第15話 秘密の場所
お読みいただきありがとうございます。
新しい服を手に入れ、悠句の心も少しだけ軽やかに。
彼のとっておきの場所で、二人が目にするものとは――。
目当てのものをあらかた手に入れた僕たちは、大通りに出て、賑やかな屋台で「クラゲソーダ」を買った。
僕のカップはブルーハワイ、明日はメロンソーダ。
特殊なインクで印刷されているのか、カップに描かれたクラゲのイラストが、中のソーダの炭酸に反応して、まるで生きているかのようにゆらゆらと手足を動かしている。
「なあ、悠句。
この街を一望できる、とっておきの場所があるんだけど、行ってみない?」
明日が、悪戯っぽく笑いながら言う。
僕が頷くと、彼は「こっち」と僕を先導し、見慣れた巨大な集合住宅へと入っていった。
昨夜、僕が泊めてもらったオクムラマンションだった。
このマンションに、景色を一望できるような場所なんて、本当にあるのだろうか。
不思議に思いながら、僕は彼に続いて古びたエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターを降り、屋上に出るための錆びついた鉄の扉を開けると、涼やかな風と、楽しげな喧騒が僕たちを迎えた。
そこは、住人たちが共同で使っているらしい屋上庭園になっており、種族も見た目もばらばらな住人たちが、思い思いに夜を楽しんでいた。
車座になって酒盛りをしている一団には、腕が精巧な機械になっている男や、犬の耳を生やした少女も混じっている。
アコースティックギターを抱えた人の良さそうな男が、手すりにもたれて、ノスタルジックなバラードを爪弾いている。
少し離れた手すりでは、爬虫類のような鱗を持つ男が、静かに煙草をふかしていた。
そして、手すりの向こうに広がる光景に、僕は息を呑んだ。
マンションの表側、僕たちがさっきまで歩いていた方角には、猥雑なネオンとホログラムがひしめく光の海が広がっている。
一方で、僕たちが今いる裏手側には、朱色の鳥居が点在する、嘘のように静かな田園風景が広がっていた。
沈みゆく夕陽が田んぼの水面に反射して、世界全体が金色にきらきらと輝いている。
明日の部屋は、都市エリアに面した表側にある。
まさか、その正反対の景色がこの建物の裏側に広がっていたなんて、思いもしなかった。
僕がその美しい夕景にしばし見とれていると、ふと、今まで聞こえていたギターの音と楽しげな話し声が途切れていることに気が付いた。
視線を巡らせると、酒盛りをしていた住人たちが皆、グラスや楽器を置いたまま、同じ方角を見つめていた。
「……悠句、あれ見てよ」
明日の静かな声に促され、僕も彼らと同じように、田園風景の広がる空へと目を向けた。
空を、何かがゆっくりと横切っていく。
それは、魂のパレードのようだった。
先頭を行くのは、古びたサーフボードに乗った半透明の人影。
その後ろから、赤い郵便ポスト、たくさんの風船、ブラウン管テレビ、釣り竿、バスケットボール…ありとあらゆる思い出の品々が、楽しげな行列となって夕陽の中を渡っていく。
ひとつひとつの品々が、夕陽を受けて金色の淡い光を放ち、行列の中には、先に還ったのであろう穏やかな人影が混じり、後から来た魂たちを優しく手招きしているようにも見えた。
僕が今まで見たどんなものよりも奇妙で、そしてどうしようもなく美しい行列だった。
「御霊渡り、だよ」
明日が、静かに言った。
——本当に良い生涯を送って満足して死んだ人の魂が、思い出の品々を引き連れて、夕陽に帰っていくんだ。
「……あの列は、どこに行くの?」
僕の問いに、明日は空を見上げたまま答えた。
「さあな。
西の海を越えて、それぞれの『故郷』に還るって言う人もいれば、ただ夕陽に溶けて消えるだけだって言う人もいる。
でも、どっちでもいいんだ。
あんなに楽しそうなんだから」
その魂の行進は、不思議と怖くはなかった。
むしろ、その静謐な美しさに、胸が締め付けられるようだった。
本土では、死は「レベルの低い遺伝子」の終着点として、ただただ忌み嫌われるものだった。
けれど、ここでは違う。
死んでもなお、その魂はこんなにも美しく、誰かに見送られながら、ここではない遠いどこかへと還っていく。
僕たちは言葉もなく、ただ黙って光の行列が空を渡りきるのを見ていた。
やがて、最後の光が夕闇の向こうに消える。
誰からともなく感嘆のため息が漏れ、屋上を満たしていた静寂が解けた。
止まっていたギターが、今度はさっきよりも穏やかなメロディを奏で始め、住人たちの穏やかな話し声が、再び夜の空気に満ちていく。
その優しい喧騒の中で、明日は手すりに肘をついたまま、魂たちが消えていった夕暮れの田園風景を静かに見つめていた。
「……ここ、俺のとっておきの場所なんだ」
静かな声だった。
誰に言うでもない、独り言のような。
「街の全部が見えるから。
都会の騒がしい光も、田舎の静かな暗闇も。
どっちもここからなら、同じ一つの景色に見える。
……悠句にも、見せておきたかった」
彼は僕の方を振り向かない。
だから僕も、彼の横顔を見つめたまま、何も言えなかった。
ただ、彼が自分の聖域とでも言うべき場所に、僕を招き入れてくれたのだということだけは、痛いほどに伝わってきた。
それは、どんな言葉よりも雄弁な、信頼の証だった。
この街でなら。
この、猫みたいに気まぐれで、飄々としていて、だけど誰よりも優しい少年の隣でなら、僕は生きていける。
「……ありがとう」
僕がようやくそう言うと、彼は
「ん」
とだけ短く応えて、少しだけ口の端を緩めたように見えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
猥雑で混沌とした幻想都市と、静かで美しい田園風景。
そして、死ですらも美しいパレードになる『御霊渡り』。
明日が自分の「聖域」に悠句を招き入れたことで、二人の絆はより一層、確かなものになりました。
二人の穏やかな時間や、偽東京の不思議な風景を気に入っていただけましたら、ぜひページ下の【★★★★★】から評価や、ブックマークをしていただけると、今後の執筆の大きな励みになります。
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