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第18話 残された者たち――姫宮カズマ

お読みいただきありがとうございます。


悠句が新しい生を見つけていた頃、彼の宿敵、姫宮カズマは何をしていたのか。


残された者――捕食者の物語。

 都心を見下ろす超高層タワーの最上階。

 ここは、姫宮カズマの私室であり、彼の城塞だった。

 タワー全体が、姫宮グループの私兵によって固められている。

 その鉄壁の警備網は、あらゆる敵性存在の侵入を許さない。


 びゅ、と空気を切り裂く音がした。

 最後の一人が、抵抗する間もなく宙を舞う。

 姫宮カズマの放ったハイキックが、寸分の狂いもなく相手の顎を的確に捉え、砕いていた。

 人体が床に叩きつけられる鈍い音が、タワー最上階の一角を占める訓練場に響き渡る。

 カズマは、静かに足を下ろした。

 汗一つかいていない。

 返り血を浴びることもなく、純白の訓練着は塵一つついていなかった。


 彼が今しがた終えたのは、日課である「百人組手」だった。

 一万一千人を超える「きょうだい」の中から、毎日ランダムに選抜される百人。

 その全てを、カズマはほんの数十分で一人残らず叩きのめす。

 血の匂いが満ちた訓練場では、医療班が音もなく、床に転がる兄弟たちを淡々と処理していた。

 やがて最後の担架が運び出され、洗浄ドローンが床の血を洗い流し、常と変わらぬ静寂が戻る。


 カズマは隣接するシャワールームへと向かった。

 熱い湯が、芸術品のように研ぎ澄まされた彼の肉体に降り注ぐ。

 水滴は、滑らかな肌の上を走り、彫刻のように刻まれた腹筋の溝をなぞっていく。

 長くしなやかな脚、引き締まったくびれを持つ背中、そして、無駄な脂肪が一切ない、完璧な曲線を描く臀部。

 その全てが、人類の到達点を示すかのように完璧なバランスを保っていた。

 やがてシャワーを止めると、純白のガウンを羽織る。

 私室の一角に設えられたスタジオで、次の「仕事」が待っていた。


 専属の配信チームが、照明とカメラを完璧な位置にセットしている。

 配信タイトルは『KAZUMA's Salon - The Chosen One's Chronicle』。

 彼が気まぐれに発表する楽曲は、大手企業のCMソングに次々と採用され、国民的なヒットを記録している。

 音楽も、学業も、スポーツも、彼にとっては退屈な遊戯に過ぎなかった。


 配信が始まると、彼はグランドピアノの前に座り、自ら作詞作曲したオリジナル曲を弾き語った。

 彼の圧倒的な遺伝子レベルが可能にする、常人離れした学習能力。

 それに加え、幼少期から世界最高の音楽家を家庭教師につけて習得したその技術は、もはやプロの領域を遥かに超えていた。

 甘いメロディと、完璧な演奏。

 コメント欄が熱狂の渦に包まれる。


「――今日の新曲、気に入ってくれたかな。

 また、僕の世界に会いに来て」


 カズマが、流し目と共に、そっとウインクを飛ばす。


 配信が終わった瞬間、同時接続数五百万人を熱狂させたカリスマの仮面は剥がれ落ち、温度のない無関心な顔になった。


 配信チームのスタッフが深々と頭を下げるが、カズマは彼らに一瞥もくれず、奥のプライベートルームへ向かった。


 廊下に控えているはずの、警備の私兵たちの姿が見えなかった。

 カズマは、わずかに眉をひそめた。


 プライベートルームのドアを開けると、美しい青年が、すでにソファに腰掛けていた。

 雪のように白い肌と、白い髪。

 硝子細工めいた美貌。


 冬村ガク。


 カズマより二、三歳年上の、淘汰委員会の上級委員。


 若くして頭角を表し、数々の武功を立ててきた淘汰委員会の麒麟児として、その名は上流階級に広く知られている。


 皇国の記念祝賀会で何度か見かけたことがあるが、その人間離れした美しさと、周囲を凍てつかせるような存在感は、常にカズマの競争心を煽った。


 彼の周囲には、現役閣僚の娘や旧華族の令嬢たちが、困惑した表情で座っていた。

 彼女たちは、上流階級の付き合いの中でカズマにアプローチし、今夜の相手として侍ることを許された客人だったが、もはやカズマの興味を引く存在ではなくなりつつあった。代わりはいくらでもいる、としか思えなかった。


