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第7話 藤鼠色の思い

ヌラリス国王レオニダスは戦が好きだ。


正確には戦で活躍する『英雄』が好きで、自分が『英雄』になるため戦をしたがっている。



いまのヌラリス王国は他国に戦を仕掛ける理由も必要もない。


国土に狭さを感じていない。平均的に気候も穏やかで食料に不安もない。資源も十分ある。ここまで安定している国も珍しいが、それは建国から千年の間ずっと戦をしてこなかった結果。この国は他国の侵略から守るための防衛戦をするだけで侵略戦争をしたことは一度もない。


だからこその平和と大勢が理解し『平和が一番』と国民の多くがそう思っているのに全員ではない。よりにもよって王であるレオニダスが戦をしたがっているから、レオニダスに忖度して開戦を賛美する者たちがいる。


鬱陶しいが、レオニダス以外は問題ない。


千年間の平和の意味を理解できていない小者ばかりで数も少ない。下位貴族ばかりだから、戦争反対派の大貴族たちが「お前たちが戦地にいけ」と彼らを戦地に派遣している。戦の現実を心身に叩き込んで再教育しているのだ。


しかし王族のレオニダスを戦地に送るわけにはいかない。彼に兄弟がいれば別だったかもしれないが、生憎と彼はたった一人の王子だった。


レオニダスの扱いに困った宰相が彼の耳元でささやいた、「英雄は色を好む」と。


色を好めば英雄というわけではない。だがレオニダスはその言葉が気に入ったのか多くの愛妾を抱えた。四十歳を目前にして娶った十八歳の王妃と宰相に国政のことは任せ、王はいまも愛妾を増やしながら愛欲に耽っている。


国政を押しつけられた形になったが、覇王気質の王妃は「これで全く構わない、むしろ良い」と言い切った。王妃も宰相も、そして主要の貴族も「王に戦争を起こさせない」で一致団結している。


そのために利用される形になったのがリアンとイグナシオ。リアンの交渉の成功も、イグナシオの防衛戦の勝利も、全てはレオニダスの功績となった。国を守る英断とレオニダスを持て囃すことで、レオニダスの『英雄になりたい』欲求を抑えていた。


リアン亡きいま、それはイグナシオと彼が率いる騎士団が一手に引き受けている。


騎士団が同盟国の紛争地や魔物の大量発生地域に派遣されることが増えたが、誰もがレオニダスを満足させたいだけで騎士団が出る必要性はあまりないことが分かっている。英雄と騎士たちの活躍が注目されているが、戦いの場で死傷者数がゼロなどあり得ない。イグナシオには賛辞と同じくらい戦地から戻れなかった騎士たちの遺族からの批難が集まった。


イグナシオは彼らを無事に家に帰すために強くなろうと努力していた。



(強くなる、か)


リリアンナは六歳のときからイグナシオと面識がある。父リアンがイグナシオの後見だったから。ただし、『面識』である。


仲がよい友人だったわけではない、むしろ父リアンとの時間を奪われたとリリアンナはイグナシオに敵対心を持ってさえいた。『興味がない』ではなく『いけ好かない』だったから、恋の種は出会ったときに埋まったかもしれないと今のリリアンナは思うこともあるが。


どちらにせよ、六歳のときからずっと『いけ好かない』イグナシオをリリアンナは見てきた。十歳の小さい体で『ドゥヴァリス』という名前を背負い、細い腕で剣を振る姿をいまもリリアンナは覚えている。


細い剣は名声と共に太い両手剣となったが、それでも足りずとイグナシオは剣を振り続けた。振る腕が強くなるたび、イグナシオに圧し掛かる重みは増えていき、潰されないように腕を強くして、さらに重みは増えての無限ループだ。


強くなったイグナシオは『英雄』と呼ばれている。


本人が欲しがった称号ではない。むしろイグナシオが『英雄』と呼ばれるのは嫌がっていたことをリリアンナは知っている。『英雄』と呼ばれることで、『英雄』と呼ばれたかったレオニダスから並々ならぬ嫉妬を向けられるから。


強さを賞賛され戦場が似合うと言われても、イグナシオが戦場を好きだったわけではない。リリアンナの知るイグナシオは陽のよくあたる庭で寝ころびながらのんびりと過ごすのが好きな男だ。


その男がいまは自ら望んでいるかのように戦地を転々としている。



(陛下の嫉妬が酷くなったのかもしれない……)


