第7話 四つ腕ゴリラ
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キャットボーイに救われた悠句が辿り着く先は……。
新宿駅西口方面の、人気のない地下通路。埃とカビの匂いが鼻をつく薄暗い通路で、僕たちは立ち止まった。
「よし、ここから入るよ」
少年が指差したのは、古びて錆びついた鉄の扉だった 。しかし、その扉は、まるで「二度と開けるな」とでも言うように、縁が壁に無骨に溶接されている 。
「これ、開かないんじゃ…」
僕の呟きに、少年は
「前来た時は普通に出入りできたんだけどね。誰かがいたずらしたらしい。……まあ、しょうがないか」
と呑気に頭を掻いた。
少年は、少し腰を落として、軽く拳を握る。
「猫…パンチ!」
あまりに可愛らしい掛け声に、僕の思考が一瞬、現実から浮遊した。
猫?パンチ…?
その直後、僕の常識が、轟音と共に粉々に砕け散った。
彼が扉を殴った瞬間、ごう、と空気が震える衝撃波が僕の頬を撫でた。
溶接された金属が引きちぎれる甲高い悲鳴。
分厚い鉄の扉全体が、まるで紙切れのように壁から剥がれ、砲弾となって扉の向こうの暗闇へと消えていく。
遅れて届いた「ガッシャアァァン!」という破壊音が、地下通路に反響した。
開いた口が塞がらない。
人間の、それも僕とさほど変わらない体格の少年が出せる力では、断じてない。
僕がその非現実的な光景に、縫い付けられたように立ち尽くしていると、少年は、
「さあ、こっち」
と僕の手を引いた。
僕には彼が人間ではない何かに思えて、ただ呆然と、ぽっかりと開いた暗闇の向こうへと導き入れられた。
てっきり、駅のホームか、薄暗い職員用の通路が続いているだけだと思っていた。
だが、扉の先に広がっていたのは、駅の構内とはまったくかけ離れた光景だった。
僕たちは、薄汚れたビルの合間にある、息の詰まるような路地裏に出た。
そこは、音のない場所だった。
さっきまでいた新宿の喧騒が嘘のように、全ての音が壁に吸い込まれてしまったかのような、不自然な静寂が支配している。
カビと、何か獣のような生臭い匂いが混じり合って鼻をついた。
この場所を照らしていたのは、ある建物からぶら下がっている看板の、見慣れない象形文字が書かれた、弱々しく点滅するネオンサインだけだった。
湿ったレンガの壁には、巨大な獣の爪で引っ掻いたような、暴力的なマークが刻まれている。
ここがまともな場所ではないことだけは、肌で感じられた。
僕がその異様な光景に立ち尽くしていると、背後で空気が収縮するような、奇妙な音がした。
振り返ると、先ほどまであったはずのドアは、跡形もなく消えている。
そこにあるのは、ごみが散乱した薄汚い壁だけだった。
嘘だ、とかすれた声が漏れた。
ドアがあったはずの場所に手をやってみたが、僕の手は虚空を掴むばかりだった。
何が起きているのか、全く理解できない。
先ほど扉を破壊した轟音が、まだ耳の奥で反響している気がした。
この不自然な静寂の中で、あの破壊音だけがやけに生々しい。
その時、路地の奥の暗闇から、地響きのような怒声が轟いた。
「今のデカい音は何だァッ!」
僕の隣で、猫耳の少年が「しまった」という顔で息を呑むのが分かった。
やはり、あの音はまずかったのだ。
そして、扉が頑丈に溶接されていた理由は——。
声と同時に、一つの影がぬっと現れる。
けばけばしい紫色のスーツを着た巨漢。
その顔は、人間ではなく、ゴリラの顔だった。
そして何より異様だったのは、体から四本の腕が突き出ていることだ。
血走った目が、まるで獲物を品定めする肉食獣のように僕たちを射抜いていた。
四つの腕すべてに浮いか上がった血管が脈打ち、筋肉が怒りで震えている。
四つ腕ゴリラが、地面を震わせるような大音声で吠えた。
「てめえら、人のナワバリで随分と派手にやってくれるじゃねえか!」
猫耳の少年が息を呑んだ。
彼の顔から血の気が引いていくのが、薄暗い路地裏でもはっきりと分かった。
それまでの彼からは想像もできないような、焦りの色がはっきりと滲んだ声で呟いた。
「スーツ……四本腕……まさか、ここは……」
彼の悪い予感を裏付けるように、巨漢の怒声に応えて、左右の薄暗い脇道や古びた建物の戸口から、次々と異形の者たちが姿を現す。
服装は様々だが、共通しているのは、全員がゴリラの顔をしており、四本の腕を持っていることだった。
そして、その腕という腕には、殺意満々の凶器が握られていた。
錆びついた鉄パイプに、刃こぼれしたドス。
大口径のリボルバーを二丁構えながら、残りの二本の手で鎖を弄ぶ者もいる。
それは、統率の取れた組織というより、暴力を信奉する野獣の群れだった。
猫耳の少年は僕を庇うように一歩前に出る。
彼の表情からは、すっかり余裕の色が消え失せている。
「まずい! 四つ腕ゴリラの縄張りのど真ん中だ……!」
猫耳少年の焦りの声を聞いて、ゴリラたちは嗜虐的な光を目に宿した。
獲物を嬲るように、ゆっくりと、一歩、また一歩と包囲の輪を縮めてくる。
鉄パイプを引きずる音、四つの拳で指を鳴らす不気味な音。
獲物を前にした獣の低い唸り声が、僕の鼓膜を圧迫した。
「……囲まれる前に抜けるぞっ! 掴まれ!」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
無法の街へ、ようこそ。
辿り着いた瞬間、最悪のトラブルです。
凶暴な『四つ腕ゴリラ』の群れに、完全に包囲された二人。
果たしてキャットボーイ・明日は、悠句を守り、この窮地を突破できるのか。
物語がどんどん加速していきます。
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