表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

第1話 審判の日

はじめまして、作者の究空きゅうくです。


新作『キャットボーイ・フロム・偽東京』の連載を開始します。


「遺伝子レベル」が全てを決める、残酷な世界を生きる少年たちの話です。


どうぞお楽しみください。

 傾きかけた西日が、教室に粘つくようなオレンジ色の光を投げかけていた。

 床には机と生徒たちの長い影が伸び、まるで牢獄の鉄格子のように交差している。

 窓際の席で、僕は浅い呼吸を繰り返していた。

 制服の襟元が妙に息苦しく、何度も指で緩めようとしたが、それは締め付けられているのではなく、ただ自分の喉が恐怖で狭まっているだけだった。


 今日は、「遺伝子レベル」の判定結果が返される日。

 日本皇国が全国民に義務付けた、高校三年生の春に下される最終宣告。

 レベルが高ければ英雄として称えられ、低ければ社会の「負債」として扱われる。

 レベル10未満は公営住宅への入居が義務付けられ、レベル5を下回れば職業選択の自由すら奪われる。

 そして、レベル0は——。


 僕の指先が、無意識に机の端を撫でた。

 木目の感触が、妙にざらついて感じられる。

 教室のほとんどは、水を打ったように静まり返っている。

 聞こえるのは、壁の時計が無慈悲に時を刻む音と、誰かの押し殺したような息遣いだけ。

 チョークの粉と、春なのに暖房が切れない教室特有の生温い空気が漂っていた。

 前方の席では、運動部の男子生徒が両手を組んで俯いている。


「頼む……レベル15、いや13でいい……」


 ぶつぶつと呟く声が、かすかに震えていた。

 普段は威勢のいい彼が、今は小さな子供のように身を縮めている。

 斜め前の女子生徒——いつもは完璧にメイクを決めている彼女が、今は血の気の失せた顔で爪を噛んでいる。


 その息苦しいほどの静寂を、後方の席から聞こえる勝ち誇ったような笑い声が、無遠慮に破った。


「なあ、姫宮。

 どうせレベル100は余裕だろ?」


「たりめーだろ」


 軽い調子の会話。

 まるで天気の話でもしているかのような気安さ。

 声の主は、姫宮カズマと、その取り巻きの海老原や望月だ。

 彼らの周りだけ、空気の密度が違うように見えた。

 彼らだけが、この息詰まるような空気を意に介さず、これから発表される遺伝子レベルを賭けの対象にして騒いでいる。

 一軍女子たちの甲高い嬌声がそれに混じった。


「姫宮くんなら1000超えもあるんじゃない?」


「やだ、それヤバすぎ」


 遺伝子強者にとって、これは「審判」などではない。

 ただの退屈な日常を彩る、ちょっとした娯楽に過ぎないのだ。

 教室の後方のドアが少し開いていて、そこから遠慮がちな含み笑いが漏れ聞こえる。

 廊下に控える姫宮の追っかけの女子生徒たち。

 彼女たちにとって、今日は「推し」の晴れ舞台を見物する日でしかない。


 僕は震える指で、ポケットの中のスマートフォンを握りしめた。

 何かを握りしめて、この緊張感の中で、少しだけでも安心していたかった。

 右隣の席で、小さく息をつく音がした。

 図書委員の村野さんだ。

 彼女と目が合った。

 分厚い黒縁メガネの奥、生気のない虚ろな瞳に、僕と同じ色が浮かんでいた——諦めと不安と、それでもどこかに残る、奇跡への淡い期待。

 村野は力なく微笑んだ。

 その笑みは、お互いの運命を察しているような、諦観に満ちたものだった。

 ふと視線を上げると、壁に貼られた淘汰祭のポスターが目に入った。


『遺伝子強者は、国の誉れ!』


 力強い毛筆の文字が、西日を受けて金色に輝いている。

 その下には、整った顔の筋肉質な若い男性アイドルと、透き通った肌が美しい女優が寄り添う写真。

 「理想の日本人」の姿。

 僕には、そのポスターが巨大な目となって、自分を見下ろしているように感じられた。

 喉の奥に、酸っぱいものがこみ上げてくる。


 その時、教室の前方ドアが、ゆっくりと重々しい音を立てて開いた。

 僕の背筋が、反射的に伸びた。

 担任の大國育雄(おおくにいくお)先生。

 188センチ、115キロの巨体が、戸口を完全に塞いでいる。

 筋肉と脂肪が同居した、威圧的な体躯が動くたび、着古されたグレーのスーツが窮屈そうに悲鳴を上げた。

 大國先生——彼は生徒に自分を「先生(パパ)」と呼ばせる奇妙な教師だ——は、その巨体に似合わないほど静かな足取りで教壇へ向かった。

 ミシリ、ミシリと床板が軋む。

 その一歩一歩が、処刑台への歩みのように、僕の鼓動を速めた。

 教室中の視線が、恐怖とわずかな期待をない交ぜにして、彼の一挙手一投足に突き刺さる。

 僕もまた、目を逸らすことができなかった。

 教壇の中央に立った大國先生の、綺麗に剃り上げられたスキンヘッドが、西日を鈍く反射する。

 汗が光って見えた。

 彼は満足そうに生徒たちを見渡し、口元に人好きのする笑みを浮かべた。

 だが、僕は知っている。

 細められたあの目の奥は、全く笑っていないことを。


 パン、と乾いた柏手の音が響き、生徒たちの意識は否応なく彼の言葉に引き寄せられた。


「諸君、今日も一日、ご苦労だったね」


 腹の底から響くような、けれど不思議と耳に心地よいバリトンの声が、教室の隅々まで染み渡っていく。

 まるで催眠術師のような、人を惹きつける響き。


