第07話:法と感情の狭間:揺れる正義の天秤
月織--広大な物語の世界を縦横無尽に駆け巡る、新進気鋭の物語紡ぎ手です。
ジャンルを問わず、読者の心に深く響く「希望」と「葛藤」、そして「成長」の物語を描き出すことを信条としています。特に、全年齢対象作品においては、子供たちの純粋な心にも、大人の複雑な感情にも寄り添い、ページをめくるたびに、新たな「光」を見出すような感動体験をお届けすることをお約束します。
すべての作品が、読む人の明日を照らす一筋の光となることを願って、今日も筆を執ります。
序章:制度の壁と刑事の限界
法学部のゼミが終わり、星は黒板に書かれた一つの言葉を、しばらくの間、見つめていた。
「法とは、社会の最大公約数である。それは正義ではない。だが、公正さを保つための必要悪だ」
教授の言葉が、昨夜の戦いの記憶と重なって響く。エメラルドノヴァとしてであれば、あの怪物を躊躇なく打ち砕けた。だが、制服を着た緑川 星刑事としては、違う。
「星、また難しい顔してるよ。昨日のあのエネルギー反応の件、特務機関の連中が引き上げちゃったんだってさ。遺憾だね」
響が、コーヒーを飲みながら近寄ってきた。
「そうなんだ…。現場検証にも入れないなんて、刑事として不甲斐ないわ」
「まあ、お堅い世界だからね、警察も。星は自由すぎるんだよ、良くも悪くも。だから、元アイドルとか言われちゃうんだよ」響は悪気なく笑うが、星の心にその言葉は重くのしかかる。
今日の星は、地域課の交通整理の補助と、簡単な文書作成の雑務を割り当てられていた。それは、昨日の大規模事案への対応が不十分だったと上司に判断された結果かもしれない。
「私は、法を学んでいる。法の下で正義を執行するのが私の仕事なのに…」
星は拳を握りしめる。刑事として、彼女の力は、標準以下のものだ。
第一幕:法で裁けない「小さな悪」
午後の業務中、交番に駆け込んできたのは、初老の男性だった。彼は青ざめた顔で、泣きそうな声で訴えた。
「頼みます、刑事さん! 私の年金が…給料が、ごっそりやられました!」
被害者は、最近流行りの「情報投資詐欺」の被害者だった。被害額は彼の退職金に相当する大金。犯人グループは巧妙で、電子データとして金を抜き取った後、痕跡を完全に消去していた。
「落ち着いてください。まず、被害届を提出してください。データ解析班に、可能な限りの手がかりを提出します」星は、刑事としての訓練された口調で対応する。
しかし、被害者の目は虚ろだった。
「もう遅いんだよ、刑事さん。奴らは海外のサーバーにデータを移して、追跡なんて不可能だ。警察が動いても、形式的な手続きで終わる。私はもう、生きていけない…」
その絶望は、昨夜、エメラルドノヴァが立ち向かった怪物が放つ絶望の波動と、奇妙なほど似ていた。法という名の枠組みの中で手続きを踏んでいる間にも、被害者の人生は崩壊していく。
星は、心の中で叫んだ。「違う! こんな馬鹿げた理由で、人が生きていけなくなるなんて、あってはならない!」
彼女は、刑事として動く。しかし、その一歩一歩は、特務機関の規制、捜査の管轄、証拠法の壁によって、極めて重く、遅い。
「もし、私がエメラルドノヴァだったら…奴らのサーバーを直接、光で焼き払って、データを復元してやるのに」
その衝動を抑え込むため、星は自らの拳を何度も硬い机に叩きつけた。それは、彼女の持つ「力」と、今の立場「法」との間に横たわる、巨大な断絶を意味していた。
第二幕:グリフの提案と、倫理の境界線
夜、星は自室で、刑事の制服と、エメラルドノヴァのスーツの残滓を前に座っていた。グリフがそっと、詐欺事件の解析データを投影している。
『マスター、データ解析班の解析結果が出ました。犯人グループのアジトは特定できましたが、彼らは公権力による強制捜査が入る前に、全ての物理的な証拠を隠滅する準備を整えています』
