第10話 はぐれ者たちの夜
お読みいただきありがとうございます。
偽東京の静かな夜。
二人の『はぐれ者』が、それぞれの孤独を語り始める――。
はい、承知いたしました。
ご提示いただいた原文のテキストを、一字一句変更せず、ご指定のフォーマットに沿って読みやすく体裁を整えました。
夜が更けていく。
窓の外では偽東京のネオンが、さらに輝きを増していた。
僕たちはベッドに並んで腰かけ、ぽつり、ぽつりと、互いのことを語り始めた。
僕は今日一日の出来事を全て話した。
大國先生の狂気じみた笑顔。
「レベル0」という赤い烙印。
姫宮たちからの暴力。
間引き隊の嘲笑。
そして警察官の、あの絶望的な一言。
話しているうちに、また涙が溢れそうになったけれど、今度はなんとか堪えた。
明日は相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。
僕が話し終えると、窓の外のネオンに視線をやったまま、静かに言った。
「そっか。
悠句も、大変だったんだね」
彼の声は、どこか遠くを見ているように響いた。
「俺はさ……そもそも、この世界の人間じゃないんだよね」
「え?」
「俺が生まれた世界は、もうないんだ。
ずっと前に、滅びちゃったみたいでさ」
あまりにも淡々とした口調に、僕は息をのんだ。
「……滅びちゃった?
世界が?」
「そ。
俺自身には記憶はないんだけどね。
赤ん坊の時に、親がこっちの世界に飛ばしたらしい。
なんでも、俺のいた世界の物理法則を書き換える『関数』ってやつを無理やり暴走させて、世界が滅亡する直前に俺だけを逃がしたって。
だから、俺は自分の父さんと母さんの顔、知らないんだ」
明日は僕の方に顔を向けると、少しだけ寂しそうに笑った。
彼の言葉には、僕が感じていたものよりも、もっと深くて根源的な「孤独」の匂いがした。
僕は、僕がいた世界から疎外された。
しかし彼は、彼のいた世界そのものを失くしたのだ。
僕たちは、違う絶望の淵から、同じようにこの偽東京に流れ着いたのかもしれない。
「こっちに来て最初に拾ってくれたのは、人間じゃなかった。
偽東京のあるエリアを仕切ってた『化け猫一家』みたいな連中だったんだ。
しばらくは、そこで育ててもらった」
彼は少し懐かしむように目を細めた。
「でも、俺は結局、人間の子供だからさ。
猫にはなれない。
猫たちのようには生きられない。
だから、ずっとどっちつかずだったんだ」
「そんな俺を見て面白いと思ったのかな。
ある日、ソラリスさんっていう不思議な人が現れてさ」
「ソラリスさん?」
「うん。
見た目は15歳くらいの女の子なんだけど、銀髪の中に虹色みたいな模様が常に動いてて……なんだろうな、とにかく、明らかに人間じゃないんだ。
神様みたいな、ちょっと変わった人」
明日は続けた。
「その人が言うんだ。
『君は、人間の心を持った猫だ。
せっかく猫たちに育ててもらったのだから、もっと猫みたいになるといいよ』って。
そして今のこの身体にしてくれた。
俺の親のこととか、昔の世界の話も、全部その時に彼女から聞いたんだ。
まあ、気まぐれで教えてくれただけみたいだけどね」
その不思議な人物像に、僕はただ圧倒されるしかなかった。
明日は、そんな僕の様子を気にするでもなく、話を続けた。
「ソラリスさんに会った時は何のことか分からなかったけど、『あしたの朝、起きたらわかるよ』って笑ってさ。
で、次の日の朝、目が覚めたら頭にこんなのが生えてて。
さすがにびっくりしたよ」
彼は自分の猫耳を指さした。
「でも、本当に驚いたのはその後だった。
なんだか無性に走りたくなって。
身体がすごく軽いんだ。
外に飛び出して走ったら、自分でも信じられないくらいの速さで、車なんて軽々追い越せるくらい足が速くなってた」
彼は楽しそうに続けた。
「育ててくれた化け猫一家の親父さんなんて、俺の姿を見るなり、ニヤリと笑ってさ。
『へっ、やっと本来の姿に戻ったか、小僧!』なんて言って、頭をわしゃわしゃ撫деられたよ」
明日の表情が少し柔らかくなった。
「俺はずっと、あいつらは本当の家族だって思ってたし、あいつらも心からの家族として接してくれてたけど、心のどこかに、俺だけが人間だって引け目があったんだ。
でも、この身体になって、その最後の壁がなくなった気がして、すごく嬉しかった」
「……でも、猫って、自分のナワバリが欲しくなるもんだろ?
