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第12話 港湾運送組合

お読みいただきありがとうございます。


はぐれ者たちの巣窟、港湾地区へ。


悠句を待ち受ける『港湾運送組合』の仲間たちとは――。

 食堂を出てしばらく歩くと、潮の香りと錆びた鉄の匂いが混じった、独特の空気が鼻をついた。

 港湾地区だ。


 視界が開けた先には、巨大なコンテナ船が停泊し、まるで古代の恐竜の骸骨のようなクレーンが、巨体を空に突き出している。

 自動で動き回るドローンが荷物を運び、サイボーグ化された腕を持つ屈強な労働者たちが、威勢のいい掛け声を飛ばしていた。

 海は油と汚泥で黒く濁り、時折、得体のしれない発光生物が、ゆらりとその姿を見せる。

 本土の整然とした港とは全く違う風景だ。


 港湾地区の入り口に差しかかった、その時だった。


 一条の赤い閃光が、僕たちの真横を猛スピードで駆け抜けていった。

 バイクが巻き起こした突風が、僕の髪をめちゃくちゃに掻き乱す。

 あっけに取られている僕たちを尻目に、そのバイクはありえない角度で急旋回すると、光の尾を引きながら僕たちの目の前に滑り込み、ピタリと空中に停止した。


 乗っていた青年がヘルメットを脱ぐ。

 艶のある黒いウェーブヘアーに、整った顔立ちを持つ青年だった。

 耳に光るピアスと首筋の刺青が、彼の容姿に危うい色気を添えていた。


 彼はバイクから軽やかに降りると、人懐っこい笑みを浮かべた。

「おっ、明日じゃん! ちょうどいいところに」

「カイ、お前また蛸八さんを怒らせるような運転してただろ」

「へへへ、バレた? でも、おかげで3分も巻けたぜ」


 カイと呼ばれた彼は悪びれもなく笑うと、僕に視線を移した。

「で、そっちの子、見ない顔だな。新人?」

「隠悠句。今日から世話になるかも」

「ふーん、悠句ね。俺はカイ。よろしくな!」


 彼はニッと僕に笑いかけると、

「じゃ、俺、次の配達あるから!」

 と再びバイクに跨り、轟音と共に光の尾を引いて去っていった。


(めちゃくちゃな運転だったのに、話してみると、なんだか憎めない人だな…)


 僕がいた世界とは、人の距離感が全く違う。

 あっけに取られている僕をよそに、明日は「行こうぜ」と歩き出す。

「あいつが鹿瀬(かのせ)カイ。まだ若いけど、組合じゃ三番目の古株なんだ。昔、ここのトップにデカい借りがあるとかでさ」


 カイについて、明日はそう教えてくれた。

 人懐っこくて人気者だが、乗り物のことになると周りが見えなくなるらしい。



 僕たちは、錆びた鉄の匂いが一層強くなる方へと、歩を進めた。


 明日は、僕をある建物へと案内した。


 それは、もはや建物というより、港の一角を占拠して鎮座する、巨大な鉄の山だった。

 無数の海上コンテナがデタラメに積み上げられ、その隙間を鉄骨と瓦礫で埋め、コンクリートで塗り固めた、醜悪で、しかし圧倒的な存在感を放つ要塞。

 壁の要所には、ジャンクパーツにカモフラージュされた機関銃座がいくつも設置され、昼間は使われていない無数のサーチライトが、太陽を鈍く反射している。


 その麓には、固く閉ざされた巨大な鉄のシャッターがあり、ここが入り口であることを示していた。


 シャッターの前には、分厚い鉄板を溶接して作られた粗末な警備室があり、ミノタウロスのような屈強な獣人が、鋭い目で周囲を警戒していた。


 明日は、その獣人に慣れた様子で特定の合図を送る。

 すると、獣人は無言で頷き、僕たちの目の前でシャッターが地響きのような音を立ててゆっくりと上がり始めた。


 要塞の内部は、巨大な迷路だった。

 僕たちは、錆びついた外付けの階段を駆け上がり、コンテナとコンテナの間に渡された、足元がおぼつかない金網の渡り廊下を渡り、時には配管だらけの薄暗い隠し通路のような場所を進んだ。