「つまり、今、私たちが動いても、決定的な証拠が掴めないってこと?」
『その通りです。警察の権限では、現時点での強制捜査は困難。マスター自身が、私を介して「法を犯す」行為に出るか、あるいは、諦めるか、二つの選択肢しかありません』
グリフの言葉は、星に究極の選択を突きつける。刑事としての職務を全うするなら、諦めるしかない。だが、人としての良心に従うなら、法を破るしかない。
「法は、人々のためにあるはずなのに、どうして、人々の絶望を守ることができないの?」
星は、アイドル時代に感じた虚しさを、今度は刑事として味わっていた。あの時も、華やかな舞台の裏で、失意のファンを生み出していた。
「もし、私があの時のステージで、ミナちゃんの夢を奪うような真似をしていたら…もし、今の私が、この被害者を助けなかったら、エメラルドノヴァとして名乗る資格なんて、あるのかしら」
星は、強く握った拳から力を込めた。
「グリフ。私は、私自身の正義を信じる。法が追いつかない場所があるなら、それを照らすのが、私の役割だ」
『承知しました。マスターの意志を最優先します。ただし、法を破る行為は、マスターの「刑事としての未来」に大きな傷を残します。そのリスクを理解した上で、実行しますか?』
星の目から、一筋の涙がこぼれた。それは、刑事の制服を着た自分に向けた涙であり、同時に、力を持ちながら何もできない自分への苛立ちでもあった。
「私が、この未来の光を守るために、過去の自分を乗り越えるのなら、今の私が、法を破ってでも、信じた道を突き進むわ。覚悟の上よ。」
第三幕:光と影の境界線
深夜。星は、制服のポケットに小型デバイスを隠し持ったまま、グリフが特定したアジトの裏手に立っていた。彼女は変身しない。あえて、刑事としての「権限外」の領域で、グリフの解析能力を最大限に借りて、証拠を確保するつもりだ。
「グリフ、システムへの侵入は、あくまで証拠確保のため。見つかったら終わりよ」
『承知しました。セキュリティシステムの盲点、一箇所確認。解析開始』
グリフが、星のデバイスを介して、アジトのサーバーにアクセスを開始する。星は、自分の体が再び光に包まれる誘惑を必死に抑えつけ、ただ、刑事としての集中力のみを研ぎ澄ませた。
数分後、グリフが解析結果を報告する。
『証拠データ確保。投資詐欺の全貌、送金先、関係者の情報、全てマスターのデバイスに転送しました。これだけの情報があれば、特捜班も動けます』
「よし…!」
星は、安堵と緊張で力が抜けた。法を破らず、しかし、法が動けるだけの「証拠」を、彼女自身の意志で勝ち取った。
彼女は証拠を匿名で特捜部にリークし、すぐにその場を離れた。
翌朝、ニュースでは、大規模な投資詐欺グループが逮捕されたと報じられている。
黒岩が星に近づいてきた。
「緑川、昨日の夜、お前どこに行ってたんだ? お前が提出したわけじゃないが、この詐欺事件の件で、特捜が動いたらしい。あまりに決定的な情報だったそうだ」
星は、いつものように眼鏡を押し上げ、穏やかな顔を作った。
「ああ、あれですか。夜勤明けに、ちょっとした情報提供がありまして。私、地域課なので、そういうのも拾うのが得意なんです」
黒岩は疑いの目を向けたが、それ以上の追及はしなかった。星の誠実な態度と、何より事件が解決した事実が、彼を納得させたのかもしれない。
「…まあいい。だが、覚えておけ。ヒーローごっこは必要ねえ。お前は刑事なんだからな」
「はい。分かっています」
星は交番の窓の外を見た。朝日が昇り始めている。それは、彼女の決意の光であり、同時に、法という名の制約の中で、光を見つけ出さなければならない、という重荷でもあった。
(第7話了)




