第23話 救出作戦
緊急招集の連絡を受け、僕と明日はオクムラマンションから組合の事務所へと急いで向かった。
ドアを開けると、いつもとは違う空気が肌を刺した。
机上に置かれたタブレット型のモニターを、ワンさんが指し示している。
その周りには、黒いウェーブヘアーの美青年――鹿瀬カイと、鰐の顔を持った重武装の紳士――氏左衛門さんが、厳しい顔でモニターを囲んでいた。
「来たか、坊主、猫坊」
ワンさんが、ドアを開けた僕たちに気づいて顔を上げる。
「緊急の救出任務だ。
本土、八王子市の旧市街シェルターに、民間人が十名隠れている。
現状、現場付近を嗅ぎ回っているのは間引き隊だけだが、淘汰委員会が出てくるのは時間の問題だ。
連中が嗅ぎつける前に、全員を偽東京に運び出す」
「間引き隊か……悠長にはしてられないな」
明日が、鋭い目つきでモニターの航空写真を睨みつけながら呟いた。
「そうだ。
今回は時間との勝負になる。
お前たち四人で向かえ。
何があるか分からん」
「ワンさんは?」
明日の問いに、ワンさんは「俺は動けん」と短く答えた。
「また『八咫烏』でありますか」
氏左衛門さんの言葉に、ワンさんは忌々しげに頷く。
『八咫烏』は、組合と敵対する過激派集団だ。
奴らは偽東京の秩序そのものを破壊しようとする連中で、そのためなら無差別な抗争も辞さない。
「ああ。
奴ら、俺たちが本土で動く情報をどこからか嗅ぎつけやがった。
前回みてえに、俺の留守を狙って騒ぎを起こされてはたまらん。
『黒潮』に指示を出し、奴らの出方を窺う」
ワンさんが口にした『黒潮』とは、組合が誇る精鋭の戦闘部隊のことだ。
組合の主力であり、その多くがサイボーグ化されている。
機甲隊と連携しての正面戦闘では絶大な力を誇るが、今回のような隠密での救出作戦には向かない。
「御意」
氏左衛門さんが、その長い顎をわずかに引いて応える。
「お任せください、ワンさん。
俺の『蜻蛉』の出番ですね」
カイも不敵な笑みで応じる。
普段は『不知火』と名付けた深紅のホバーバイクを乗り回している彼だが、その本領は空にある。
愛機は、組合が保有する特殊戦術飛行艇 Ha-11、通称『蜻蛉』。
隠密高速輸送に最適化された機体で、本土の技術水準を上回る高強度の装甲、ステルス・消音機能、簡易機銃、そして高度なアクロバット飛行を可能にする可変翼を備えている。
最大二十名を収容可能だ。
カイは、僕と目が合うとニッと笑ってウインクしてみせた。
「よお、新入り。
俺の神業フライト、特等席で見せてやるよ」
「隠殿、猫坊っちゃん。
本日はよしなに頼みやす」
氏左衛門さんが、落ち着いた声で言った。
夜の闇の中、カイが操縦する『蜻蛉』が、八王子市旧市街の上空に到達した。
眼下に広がるのは、明かりの消えた死の街だった。
ここはかつて、反政府組織の根城になっているという嫌疑をかけられ、淘汰委員会の上級委員・冬村ガクとジェイキッド=ハルズベリーによって町ごと壊滅させられた場所だ。
ガクの「氷の聖絶」が都市の全てを凍てつかせ、ハルズベリーの「銃撃の聖絶」が街のほとんどを氷塵になるまで粉砕したという大事件は、本土のニュースでも大きく報じられた。
かつてはそれなりに栄えていた街だが、今ではただのコンクリートの墓標だ。
『蜻蛉』は、唯一安全に着陸できそうな廃墟ビルの屋上へと、その名の通り音もなく舞い降りた。
『何かあればすぐに知らせてくれ。
いつでも飛び立てるようにしておく』
通信機から、カイの真剣な声が響く。
「了解。
頼んだ、カイ」
明日が短く応え、僕たちは飛行艇から降り立った。
本土の空気は、偽東京の喧騒とは違う、冷たくて重い、埃っぽい匂いがした。
「猫坊ちゃん、ビル周囲の状況は」
氏左衛門さんが明日に訊いた。
明日が、猫耳をぴくぴくと動かす。
そして、夜の闇を見通す猫の目が、遠くの街路を捉える。
「……装甲車が五台。
バラけてる。
見た感じ、こっちの着陸にはまだ気づいてない……と思う。
今は別のビルを捜索しているっぽい。
人の声が、このビルの地下から微かに聞こえる」
「着陸の様子を見られていた可能性も考えられますな。
急ぐでやんす」
氏左衛門さんの言葉に、僕と明日は頷いた。
「作戦通り、僕が透明化して先行し、ルートの安全を確保します。
合図を送るまで、ここで待機を」
大規模な戦闘になって足止めを食らえば、淘汰委員会本部の増援が来るかもしれない。
そうなれば、人数差で圧倒的に不利になる。
最優先は、戦闘を避けることだ。
二人が頷くのを確認し、僕は意識を集中して身体を風景に溶け込ませる。
割れた窓ガラスが散らばる床を、神経をすり減らしながら進んでいく。
暗い階段をいくつも下り、やがて目的の地下室から漏れる、かすかな人の気配を捉えた。
周囲に敵の気配がないことを確認し、僕は通信機で合図を送った。
すぐに明日と氏左衛門さんが音もなく追いついてくる。
扉を開けると、暗がりに十の人影が、息を潜めてうずくまっていた。
こちらを窺う瞳には、長期間の逃亡生活で刻まれた恐怖と、僕たちに向けられたか細い希望の色が浮かんでいる。
「……『組合』の、方ですか……?