 カズマは、その女性たちに、目線だけで退室を促す。


 彼女たちが慌てて部屋を出ていくと、カズマは正面のソファに腰を下ろした。


「ガク先輩か。

 俺の兵士たちはどうした?」


「ああ、廊下にいた彼らのことかい?」


 冬村は、悪びれもせずに言った。


「少し、遊んでもらった。

 心配しなくても、帰る時には()()()()()()()さ」


 カズマは、黙って冬村を見つめた。

 姫宮グループの私兵部隊は、その練度と装備において、皇軍の特殊部隊すら凌ぐと噂されるほどの精鋭だ。


 その彼らですら、この男の前では赤子同然か。


「……何の用だ?」


「伝言を、二つ」


 冬村は、テーブルに置かれたカクテルグラスに、軽く指先を向けた。


「一つは、田嶋委員長から。

 君への『激励』だ。

 ……その目で、しかと見るように、と」


 次の瞬間。


 カクテルグラスの中身が、一瞬で、液体から固体へと変化した。


 凍り付いたドリンクは、完璧な氷の芸術品と化している。



 ―—その能力は、日本皇国においては『聖絶』と呼ばれていた。

 淘汰委員会の上級委員クラスのみが扱える、秩序の力。


 姫宮カズマがまだ手にしていない、支配者階級の権能そのものだ。


 冬村の『聖絶』は、あらゆるものを凍てつかせる力だった。


「ああ、それと」


 冬村が付け加える。


「廊下を警備していた彼らにも、少しの間、こうなってもらっている」


 カズマの瞳に、初めて焦がれるような熱が宿った。


「……()()か。

 それこそが、俺に唯一欠けているものだ」


「ああ。

 だから、もう一つの伝言が重要になる。

 ……姫宮宗継卿からの、御言葉だ」


 その名が出た瞬間、カズマの表情から、わずかに余裕が消えた。

 姫宮宗継。

 彼の父。

 カズマですら、その遺伝子レベルには遠く及ばない絶対的な存在。

 冬村は、静かに言葉を紡いだ。


「『来たる淘汰祭。

 中央第一ブロックを掌握し、歴史上、最も効率的かつ芸術的な"成果"を上げよ。

 ただの狩りではない。

 大衆を熱狂させ、我々の秩序の正しさを知らしめるための"儀式"だ。

 それを成し遂げた時、お前は"次の段階"へ進む資格を得るだろう』……と」


「……次の、段階」


「俺たちと同じ、『聖絶』を賜る領域だ」


 その言葉に、カズマの口元に初めて本物の笑みが浮かんだ。

 当然だ、とでも言うような、支配者の笑みだった。


「その力があれば、父上すらも……」


「ああ」


 冬村が、カズマの言葉を遮るように頷く。


「――君は、『完成』するだろう。

 委員長も、宗継卿も、君に期待している。

 姫宮の最高傑作が、最高のショーを演出してくれることを」


 用件は済んだ、とばかりに冬村が立ち上がる。

 カズマは、彼を呼び止めた。


「一つ、聞きたい。

 あんたほどの男が、なぜ、ただのメッセンジャーを?」


 冬村は、肩越しに振り返った。

 その瞳は、氷のように冷たい。


「……君が、気に入らないからさ」


 その言葉に、カズマは怒るでもなく、ただ、面白そうに微笑んだ。


 冬村は、それだけ言うと部屋を出ていった。


 冬村が指を軽く鳴らすと、廊下で完全に凍り付き、彫像のように静止していた私兵たちが、はっと息を吹き返した。

 何が起きたのか理解できず、一瞬、困惑した表情で顔を見合わせる。


 だが、すぐに目の前の男が淘汰委員会の上級委員であると認識すると、即座に姿勢を正し、一糸乱れぬ動きで敬礼した。


「冬村閣下。

 ご訪問、感謝いたします」


 冬村は軽く頷きを返すと、エレベーターへと消えていった。



 静寂の中。

 カズマは、凍てついたカクテルを指でなぞった。

 彼の口元には、絶対的な確信に満ちた笑みが浮かんでいた。


「――完璧になる」


 カズマが呟いた。


「俺は、あの力を手に入れて、父上をも超える、完璧な存在になる」


 来る淘汰祭。


 その日、自分はただの狩人ではなく、新たな力を手に入れる資格者となる。


 それは、彼が新たな力を手に入れるための、ただの通過儀礼に過ぎない。


 姫宮カズマは、ゆっくりと立ち上がり、窓の外を見た。

 東京の夜景が、足元に広がっている。


 彼は、自らが演出するショーの舞台を、満足げに見下ろしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、敵役である姫宮カズマの視点でお送りしました。

彼の圧倒的な力、歪んだ価値観……頂点に立つ者の『格の違い』を感じていただけたでしょうか。


『聖絶』の約束を手にし、淘汰祭へ向けて動き出す姫宮。


「姫宮カズマ」という強大な敵の存在に、今後の展開への期待や、あるいは「こいつを早く倒してほしい!」という憤りを感じていただけましたら、ぜひページ下の【★★★★★】から評価や、ブックマークをしていただけると、執筆の大きな励みになります。


どうぞ、よろしくお願いいたします。

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