18になったのを機に、自分の足で立ってみようと思ったんだ。
それで、化け猫ファミリーの縄張りを出て、このマンションで一人暮らしを始めた。
もちろん、今でもあいつらは大事な家族だけどね」
明日は窓の外を見ながら続けた。
「せっかくもらったこの力だからさ、何かに使わないともったいないだろ?
まずは飯を食うために、偽東京の港で荷物を運ぶ『港湾運送組合』ってところに入れてもらって、超速達の仕事を始めたんだ」
「この街、道がぐちゃぐちゃだろ?
普通の配達じゃ時間がかかりすぎる。
でも俺なら、壁を駆け上がって、ビルからビルへ飛び移って、最短ルートで行ける。
どんなマフィアの縄張りも、屋根の上を飛んじゃえば関係ないからな。
だから『超速達』なんだ」
「で、空いた時間に本土に行って、『見回り』をしてるんだ」
明日は僕の方を向いた。
「ヒーローをやってるつもりはないんだよ。
でも、放っておけないんだ。
俺はさ、ずっとどっちつかずで、どこにも本当の居場所がないって思ってたから。
だから、分かるんだよ。
本土で、社会のルールからはみ出して、たった一人で追い詰められてる奴の気持ちが」
彼の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめた。
「俺のナワバリは、この偽東京だけじゃない。
本土にいる、悠句みたいな『はぐれ者』も、俺にとっては守るべきナワバリの住人なんだ。
だから、本土の連中に俺のナワバリを荒らされるのが、 ただ気に入らない」
「俺、猫だからさ。
普通の人間には聞こえないような、遠くの助けを求める声が聞こえるんだ。
それに、街の猫たちが色々教えてくれる。
あそこの路地裏で誰かが泣いてたとか、間引き隊の腕章をつけた連中がうろついてるとか。
まあ、猫のネットワークってやつ?」
明日は少し笑った。
「今日もさ、クロタっていう真っ黒なやつが、毛を逆立てて駆け込んできたんだ。
『明日、大変だ!
間引き隊の連中が、ビル街で一人の子を追い詰めてる!』って。
それで、悠句が追い詰められてるって知ったんだ」
彼はそこで一度言葉を切ると、少しだけ真剣な声で続けた。
「急いで向かってたら、あのビルの屋上から、悠句が飛び降りるのが見えた。
あんなの、見ちまって放っておけるわけないじゃん。
困ってる奴がいたら、手を貸す。
俺は、ただそうしたいからそうするだけだよ」
僕は、しばらく言葉を探した後、かろうじて一言だけを絞り出した。
「……ありがとう」
ただ、それだけを言うのが精一杯だった。
沈黙が流れる。
でも、それは気まずいものではなく、互いの存在を確かめ合うような、穏やかな沈黙だった。
窓の外では、偽東京の夜が続いていた。
遠くを走る浮遊車の低いモーター音や、巨大なホログラム広告が切り替わる微かな電子音が、部屋の静寂に溶け込んでくる。
その静寂を破ったのは、僕の方だった。
ずっと胸の奥に仕舞い込んでいた、誰にも言えなかった秘密。
僕が、遺伝子レベル0になった、本当の理由。
世界そのものを失くした彼の孤独に触れたからだろうか。
もし、彼にも本土の連中と同じような目で見られたら?