 まるで巨大な機械の体内を巡っているような、不思議な道のりだった。


 やがて、潜水艦のハッチのような、分厚い円形の鉄の扉の前にたどり着いた。

 経年劣化で色褪せた『港湾運送組合事務所』の文字が、かろうじて読み取れる。


 事務所に入る前に、明日は僕の肩にポンと手を置いた。

「いいか、悠句。この組合は、この街の物流の根っこを押さえてる。

 偽東京に入ってくるモノ、出ていくモノ、そして偽東京の中で往来するモノ、ほぼ全部ここを通るんだ。

 つまり、仮に組合が『ノー』と言えば、この街の機能は一日で止まる。それくらいデカい存在ってこと」


「だからこそ、組合のトップの『ワンさん』には、最初にちゃんと筋を通しておく必要がある。

 あの人は、そういうのを一番大事にする人だから。

 ……まあ、ビビる必要はあんまない。

 大丈夫。

 ここの人たちは、見た目は怖くても、理不尽なことはしないからさ」


 ごくりと喉が鳴る。

 僕は、彼の言葉に頷いた。


 明日が扉を開ける。

 中は思ったより静かで、ひんやりとした空気に、油と硝煙、そして淹れたてのコーヒーの香ばしい匂いが混じっていた。

 壁には偽東京の巨大な地図が貼られ、無数のピンが打たれている。

 スチール製の机の上には、書類の山と、吸い殻で溢れた灰皿が置かれていた。

 まさに、荒くれ者たちの仕事場という雰囲気だった。


 明日は事務所の中を見回すと、首を傾げた。

「……あれ、ワンさん、いないのか」


 その声に反応するように、部屋の隅にいる、異様な存在が顔を上げた。


 その瞬間、僕の足はすくんだ。

 ワニの頭部を持つ獣人。

 下半身は移動用の特殊なキャタピラ。

 見事な仕立ての漆黒の燕尾服に身を包み、その肩から生えた二本の腕は、肘から先が黒光りする機関銃になっていた。

 そして、その下にある、脇腹あたりから生えたもう一対の普通の腕を器用に使い、黙々と銃を手入れしている。


(銃…本物の、銃だ…)


 暴力の象徴。

 その黒く長い銃身から放たれる威圧感に、心臓が嫌な音を立て、背中に冷たい汗が流れた。

 一歩後ずさりそうになる僕の腕を、明日がそっと掴んだ。


 彼は、硬質な鱗に覆われたワニの顔に向かって、臆することなく声をかける。

氏左衛門(うじざえもん)さん、こんにちは。お客さん、連れてきたよ」


 爬虫類特有の、感情の読めない黄色い瞳が、一瞬、鋭く僕を捉えた。

 僕は内心、震え上がった。


「猫坊っちゃん、こんにちはでやんす。そちらは?」

「隠悠句っていうんだ。昨日、本土でちょっと面倒に巻き込まれてたのを、俺が拾ってきた。氏左衛門さんにも、これから世話になると思う」

「失敬、猫坊っちゃんのお連れ様でやしたか!」


 氏左衛門さんは目を見開き、その厳つい顔に人懐っこい笑顔を浮かべ、キャタピラを回してこちらに移動してきた。

それがしは氏左衛門と申す者であります。歓迎するであります、隠殿。以後、お見知りおきを」


 彼はそう言うと、下の二本の腕で僕に握手を求め、僕が恐る恐る応じると、丁寧に礼をした。


「ところで猫坊っちゃん、ひょっとしてワンさんをお探しで?」

「うん。どこにいるか知らない?」

「さっき、Cブロックの奥で荷降ろしのトラブルとかで……」

「そうだったんだ。

 ありがとう、氏左衛門さん。

 行こうぜ、悠句」


 氏左衛門さんに礼を言い、僕たちは事務所を後にした。


 僕たちは、錆びついた外付けの階段を駆け上がり、コンテナとコンテナの間に渡された、足元がおぼつかない金網の渡り廊下を渡った。


 さっき会った、氏左衛門さん――戦車のようないでたちのワニの獣人の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。


