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クレマチス〜精神の美
少し長めの回です。
二人の時間がゆっくり進みます。
辺りはすっかり暗くなっていた。
港の灯りもまばらで、人の気配はほとんどない。
駅の掲示板には「本日最終」の札が下がっていた。
「帰れないね」
彼女が小さく言った。
困った様子というより、どこか受け入れているような声だった。
視線の先、海沿いに古い旅館が立っていた。
灯りは弱く、営業しているのかも分かりにくい。
「……あそこ、聞いてみる?」
戸を開けると、奥から女将らしき人が出てきた。
一部屋だけ空いていると言われ、僕たちは顔を見合わせて頷いた。
部屋は八畳ほど。
柱時計の音だけが規則的に響いている。
窓の向こうには、暗い海の気配があった。
布団は二枚、ぎりぎり並べられる距離。
僕は濡れた服を干し、彼女は黙って浴衣に着替えていた。
「変な感じだね」
「うん」
視線を合わせないまま返事をする。
同じ空間にいるのに、昼間より静かだった。
「今日、楽しかった?」
少し間を置いて聞かれる。
「怖かったけど……でも、なんか特別だった」
彼女は小さく笑った。
「私も。いつもと違う日だった」
波の音が続いていた。
眠れないほどじゃないのに、すぐには眠れなかった。
すぐ隣に人がいるだけで、
時間の進み方が変わる気がした。
ここから翌朝に続きます