本当に、来てくださったんですね……」
一番近くにいた初老の女性が、震える声で呟いた。
「ええ、迎えに来ました。
もう大丈夫です。
静かに、ついてきてください」
僕がそう言うと、彼らの間に、嗚咽を噛み殺すような安堵の空気が広がった。
「よし、運ぶぞ!
俺と氏左衛門さんで二人ずつ担ぐ!
悠句は先行して、ルート確保を頼む!」
明日がテキパキと指示を出す。
屈強な二人が、衰弱した人々を両脇に抱え、あるいは背負い、音もなく階段を駆け上がっていく。
氏左衛門さんの足回りは変形可能なキャタピラになっており、瓦礫の散らばる階段をものともしない。
僕は、透明化したまま彼らの少し先を行き、角の向こうや階段の上下に敵がいないかを確認し、指示を出し続けた。
二往復と、最後の男女二人を運ぶためのもう一往復は、驚くほどスムーズに進んだ。
そして、最後の一組を連れて、錆びついた屋上のドアを開けた。
「あと少しです!」
僕が二人を励まして、『蜻蛉』のハッチへと駆け寄った、その時だった。
すぐ後ろで、僕たちが出てきたばかりのドアが再び乱暴に開け放たれた。
「動くな!」
間引き隊の中でも、実戦経験豊富な執行部隊――『猟犬部隊』だ。
本土にいた頃、僕もその名を聞いたことがある。
黒いコンバットスーツに身を固め、完全武装した兵士が三人。
「――淘汰対象および外部協力者を発見!
全部隊に通達!」
兵士の一人がそう叫びきる前に、僕の隣にいた明日の影が地面を蹴っていた。
風を切る鋭い音と数発の打撃音。
僕が、震える二人の背中を押して飛行艇へと駆け込ませるのと、明日が三人を無力化するのは、ほぼ同時だった。
「……まだ来ます!
十人——そのすぐ後に十五人!」
階段の奥に新たな気配を感じ取り、明日が鋭く叫ぶ。
その耳が、特徴的な金属音を捉えていた。
「まずい、奴らグレネードランチャーを持ってる!
このまま離陸したら餌食になるぞ!」
「――お任せを」
氏左衛門さんは短く応じると、飛行艇から屋上へと降り立つ。
「猫坊っちゃん、ここは某が引き受けやす」
「頼みます!」
その言葉を合図に、屋上にいた明日が機内へと飛び込んでくる。
僕は最後の乗客のベルトを急いでロックした。
氏左衛門さんは一人、迫りくる軍靴の音が響くドアを向いて、仁王立ちになった。
扉が勢いよく蹴破られ、兵士が屋上へと雪崩れ込んでくる。
「対象捕捉!
撃て!」
隊長らしき男が鋭く叫ぶ。
だが、彼らが撃つよりも速く、ボボボボボボ、と空気を連続して殴りつけるような重い衝撃音が、廃墟のビル群にこだました。
氏左衛門さんの二丁機関銃が、すでに火を噴いていた。
こちらへ殺到しようとしていた兵士たちが、銃を構えたまま、まるで糸の切れた人形のように次々とその場に崩れ落ちていった。
隊長の男だけが、最後の力を振り絞ってこちらに銃口を向けようとするが、その腹に寸分の狂いもなく特殊衝撃弾が撃ち込まれ、前のめりに倒れた。
氏左衛門さんが、キャタピラを高速回転させて速やかに飛行艇に乗り込む。
「カイ殿、オールクリアであります」
機内に戻った氏左衛門さんの報告に、カイが「了解!」と応え、『蜻蛉』の後部ハッチが閉まる。
「さあ、帰るぞ!」
カイがそう叫び、『蜻蛉』のエンジンが静かなうなりを上げると、ビルの屋上は数秒のうちに、はるか夜空の底へと飛び去った。
偽東京への帰路、『蜻蛉』の後方に複数の光点が現れた。
「カイ!
後ろ!
間引き隊の連中だ!
それに……あの紋章……淘汰委員会の空中機動部隊だ!」
「チッ、嗅ぎつけやがったか!」
明日の叫びに、カイは悪態をつきながらも、その口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。
彼は神業のような操縦で、廃墟ビルの間を縫うように駆け抜ける。
ガガガガッ!
