 外はまだ暗いニュースで溢れている。

 それでもこの小さな家の中には、確かな灯りがあった。


 刃を振るったのは、怒りのためじゃない。


 ただ一人の娘を、

 静かに守るためだった。



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