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第14話 明日との一日

お読みいただきありがとうございます。


束の間の、平穏な日常回。


不思議で美しい偽東京へ、悠句と明日が買い物に出かけます。

 僕たちは、偽東京の交通網の主役である、レトロな路面電車に乗り込んだ。

 開いた窓から、春のぬるい風が吹き込んでくる。車窓を流れる街路樹の若葉が、午後の柔らかい日差しを浴びてキラキラと輝いていた。


 車内には、僕たちの他に数人の乗客がいた。

 買い物袋を抱えた獣人の親子。

 僕たちの後ろの席では、真新しい制服を着た人間の女子中学生が二人で楽しそうにおしゃべりをしている。

 通路を挟んだ向かいの席では、ヘッドホンをつけたサイボーグの少女が、差し込む光の筋の中、心地よい振動に身を任せ、静かにまどろんでいた。


 木造の車内がガタンゴトンと心地よい音を立てる。それは、僕が本土で失った、穏やかな日常の音だった。

 やがて電車は、ビルの壁を垂直に登り始めた。

 車内は不思議な力で水平が保たれており、僕は90度回転した偽東京の眺めに息をのんだ。

 眼下に広がる混沌としたビル街が遠ざかっていくと、電車は再び水平に戻り、突如として、前方の視界一面が空の色に染まった。


 そこは、僕が子供の頃に夢で見たことがあるような、日本の田園風景だった。

 青空をそのまま映し込み、巨大な水鏡と化した水田が、どこまでも続いている。

 つい先ほど植えられたばかりであろう小さな稲の苗が、水面に頼りなげな緑の線を引いていた。

 風が吹くたびに、水面がさざめき、空と大地が溶け合って、世界全体がゆらゆらと揺れているような、幻想的な光景だった。


 そして、その風景の中には、まるで神々の遊び場のように、大小さまざまな朱色の鳥居が点在していた。

 水鏡のような水田の真ん中に、半分沈みながらも、凛として立つ鳥居。

 古びた農家の茅葺き屋根の上に、ちょこんと乗っかる小さな鳥居。

 僕たちが乗る軌線の線路を、まるで踏切のように跨ぐ巨大な鳥居。


 極めつけは、空だった。

 小さな朱色の鳥居が、まるで点線を描くように青空を横切って、どこまでも続いている。

 それは、神社の千本鳥居が、そのまま空に浮かんでいるかのような、現実感を失わせるほど幻想的な光景だった。


「すごい……」

 僕が呟くと、明日は

「だろ?」

 と得意げに笑った。


「なんだか、日本の田舎みたいだ」


「そうだな。

 なんて言うかな。

 いろんな世界のやつらが頭の中に描く『懐かしい日本の夏休み』みたいな共通のイメージ。

 そういう空想の風景が、ここでは本当に形になることがあるんだとさ」

 と、明日は空を見上げて言った。


「……そういや、夕方になると、あの鳥居の下を『御霊渡り(みたまわたり)』が通るんだ。

 本当に良い生涯を送って満足して死んだ人の魂が、思い出の品々を引き連れて、夕陽に帰っていくんだ。

 すげえ綺麗なんだよ」


 そう語る明日の横顔は、彼がよく見せる悪戯っぽい表情とは違って、どこか敬虔な色を帯びていた。

 彼の言葉を聞きながら、僕は想像する。

 朱色の鳥居の列を厳かに渡っていく、穏やかな光の葬列を。


 田園風景の奥、遥か遠方に、ひときわ威容を放つ、戦国時代の城のような建物が霞んで見えた。

 その城について明日に訊ねると、少しだけ顔をしかめた。


「あれが、日本衆道會の本拠地『ゲイパレス』だ。

 あそこは、本土とはまた違う意味で過激な連中でね。

 『近衛師団』っていう、やたら見目麗しい連中だけで構成された特殊な軍隊を持ってる。

 軍事力もかなりのもんだよ」

「へえ…」


「まあ、お互いのナワバリには手を出さないって暗黙のルールがあるから、俺たち組合とは、普段は関わることはないよ。

 ただ、あいつらも商売するのに、俺たちの港を使わないわけにはいかないからな。

 ……それに、たまに、面倒な『お願い』をされることもある。

 だから、なるべくなら関わらない方がいいんだ」


 彼は続けて、ゲイパレスとは反対側の遥か遠く、黒い煙が立ち上る工業地帯を指差した。

「で、あっちが衆道會といつもいさかいを起こしてる『旧皇国派』のナワバリ。