「明日、あの……氏左衛門さんって、どんな人なの?」


 僕の問いに、明日は前を向いたまま答えた。

「ん? ああ、見た目はゴツいけど、組合じゃ一番の常識人だよ。

 真面目で、義理堅くてさ。

 元々は本土出身の人で、日本皇軍の特殊部隊にいたんだ。

 その筋じゃ『歩く武器庫』なんて呼ばれてた伝説的な兵士だったんだぜ。

 色々あってこっちに来て、ワンさんに拾われたんだ」

「伝説の兵士……」


 そんな人物が、なぜこんな場所に。

 そして、そんな彼が絶対の忠誠を誓うワンさんとは、一体どんな人物なのだろうか。


 やがて視界が開け、広大なコンテナヤードが姿を現した。

 そこは、鉄と潮の匂いが支配する、巨大な迷路だった。

 空高く積み上げられたコンテナの壁が、無機質な渓谷を作り出している。

 ガントリークレーンが巨人の群れのように林立し、時折、唸りを上げてコンテナを吊り上げては移動させていた。

 労働者たちの怒号と、重機の駆動音が絶え間なく響き渡る。

 活気、というにはあまりに無骨で、荒々しい場所だった。


 僕たちがCブロックへ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。

 一台のクレーンが故障したのか、一軒家ほどもある巨大なコンテナが荷台の上で不自然に傾いている。


 と、その時だった。

 ミシミシミシ……ッ!


 クレーンが動いたのだろうか。傾いていたコンテナが、金属の軋む悲鳴のような音を立てて、ゆっくりと、しかし確実に、水平に戻されていく。

 違う。

 クレーンが直ったんじゃない。


 コンテナの下、薄暗い影の中から、たった一人の人間が、その鉄の塊を、まるで段ボール箱でも持ち上げるかのように、押し上げているのだ。

 ゴゴゴゴゴ……という地響きと共に、数十トンはあろうかという巨大コンテナは完全に持ち上げられ、その下にいた男が、姿を現した。


 大男だった。

 綺麗に剃り上げられたスキンヘッドに、黒いサングラス。

 そして、巨大な鉄の塊をこともなげに支えているのは、無数の傷が刻まれた、二本の巨大な鋼鉄の義手だった。

 男はコンテナをあるべき位置に戻す。

 ズズン、と重い音が響いた。


 男はゆっくりとこちらに顔を向けた。

 サングラスが鈍い光を反射する。

 その視線がまず明日を捉え、次いで、値踏みするように僕の上でピタリと止まった。

 全身を見透かされているような感覚に、背筋が凍る。


「……おう、ネコ坊」


 彼は、沈黙の後、低く轟くようなしゃがれ声で言った。


「……事務所で話を聞く。ついてこい」


 彼こそが、この組合の顔役、ワンさんだった。


 僕と明日は、その威圧的な背中を、後を追うようにして事務所へと向かった。



 ワンさんは、部屋の奥にある、鉄骨で補強された巨大な椅子に深く腰掛けた。

 ギシリ、と椅子が悲鳴のような音を立てる。

 彼の背後の壁には、巨大な金属の板が掲げられていた。

 そこに、力強い筆文字で刻まれているのは、たった四文字。


一諾千金(いちだくせんきん)