「いよいよ、結果を言い渡す時が来た。

 だがその前に、先生(パパ)から皆に伝えておきたいことがある」


 大國先生は一歩前に踏み出し、分厚い両手を教壇の縁にかけた。

 その手の甲に、血管が浮き出ている。


「諸君は皆、私の、そしてこの国の宝だ。

 一人一人が、未来の日本皇国を背負って立つ、かけがえのない『家族』なんだぞお」


 その言葉に、「一軍」の女子生徒たちが、うっとりとした表情を浮かべた。

 まるで恋人から愛を囁かれているかのような恍惚とした顔。

 これは、甘い毒薬だ。

 その言葉を信じた先に待つのは、本当の幸福などではない。

 ただの、国家に管理された家畜としての生だ。


 大國先生は、話しながら、値踏みするように生徒一人一人の顔をゆっくりと見ていく。

 粘りつくような視線が、僕の顔の上を通り過ぎていく。


「相沢」


 陸上部のエースの名前が呼ばれた。


「君がグラウンドを駆ける姿は、我が国の希望そのものだ。

 その卓越した身体能力は、次代を担う優れた国民の礎となるだろう」


 褒め言葉。

 一軍女子の相沢が、照れたように笑う。


「望月。

 君のその誰からも愛される天性の明るさは、健全な社会を築く上で不可欠な才能だ。

 素晴らしいぞ。

 先生(パパ)は、誇らしいぞ」


 望月がにやりと笑うのが見えた。


「海老原。

 君は……」


 クラスの上位陣に投げかけられる、蜂蜜のように甘い言葉。

 それを聞きながら、僕の手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。

 僕には分かる。

 これは品評会だ。

 種馬の価値を査定する、おぞましい儀式。


「……無論、宝であるからこそ、磨かれなければならない。

 優れた遺伝子の持ち主は、優れた遺伝子の持ち主と交わり、優秀な子を産んで国家に貢献する。

 それが諸君の義務であり、喜びだ。

 そうだろう?」


 その視線が、教室の窓際で息を殺す僕の上で、一瞬、ピタリと止まった。

 心臓が喉から飛び出しそうになる。

 僕は咄嗟に目を伏せた。

 全身の血が逆流するような、凍てつく恐怖。

 伏せた視界の端で、大國先生の細められた目の奥に、狂気的な光が宿ったのを確かに感じた。

 それは生徒を見る教師の目ではない。

 所有物を、家畜を見る目だった。


「さあ、始めようか。

 祝福と、審判の時を」


 大國先生が再び人好きのする笑顔に戻った瞬間、教室の空気は限界まで張り詰め、僕の心臓は破裂しそうなほど速く脈打ち始めた。


 まず、大國先生が最優秀者の名を告げた。


「今回の最優秀者は――姫宮カズマ」


 その名が呼ばれた瞬間、張り詰めていた教室の空気が、ほんのわずかに揺らいだ。

 続くざわめきは、静かな水面に小石を投げ込んだ時のように、同心円状にゆっくりと広がっていく。


「遺伝子レベルは……1760」


 大國先生が告げた数字は、まるで現実感のない、物語の中の単位のようだった。

 一瞬の沈黙。

 生徒たちは、その数字の意味を頭の中で反芻しているようだった。

 そして、次の瞬間、教室は爆発したかのような喝采に包まれた。

 嵐のような拍手と、悲鳴に近い歓声。

 それは祝福というよりも、人知を超えた何かを前にした時の、原始的な畏怖と興奮が入り混じった叫びだった。

 廊下で息を殺していた追っかけの女子生徒たちが、堰を切ったように狂喜の声を上げている。

 隣の教室からも何事かと顔を覗かせた生徒たちが、その数字の意味を知るやいなや、興奮した囁きを伝播させていった。


「1760だって! やばすぎ!」

「すげえっ。すげえぞっ!」

「え待って! 姫宮様すごすぎ!」

「やばいよね! 尊すぎる!」


 遺伝子レベル。

 それは「その数だけ、優秀な子孫を国家のために作りなさい」という、神からの託宣にも似た指令だ。

 一桁の者から、姫宮のような数千に達する者まで、その残酷なまでの振れ幅こそが、この国における絶対的な身分制度を象徴していた。

 熱狂の中心で、姫宮カズマは億劫そうに片手を軽く上げながら席に戻った。

 まるでうるさい羽虫でも払うかのような、気のない仕草だった。

 それだけで周囲の狂騒はさらに熱を帯びたが、当の本人は既に関心を失くしたように窓の外に視線をやっていた。

 成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能、そして皇国屈指の名家の生まれ。

 まるで神が気まぐれに創り出した完璧な彫像のように、彼はただそこに在るだけで、周囲を圧倒的な格差の闇に沈めていた。

 やて姫宮への熱狂が鎮まると、大國先生は再び名簿に目を落とし、教室には死刑執行を待つ罪人のような沈黙が戻ってきた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


「審判の日」に、主人公・隠悠句がどのような運命を辿るのか、楽しんでいただけたでしょうか。


次回は、悠句に下される『審判』の結果が描かれます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ぜひページ下の【★★★★★】から評価や、ブックマークをしていただけると、執筆の大きな励みになります。


どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