 遺伝子レベルがなかった時代の、古き良き日本に戻そう! とか言ってるけど、やってることは本土の戦前みたいな軍国主義でさ。

 百年前の価値観をそのまま今の時代に持ち込んでる、頭の固い連中。

 ま、俺たち組合はどっちの味方でもないな」


 ちょうどその時、

「次は~、緑ガラポン前~」

 という、のんびりした車内アナウンスが流れた。

 それを聞いて、明日が

「あ、次だ。降りよう」

 と僕を促した。


 電車が、きしむような音を立ててゆっくりと停車する。

 開いたドアの向こうに見えたのは、トタン屋根の簡素な待合所と、色褪せた木製ベンチがぽつんと置かれた、小さなホームだった。


 ホームの目の前には、のどかな田園風景を背にして、例の巨大な緑色のガラポンが、この風景に溶け込むようにして、ゆっくりと回っていた。

「ここにもあるんだね」

「ああ。

 都市部のビルの屋上だけじゃなくて、街のあちこちにあるんだ。

 なんでかは俺も知らない。

 多分、誰かが気分転換になると思って作ったんじゃないかな。

 たまに出てくる『当たり』には、食堂のタダ券とか、面白いガラクタの部品とかが入ってるらしい。

 この街の誰かが、他の誰かのためにやってる、気まぐれな善意みたいなもんかな」


 僕たちはそのホームから、苔むした石畳の小道へと足を踏み入れた。

 そこはもう、巨大な樹々が生い茂る、森エリアの入り口だった。


 巨大な樹木の枝から枝へと、木製の吊り橋や螺旋階段が渡されている。

 僕たちはその上を歩いて、目的の店へと向かった。



 明日の案内で、『言の葉のうろ』という名の店に入る。


 店員は、胸元が緩く開いたタイトなキャミソールの上に、だぼっとしたシャツを羽織り、身体のラインが美しいホットデニムパンツを履きこなした、サブカルチャーに詳しそうな雰囲気の若い女性だった。

 大きな黒縁の丸メガネが、その知的な色っぽさを際立たせている。


 僕は思わず目を逸らし、明日の背中に隠れる。


 明日は明日で、少しどぎまぎしながら

「えーっと、こいつの服、見繕ってやりたくて」

 と、しどろもどろに言った。


 そんな僕たちの様子を見て、お姉さんは

「うふふ、可愛い」

 と悪戯っぽく笑うと、

「どうぞ、ごゆっくり。

 試着したい時は、ご遠慮なく」

 と店内を指し示し、あとは自由にさせてくれた。


「どれにしようかな…」

 本土では、僕はずっと『制服』を着せられてきた。

 与えられた役割を演じるための衣装を。


 でも、今日は違う。


 これは、僕が僕の意志で選ぶ、僕のための服だ。


 明日の影響もあって、まず手に取ったのはフードの深いパーカーだった。


 いざという時に顔を隠せるし、何より丈夫そうだった。

 「よるのさんぽ」や「ぬゃ」といった、意味はよく分からないけれど、どこか気の抜けた日本語がプリントされたパーカーを手に取る。


 そのゆるいデザインが、なんだか、この街の自由さを象徴しているように思えた。


 「―—これにしようかな」


 僕が選んだパーカーを見て、明日は

「なかなかいいセンスじゃん」

 と無邪気に笑った。


 合わせるのは、ポケットがたくさん付いていて、生地が補強されたカーゴパンツ。


 靴は、瓦礫の上でも滑らずに走れそうな、丈夫で軽いスニーカーを選んだ。


 お洒落かどうかは分からない。

 でも、これが、この混沌とした街で生きていくための、僕が初めて選んだ『戦闘服』であり、『日常着』なのだと思った。


 僕は、そんな服を上下3パターンほど、真剣に選んだ。


「…これ、ください」

 僕がおずおずとレジに服を持っていくと、お姉さんはにっこり笑って応対してくれた。


 支払いの段になると、明日が組合員カードを取り出して会計を済ませてくれた。

「組合からの就職祝いだ」

 と彼は笑った。


 買い物を終え、新しい服に着替えた僕は、ガラス張りの壁面に映る自分の姿をぼんやりと見ていた。


 それはもう、本土で怯えていた「レベル0の隠悠句」ではなかった。


 全く新しい服を着た僕は、これまでとは全く違った表情をしているように見えた。


「ありがとう、明日」


 僕が心からの感謝を伝えると、明日は少し照れくさそうに、でも嬉しそうににっこり笑った。


「どういたしまして。

 ……うん、いいね。

 いいね!