 その言葉の意味を、僕は知っていた。

 一度交わした約束は、千金にも値するほどの重みを持つ。

 それは単なる飾りや標語ではなく、目の前の男自身の生き方、この無法地帯の物流を支配する揺るぎない哲学そのものなのだと、僕は直感的に理解した。


 彼は鋼鉄の指で器用に太い葉巻を挟むと、慣れた手つきで火をつけた。

 甘くスパイシーな香りの紫煙が、部屋にゆっくりと満ちていく。

 その沈黙の威圧感に、僕の喉はカラカラに乾いていった。


「……また面倒事を拾ってきたか、ネコ坊」


 ワンさんは、僕の存在そのものを「面倒事」と断定するように言った。


 その声に、僕はビクリと肩を揺らす。


 明日は、ワンさんの言葉にも悪びれる様子なく、飄々とした笑みを浮かべる。

「まあまあ、そう言わないでよ、ワンさん。

 こいつ、隠悠句っていうんだ。

 昨日、俺が本土で拾ってきた。

 色々あって、もう帰る場所がないんだ。

 で、ここからが本題なんだけど、

 悠句は何とかして、この街で生きていきたいんだってさ。

 ―—だから、ここの組合で仕事させてもらえないかなって」


 明日はそこまで言うと、僕の方をちらりと見た。

 その瞳で「悠句の言葉を、俺は信じるよ」と、そう伝えてくれているようだった。

 その無言のエールが、僕の背中を押した。


 ワンさんのサングラスの奥の視線が、はっきりと僕を捉えている。

 胃の奥を掴まれたような心地だった。


 でも、ここで怯んだら、僕は一生変われない。

 昨日までの、ただ流されるだけの弱い僕のままだ。


「あ、あの…!」


 自分でも驚くほど、か細く、裏返った声が出た。

 それでも、僕は続けた。


「明日が言ってくれた通りです。色々あって、本土にはもう居場所がありません。でも…」


 僕は、震える声で、それでもはっきりと顔を上げて言った。


「僕は、この街で生きていきたいです。自分の足で、立ちたいんです。どんなことでもします。だから……僕も、ここで働かせてください。お願いします!」


 僕は、その場でワンさんに向かって、深く、深く頭を下げた。

 床の冷たいコンクリートが、すぐそこに見える。

 本土にいた頃の僕なら、恐怖で固まるだけで、こんな行動は絶対にできなかったはずだ。

 だが、今の僕の心には、明日がくれた、小さな希望の光が灯っていた。

 この光を、自分の手で消したくない。

 その一心だった。


 僕の言葉を聞いても、ワンさんはしばらく黙っていた。

 鋼鉄の指で葉巻の灰を灰皿に落とす。

 ウィーン、という義手の微かなモーター音が、僕の緊張を煽った。

 やがて、彼は重々しく口を開いた。


「……てめえ、ここで何ができる?」

 地を這うような低い声だった。


 問われているのは、僕自身の覚悟だ。

 部屋の空気が、鉛のように重くなる。

 ワンさんのサングラスに、怯える僕の顔が映っている。


(何ができる? 本土では、何もできないと烙印を押された僕に)


 頭が真っ白になり、喉が張り付いて声が出ない。

 隣に立つ明日の気配が、固唾をのんで僕を見守っているのが分かった。


(ここで、駄目だったら…)


 僕の居場所は、また失われる。

 脳裏をよぎったその恐怖が、逆に僕の身体に最後の力を振り絞らせた。


「……何ができるか、今はまだ、分かりません。

 でも、明日に仕事を教わって、一日でも早く、一人前の仕事ができるようになってみせます。

 どうか、お願いします!」


 僕の返事を聞くと、ワンさんは「ふん」と鼻を鳴らした。

 それきり、ワンさんはしばらく何も言わなかった。

 ただ、鋼鉄の指でゆっくりと葉巻を口元へ運ぶ。

 部屋の重い沈黙の中、ウィーン、という義手の微かなモーター音だけが響いていた。

 僕と明日は、まるで判決を待つ罪人のように、彼の次の言葉を待つしかなかった。


 ワンさんは紫煙を燻らせながら、僕をサングラスの奥から値踏みするように見ている。

 やがて、鋼鉄の指先で、机をコン、と一度だけ、硬質な音を立てて叩いた。


「……その目、気に入らねえな。死んだ魚みてえな目だ」


 突き放すような言葉に、僕の心臓が凍りつく。

 だが、ワンさんは続けた。


「だが、まあいい。こっちに来たばかりの奴は、大抵そんな目をしている」


 そして、彼はそのサングラスをゆっくりと明日の方に向けた。


「――ネコ坊。当面は、そいつがヘマしたら、てめえの責任だ。何かあれば相談しろ」


 ぶっきらぼうな響きだったが、それは拒絶の言葉ではなく、不思議と、ここにいてもいいのだと告げられたような安堵感が僕にあった。


「俺は仕事に戻る。行け」

 と、ワンさんは葉巻の煙で二人を追い払うように顎をしゃくった。


 僕たちが部屋を出ようと背を向けた、その時だった。

「――おい、坊主」


 ワンさんの声が、背中に突き刺さった。

 僕はビクリと振り返る。

 彼の声から、先ほどまでの威圧感とは質の違う、ひやりとした何かが滲んでいた。


「新入りに一つ忠告だ。

 俺たちの仕事じゃ、時に本土の連中とも関わることになる。

 ……だがな、本土にいる本物のバケモン共——淘汰委員会には、決して関わるな。

 奴らは厄介とかそういう次元じゃねえ。

 連中にとって、俺たちの命なんざ道端の虫ケラと同じだ」


 ワンさんは、そこで一度言葉を切り、鋼鉄の指で葉巻をゆっくりと口元へ運んだ。

 紫煙の向こう側、サングラスの奥の目が、ひやりとする光を帯びる。


「――その中でも、特に“あの女”……委員長の田嶋。

 あのバケモンは格が違う。

 何があっても関わるな」


最後までお読みいただき、ありがとうございます!


ついに、港湾運送組合の仲間たちが登場です!

カイ、氏左衛門、そしてワンさん。


個性的な組合の仲間たちや、悠句の新たな一歩を応援したいと思っていただけましたら、ぜひページ下の【★★★★★】から評価や、ブックマークをしていただけると、執筆の大きな励みになります。


どうぞ、よろしくお願いいたします。

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