この束の間の安らぎすら、僕自身の手で壊してしまうことになるかもしれない。
それでも、彼にだけは、本当の自分を知ってほしかった。
「……あのさ」
僕は、彼の顔を見ずに、俯いたまま、呟くように言った。
喉の奥がカラカラに乾いて、声がうまく出ない。
「僕は、自分がレベル0になった理由、なんとなく、心当たりあってさ」
指先が、氷のように冷たくなっていくのを感じた。
心臓の音だけが、やけに大きく耳の奥で響いている。
一度口を開きかけたが、言葉にならず、乾いた唇を舐めた。
「……定期的にある、心理検査とか……面談とかで、多分、バレたんだと思う。
僕が……」
そこから先を続けるのが、死ぬほど怖かった。
声が、喉に張り付いて震える。
「……僕が、その……女の子を、そういう対象として、見れない、っていうか……」
それが、僕の精一杯の告白だった。
日本皇国では、それは「異常」であり、「欠陥」であり、「不要な遺伝子」の証だった 。
軽蔑されるだろうか。
それとも、気味悪がられるだろうか。
僕は、次に彼が発するであろう拒絶の言葉を覚悟して、固く目を瞑った。
息の詰まるような沈黙。
ベッドのスプリングが、僕が身じろぎしたせいで、小さく軋む音だけがした。
しかし、返ってきたのは、想像とは全く違う、拍子抜けするほど明るい声だった 。
「好きな人を好きになるってだけのことでしょ。
俺はそれ、変なことだとは思わないよ」
僕は驚いて、明日の方を見た。
明日は僕の顔を真っ直ぐ見て、八重歯を見せて笑っていた。
その瞳には、侮蔑も、同情も、何もなかった 。
彼が育ったこの混沌の街では、それは本当にその程度の違いでしかなかったのだ。
「ここにはさ、色んな奴がいるよ。
男が好きな男も、女が好きな女も、どっちも好きな奴も、どっちでもない奴も。
ラーメンの味が醤油か味噌か、みたいなもんじゃん?」
明日は首を傾げた。
「……あれ、違う?」
醤油か、味噌か 。
僕が人生の全てを賭けて、死ぬほどの覚悟で打ち明けた秘密。
本土では、それだけで存在を否定されるほどの重罪 。
それが、この場所では、そして、この少年にとっては、ただのラーメンの好みの話と同じレベルだというのか。
その、あまりにも軽やかで、あまりにも優しい価値観の転換に、僕は頭を殴られたような衝撃を受けた 。
その言葉を聞いた瞬間、僕の心を重く縛り付けていたものが、ふっと消えたように感じた。
僕がずっと抱えてきた罪悪感も、劣等感も、彼の屈託のない一言で、全てが洗い流されていくようだった 。
僕が呆然としていると、明日は少し照れくさそうに頭を掻いた。
それから、僕の頭を軽くポンと叩いた 。
「ま、そういうわけだからさ。
あんま、思い詰めんなよ」
彼はベッドの上で大きく伸びをした 。
「ほら、もう夜も遅いし。
今日は色々ありすぎて、疲れただろ。
もう、寝ちゃおうぜ」
その優しい声に、僕の中で何かが決壊した 。
心の奥で硬く凍りついていた何かが、熱い奔流となって溶け出していく。
僕は思わず、彼の方に身体を傾けた。
明日は一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐに優しく僕を受け止めてくれた 。
僕は彼の肩に頭を預けて、声を殺して泣いた。
最初は小さな震えだったものが、やがて止めようのない嗚咽になった 。
今度の涙は、悲しい涙ではなかった。
蔑まれ、否定され続けてきた僕の全てが、生まれて初めて、たった一言で肯定された。
そのことが、ただ嬉しかった。
明日は何も言わず、ただ、僕の頭を不器用な手つきで優しく撫でてくれた。
まるで、猫をあやす時のような手つきだった 。
「大丈夫だよ」
明日が小さく呟いた。
その声は、僕を責めるでもなく、急かすでもなく、ただそこにあった 。
どれくらいそうしていただろうか。
僕の嗚咽は次第に収まり、時折、呼吸が小さく震えるだけになった。
泣き疲れて、僕はもう指一本動かせそうになかった 。
震える僕の背中を、明日が優しくさする。
ゆっくりと、一定のリズムで。
その手の動きが心地よくて、まるで波に揺られているような感覚になる。
僕はだんだんと意識が朦朧としてきた 。
明日が、僕の肩を支えたまま、ゆっくりとベッドに横になった。
僕も、それに引きずられるように、彼の隣に身体を横たえる。
僕が落ち着くのを待ってくれていたのか、彼はすぐに、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた 。
先に眠ってしまった彼の、無防備な横顔。
僕の涙で少し濡れたパーカー。
時折、ぴくりと動く猫耳。
彼のパーカー越しの体温が、じんわりと伝わってくる。
その温かさが、僕の孤独を埋めていく 。
耳元で聞こえる、彼の穏やかな寝息。
窓の外からは、偽東京の夜の息遣いが聞こえていた。
遠くを走る浮遊車の低いモーター音、どこかの部屋から漏れるノイズ混じりの音楽、巨大なホログラム広告が切り替わる微かな電子音が、不思議と安らかな子守唄のように感じられた。
温かさと音に包まれて、僕も、ゆっくりと意識を手放していった。
これが何という感情なのか、僕にはまだ分からなかった。
ただ、この温もりと、隣で聞こえる穏やかな寝息だけが、僕にとっての世界のすべてになっていく予感がした。
僕の長い夜は、ようやく終わりを告げようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
二人の『はぐれ者』が、互いの傷と孤独に触れ、絆を深める回でした。
悠句にとって、そして明日にとっても、長い夜が明けようとしています。
次回、偽東京での新しい朝。
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