 なかなか決まってるじゃん。

 偽東京の運び屋って感じ。フードにカーゴにスニーカー。

 これで俺たち、お揃いのファッションだな」


 本土で着ていたあの制服は、部屋に帰ったらすぐに捨ててしまおう。

 僕が「不要物」であるという烙印そのものだったあの服を、今度は僕自身の手で「不要物」として捨てる。


 そう思うと、胸がすっと軽くなった。



「よし、じゃあ最後にもう一箇所だけ付き合ってよ!」

 明日はそう言うと、僕を促して、ネオンとホログラムが溢れるサイバーエリアの、ひときわ猥雑な一角へと足を踏み入れた。


 漢字と異世界の象形文字が明滅する情報の洪水の中、彼は「こっちこっち」と僕を手招きする。


 そこは「電脳横丁」と古びた電飾看板が掲げられた、狭い路地だった。


 彼の行きつけだというジャンク屋は、その一番奥にあった。


 店に一歩足を踏み入れると、古い機械油とハンダの焼ける匂いが鼻をつく。

 棚には、真空管や年代物のコンデンサ、記憶素子といった、およそヘッドホンの部品とは思えないものまでが、無秩序に並べられている。


「よっ、オヤジさん!生きてる?」


 明日のフランクな挨拶に、店の奥で作業をしていた店主が顔を上げた。


 一見すると、どこにでもいる好々爺といった風情の老人だった。

 しかし、彼がカウンターに肘をついた時、その腕の皮膚の下を淡い青色の光が走るのが見えた。

 よく見れば、耳の形も精巧な機械部品でできている。


「おう、ネコ坊か。

 お前ぇこそ、どっかで野垂れ死んでるかと思ったわい」


 軽口を叩きながらも、店主の目は優しげに細められた。


「いやいや、この通りピンピンしてるって。

 それよりさ、ちょっと探してるパーツがあって」


 明日は慣れた様子で、ガラクタの山をかき分けていく。

 僕にはただのゴミにしか見えないものの中から、彼は時折何かを拾い上げては吟味し、また戻す、という作業を繰り返していた。


 やがて、棚の奥で積まれた部品の影から、

「あ、あった!」

 と嬉しそうな声を上げた。


 彼が手に取ったのは、一組の古びたイヤーパッドだった。


「これ見てみなよ、悠句。

 旧世紀の深海に棲んでた『記憶鮫』の革でできてるんだ。

 普通のレザーと違って、音の反響を吸収しすぎないから、すごくクリアに聴こえるんだよ。

 ……オヤジさん、これ買うね。


 あと、これに合うケーブルって何かある?

 できれば『唄う導線』がいいんだけど」


「ほほう、贅沢言うねえ、ネコ坊。

 千年クジラの髭を編んだ代物だ、そうぽんぽん入るもんじゃねえよ。

 ……ああ、そうだ、待てよ。

 確か、先々週に空間豚に半分食われちまったとかいうやつが……このへんに……ちょっと待ってな……おお、あったあった。

 これで良けりゃ、安くしといてやるぜ」


 店主が義手で器用に引っ張り出してきたのは、確かにケーブルのようだったが、その所々が何かにかじられたようにほつれていた。


「うわ、マジじゃん。

 まあ、このくらいなら自分で補修できそうかな……じゃあ、これとセットで!」


「あいよ、毎度ありがとさん」


 それがどういう品物なのかはよく分からなかったが、自分の知らない世界に夢中になっている明日の横顔は、僕を助けてくれた時の彼とも、組合で話していた時の彼とも違う、ただの「少年」の顔をしていた。


「じゃあな、オヤジさん!また来るわ!」


「おう、ネコ坊。せいぜい大事に使えよ」



 店主に見送られ、僕たちは店を出た。


「はー、大満足! おかげで最高のパーツが手に入ったよ」


 手に入れた部品を大事そうに抱えながら、明日は屈託なく笑う。

 その心からの笑顔につられて、僕も自然と口元が緩んだ。


 ふと、彼は僕の方を振り返る。


「でも悠句は、ああいうガラクタ、興味ないだろ。退屈じゃなかった?」


 明日なりの気遣いなのだろう。

 僕は、さっきまで見ていた彼の横顔を思い出しながら、首を横に振った。


「ううん、全然。あんなに楽しそうな明日、初めて見たから。……なんて言うか、良かった」


 僕がそう言うと、明日は少し驚いたように目を丸くして、それから


「そっか」


 と、照れくさそうに笑った。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


二人の穏やかな一日を描いた回でした。

偽東京の不思議な風景も、楽しんでいただけたでしょうか。



二人の日常や、偽東京の風景を気に入っていただけましたら、ぜひページ下の【★★★★★】から評価や、ブックマークをしていただけると、今後の執筆の大きな励みになります。


どうぞ、よろしくお願いいたします。

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