賞賛を浴びる『英雄』になりたい。


そう思うレオニダスの頭に浮かぶのはきっと、大きな両手剣を振り回して大群の敵を蹴散らす『英雄』イグナシオ・ドゥヴァリス。イグナシオはレオニダスのなりたい英雄そのものだから、イグナシオの存在がレオニダスの劣等感を刺激し嫉妬を煽る。


年齢もある。


男盛りのイグナシオと老いていく一方のレオニダス。老いは死を強く感じさせ、死を意識することは生きてきたこれまでを振り返るキッカケになる。死を前に人生を振り返ったとき、レオニダスは『英雄』になれていないことに気づいた。


(早く英雄になりたいと焦っている……『英雄』の暗殺。ヴェルナの現状。陛下はもう正常な判断ができているとは思えないわ)


殺せばヌラリス王国を獲れるとまで言われているイグナシオはヌラリス王国を守る絶対で唯一の盾。この盾を壊すことは国の安寧を脅かすことになり、そんな蛮行は例え王であっても許されない。


しかし、実際はレオニダスがイグナシオを殺そうとするのを止められていない。次の王となる王太子がいないから、国はそれを許さざるをえない状況になってしまっている。



(ハルシオン殿下は御年八歳……ご成人まであと八年……)


王太子の候補の王子は、王妃が産んだ唯一の子どもで王子のハルシオン。幼いが彼は王妃の子らしく名君の素養を感じさせる言動をしているが、八歳という年齢が足枷になっている。「成人の儀をすませていない王子は王太子にはなれない」という法律があるからだ。


ハルシオン以外に王子がいないわけではない。


いないどころかハルシオンを含めて八人もいる。ハルシオンの兄二人はすでに成人しているし、三番目の兄も成人を目前にしている。しかしハルシオン以外の王子は王になるには足りない。


ハルシオン以外が王になれば国力は確実に弱まるとされ、この国にはいま国力を弱められない理由がある。豊かなヌラリス王国を欲しい国はもともと多い上に、レオニダスが近隣各国の戦にいろいろ干渉したせいでこの国をよく思わない国が多いのだ。


ハルシオンの後見として王妃様が中継ぎの王になる案はあるが実現はほぼ不可能。


王妃に問題はない。その器量があることは国内外で認められている。しかし、彼女はあくまでも中継ぎ。女王が王子の後見になった例はあるが、それはハルシオンが正当な手段で生まれていたならが前提。王妃は宰相と共謀してレオニダスに薬を盛って妊娠し、そうやって生まれたのがハルシオンには『王の意思を蔑ろにした後継ぎ』という汚点がある。


ただ、『王の意思を蔑ろにした後継ぎ』だと表立って批難する者はいない。自分より遥かに覇王気質の王妃を疎んじるレオニダスの子を王妃が孕むのに必要な手段だったと誰もが理解しているからだ。


しかし王に薬を盛ることは罪。王妃が中継ぎの王にでもなれば、王妃や彼女の生家と敵対している貴族はその点を糾弾し、事実なのでその罪を逃れる手段が王妃にもハルシオンにもない。


だから王妃は中継ぎの王になれず、多くの者がハルシオンが成人するのを待っている。



(それを面白く思っていない王子が二人……これがこの先六人まで増えると思うと頭の痛い話だわ)


すでに成人した王子たちは自分こそ王太子に相応しいと言っている。特に第一王子は長子優先を声高に叫び王太子を自称している。成人を控えた第三王子も黙っていない。彼は母親が貴族である王子の中で自分が長子であることを声高に叫び、王太子になると宣言している。


煩いだけで実害はないため放っておかれているが、放っておかれているほうは面白くない。


彼らも馬鹿ではない。父王のイグナシオに対する劣等感に気づき、それを刺激して国王を操ろうとしている。イグナシオが北部に魔物を討伐にいったのも第三王子の母親の実家に与えられた領地が北部にあるからだ。


誰も彼もがイグナシオを利用する。武器として使うようにレオニダスを唆す者もいれば、邪魔者は消せばいいと唆す者もいる。



(……いけない……まずは脱出することを考えなくては)


感傷を振り払い、リリアンナは脱出について考える。これだけ周囲を人に囲まれては自力での脱出は不可能だし、協力者として頭に浮かぶ者もいない。もう少し愛想よくしておくべきだったかと後悔はするが後の祭り。