という金属音と共に、機体が小刻みに揺れた。
『蜻蛉』の偽東京産特殊装甲は、機関銃の弾程度は弾くが、気分の良いものではない。
「ひいいいっ!」
「きゃああっ!」
救助された人々が、悲鳴を上げる。
数で勝る追跡艇が、じりじりと包囲網を狭めてくる。
「思ったより多いな。
『蜻蛉』の火力じゃ埒が明かねえ!
ちょっと近道するぜ!」
カイが叫んだ。
コックピットの窓の向こうの景色が、まるで布を引き裂くようにパカリと裂けた。
「な、何あれ!?」
「カイは空間を跳べるんだ!」
僕の叫びに、明日が応える。
飛行艇は異次元のトンネルへと突入し、ほんの数秒の浮遊感の後、僕たちの視界は再び偽東京の夜景に戻っていた。
先ほどまでいた空域から、数キロは離れた場所だ。
カイがこちらを向いて、ぐっと親指を立てた。
その端正な顔が、いつの間にか血に濡れているのに気づき、僕は息を呑んだ。
鼻から、左耳から、そして右目からも、真っ赤な血が筋になって流れていた。
それにかまわず、カイは笑顔で叫ぶ。
「たくさんの人を乗せて空間を跳ぶのは体に堪えるから、あんまり使いたくねえんだけどな!」
「……おやおや、道理の通じぬ御仁がまだ一隻」
氏左衛門さんがつぶやいた。
ショートカットに素早く反応し、空間の裂け目を連続して通り抜けてきた一隻――翼に淘汰委員会の紋章を持つ機体が、僕たちのすぐ背後に出現していた。
機体後部に、再び機関銃の弾が叩きつけられる衝撃が走る。
「——しつけえな!」
カイが機体を急旋回させ、敵の第二射を回避する。
その隙に、後部で静かに戦況を見守っていた氏左衛門さんが、ゆっくりと立ち上がった。
「隠殿、猫坊っちゃん。
そしてお客様がた。
ちょいとうるさくなりますが、どうかご容赦を」
彼は、肩の機関銃を格納すると、代わりに両腕を機械的な音を立てて変形させた。
銃身が束になった、二丁のミニガンが出現する。
「カイ殿、一瞬だけ、奴らの連射の合間に、機体を安定させてくだせえ」
「合点だ!」
カイが巧みな操縦で敵の射線を逸らす。
ほんの一瞬、銃撃が止んだその隙間を縫って、氏左衛門さんが飛行艇の後部ハッチを開けた。
機内の空気が一気に外へ吸い出され、凄まじい風切り音が轟音となって吹き荒れる。
氏左衛門さんの銃から、ブゥゥゥン、というモーターの回転音が響き、次の瞬間、空気を引き裂くような轟音が夜空を震わせた。
放たれた弾丸の奔流はコックピットを正確に避け、追跡艇のエンジンと武装のみを寸分の狂いもなく破壊していく。
推進力を失った追跡艇は、きりもみ回転しながら偽東京湾上へと堕ちていった。
「仕留めたか、旦那!」
カイの問いに、氏左衛門さんが涼しい顔で答える。
「おかげ様で。
あちらさんのパイロットが脱出する猶予も取れやした」
もう、追手はいない。
コックピットの窓の向こうに、偽東京のきらびやかな夜景が広がっていく。
本土の闇とは対照的な、色とりどりのネオンが宝石のように輝き、空には広告を映し出す巨大な飛行船がいくつも浮かんでいる。
「……きれい……」
母親の膝にしがみついていた小さな男の子が、生まれて初めて見るであろう光景に、小さな声で呟いた。
大人たちも、涙を流しながら、その光景にただ見入っている。
恐怖に固く閉ざされていた唇が、今はわずかに開かれ、窓の外の光を映していた。
後部座席に座っていた明日が、そっと立ち上がると、男の子のそばに移動してしゃがみ込んだ。
「よく頑張ったな。
ここが、みんなの新しい家だ」
彼は優しい声で言うと、男の子の頭をくしゃりと撫でた。
「カイ殿、機体の損傷は?」
氏左衛門さんが、静かにカイに尋ねる。
「……機関銃を何発かモロに食らいました。
『蜻蛉』の装甲だから耐えられましたけど、念のためドックで点検してもらわないと。
エンジンにもだいぶ無理をさせました」
カイが、鼻血を拭いながら、機体の高度をゆっくりと下げていく。
僕は、張り詰めていた糸が切れ、大きく息を吐いた。
救われた人々が、恐怖ではなく安堵の涙を流している。
本土では決して見ることのできなかった、温かい光景がそこにはあった。
「……よかった。
みんな、無事で」
僕がぽつりと呟くと、男の子の元から戻ってきた明日が、僕の隣の席に静かに座り、肩をこつんとぶつけてきた。
「ああ。
お疲れさん、悠句」
彼は、僕の安堵の呟きに応えるように、静かに言った。
「お前がいなきゃ、あの人たちにこの景色、見せてやれなかったかもな」
その言葉が、じんわりと胸に染み込んでいく。
「……うん。
ありがと、明日」
一人では決して味わえなかった、この確かな手応え。
仲間と分かち合うこの温かさが、今は何よりも、僕の心をじんわりと満たしてくれた。