このまましばらくは膠着状態かとリリアンナは思ったが、二日後の夜に変化が起きた。


 ◇


空が暗くなってしばらくした頃、診療所の扉がノックされた。『出てこい』と脅すような叩き方ではなく、遠慮を感じさせる控えめな叩き方にリリアンナは眉をひそめた。


「役所の者です。治癒師とその家族の方を保護します、扉を開けてください」


生憎とこれで騙されるようなリリアンナではない。こんな手で騙されるかと舌打ちしたい気分だった。


(不自然すぎる)


「治癒師が治療を拒否している」と治癒師を主語とした噂のせいで住民の怨嗟は治癒師に向かっているが、感染症の原因と毒の件が公になっていない以上、治療の中止を指示して疫病を拡げたのは役所だ。この状況で役所の人間が『保護するため』と言えば囲い込むと判断されるし、全員でなくとも幾人かは根本の原因が役所だと気づく。


騒ぎが起きるのが自然、しかし外は鎮まったまま。前の夜もその前の夜も、夜でも昼と同じように誰かが診療所を監視していた。


(知らない声だけど、近所の人たちもこれに協力しているとみて間違いないわね)


ますます周りの助けは期待できないとリリアンナは思ったし、限界を強く感じさせた。


「エア、起きて……」

「……お母さん?」


初めは起こされたことに不機嫌そうだったが、すぐに異変を感じたのか素直に従った。


エアハルト(子ども)でさえ感覚でおかしいって分かるというのに……こんなことが平然とできるということは、誰も止められない人もしくは人たち。歓迎できる人種ではないのでしょうね)



「エア、絶対にお母さんから離れてはダメよ」


頷いたエアハルトはリリアンナにしがみつく。そんなエアハルトを守るようにリリアンナは強く抱きしめた。


「へんな音がする……」

「鍵穴を弄っているみたいね」


カチカチという音がやむと、何の許可も求めずガラッと診療所の扉が開いた。入ってきたのはリリアンナの想像通り、悪いことをしていますと顔に描いてある男たちだった。どう見ても役所の人間ではない。


勝手に入ってきた三人の男たちは、じろじろと診療所の中を見回し、リリアンナと目が合った一人が口笛を吹いた。


「超美人じゃん」

「子持ちとかいうからババアを想像してたわ」

「アッチのお相手もお願いしたいね」

「そりゃあいい」

「その分の報酬を上乗せしてやるからよ」


あまりの下劣さにリリアンナは不快感を隠せず眉間に皺が寄った。


「お、お母さん……」

「エア?」


リリアンナはエアハルトが怖がりだしたことに戸惑った。


「大丈夫よ。エア、大丈夫だからね」


エアハルトを抱きしめて宥めるが、しかし面白がった男たちが椅子を蹴って大きな音を出したり、下卑た笑い声をあげるせいでエアハルトは余計怯えた。


(こんな風に直接が害意を向けられたことのないのだから、これが当たり前なのだわ。私は小さい頃から治安の悪い地域にも行っていたから…………違う)


リリアンナは一人じゃなかった。


「お父さん!」


リリアンナはどこにいくにも父リアンが一緒にいた。どんなときでも父親の腕の中で安心していた。


「お父さん……おとう、さん……」


エアハルトが父親を求めたのは初めてのことだった。リリアンナでこれまでは十分だったから。母親が弱いわけではないが、どうしたって力では男親のほうが勝るため『強さ』となると父親が真っ先に浮かぶ。


それは父親を知らないエアハルトも同じだったことに気づかなかったのがリリアンナの間違いだった。気づくべきだった。このヴェルナという港町において海の男たちは強く、大きく、子どもが憧れる『強さ』そのもの。近所の子どもたちから『父親』の武勇伝を聞くたび、そんな『父親』にエアハルトが憧れていたことをリリアンナは知っていたのだから。


(どうすることもできなかったなんて、ただの言い訳だわ……)



「……お父さん」


いまエアハルトがどんな『父親』を想像しているのかなど、リリアンナには分からない。分からないけどそれは想像でしかないことは分かる。エアハルトはイグナシオのことを知らない。


―― リア。


リリアンナのように『本物の父親』を浮かべることはできない。



(ごめんね……エアハルト、ごめんなさい……)

タイトルの「藤鼠色ふじねずいろ」はくすみのある淡い紫灰色で、藤色の優雅さに鼠色の静けさを重ねています。華やかさと控えめさが絶妙に溶け合うことで、遠い記憶の霞を感じさられるような色彩。リリアンナはイグナシオを憎んでいますが公人としての彼の立場とその苦労は理解しています。


ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。次回は9月29日(月)20時に更新します。

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