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第6話 紫黒色の密謀

事件ともいえるイグナシオとの再会(多分一方的)から半年たったが、リリアンナの警戒を過剰だと笑うように何も起きなかった。風魔法で町の様子を探っているが、リリアンナやエアハルトのことはもちろん治癒師のアンナを探す音もない。



町の音を探ったことで、あの日イグナシオが瀕死の重傷で倒れていた理由を知ることになった。偶然にしては少々でき過ぎな感じはあるが、崖の上にあるリリアンナの家の真下にある港の倉庫街で男二人がイグナシオ襲撃の話をしていたからだ。



イグナシオは軍の作戦で北部辺境からトレッシア領の都シフォンに向かう途中、あの森の上に位置する街道で奇襲を受けた。


子が多く生まれたのか魔物の数は予測よりかなり多かったようで、北部辺境領の魔物討伐が予定より長引いていることはリリアンナも知っていた。北部はヴェルナから距離があるが軍港があるため、軍の情報はよく町の噂話になる。噂を集める場所として診療所の待合室はとても便利だ、年齢性別問わず人が集まるから。


討伐に時間がかかればそれだけの物資が必要となる。


北部辺境を治める領主である辺境伯は、今回の魔物討伐で冬を越すために準備していた物資を放出していた。最初は余剰分だったようだが冬になっても討伐は終わらず、備えが足りなくなったと確定したところで辺境伯はイグナシオに泣きついた。


辺境伯の失策であるが、北部辺境伯家はドゥヴァリス公爵家の分家筋。イグナシオは無碍にはできずトレッシア侯爵に支援を求めてレッシア領都シフォンに向かっていた。


本来ならイグナシオはそれなりの護衛をつけて移動するが、北部辺境伯の失策を隠すためイグナシオは護衛は数人のみで秘密裏に行動していた。その情報が洩れ、北部からシフォンまでの通り道にあるヴェルナで襲撃された。



(犯人について彼らは話していなかった……彼をよく思っていない人は昔から多い……)


護国の英雄と言われるイグナシオは敵からみれば邪魔者であり、味方だってイグナシオの膨れ上がった名声と権力を警戒している。


 ◇


あの日リリアンナがイグナシオと会ったのは『運の悪い偶然』ですませても大丈夫なようだったが、『安全だと思ったときが一番危ない、油断大敵』が父リアンの教え。それからリリアンナは更に二ヶ月警戒を続けたが、イグナシオの気配は何も感じることはできなかった。



杞憂だったかとリリアンナが警戒を解いて一月半後、ヴェルナで疫病が発生した。


ヴェルナで疫病は珍しいことではない。治癒師たちは町の役人たちの指示に従って感染した住民を隔離して治療し、計画通り疫病による被害は縮小することができた。治癒師も十分にいたから、このまま終息にもっていけるだろうと誰もが思った。リリアンナもそう安堵しながらエアハルトの四回目の誕生日を祝った。


それから数日後、三人の治癒師が突然治癒魔法を使えなくなった。


原因は魔力の枯渇。治癒師は魔力が枯渇しないように魔力測定器を携帯しており、彼らの魔力測定器の値は上限の八割弱だったが彼らの魔力は枯れていた。


本来なら魔力が枯渇しているわけがないのだが、治癒師も町の役人も「やっちゃったか」という感覚でいた。治癒師だって人の子。利益供与とか同情とか理由はいろいろあるが、魔力測定器を外してこっそり治療してあげることはある。町としては「必ず魔力測定器をつけてから治療してください」と注意はするが、早朝や休日など魔力測定器を携帯していないタイミングで急患ということもあるから取り締まることなどもできない。


誰もが、リリアンナも、魔力測定器をつけないで治療したのだと思った。


「三人が一度」ということをもっと深く考えるべきだったと、リリアンナがそう思ったときには手遅れだった。毎日一人か二人の治癒師が魔力枯渇で治療できなくなった。魔力測定器はきちんと身につけていた。それにも関わらず、だ。


魔力測定器の故障の可能性が出た。直ちに魔力測定器は回収され、治癒魔法での治療は一時中止となった。治癒師たちのうち薬草などの知識がある者のみが対処療法で対応することになった。診療所が大量に閉鎖されたが、町の混乱は抑えられていた。トレッシア侯爵は領主として人気があり、最初は住民も彼の指示ならと従っていたからだ。


しかし治療側が不足していることなど感染症は考慮してくれない。


患者はどんどん増加していき、やがて重症化する者が出てきた。「いつまで我慢すればいいのか」という声が住民の間から出はじめた。そして感染症による死者が出たとき、住民の不安はピークに達して制御できなくなった。


住民たちは診療所に殺到したが、治癒師たちは治療を拒んだ。


町から中止の指示があったこともあるが、普段から魔力測定器を使っていたため自分で魔力の限界を測ることができず、魔力が枯渇すればこの先一年以上は魔法が使えず収入がなくなる。


普段ならば魔力の枯渇を恐れる治癒師の気持ちは理解されただろう。いつもなら魔力測定器の『これ以上は治療できない』というチカチカ光る合図に納得して他の診療所にいったりしていたのだから。しかし今は違う。余裕がなかった。魔力枯渇では死なないが、感染症を治療してもらえなかったら自分たちは死ぬかもしれない。怖いの気持ちは死に直結した住民のほうが強く「怖がってないで治療しろ」と住民は治癒師に詰め寄った。


事態はどんどん悪化していった。


住民は診療所を取り囲み、治癒師に対して圧力を加える。それに負けて何人もの治癒師が治療を行いはじめ、どんどん倒れていった。町の治癒師はどんどん減っていく。住民たちの焦りと不安はどんどんヒートアップしていく。


金銭をちらつかせて治療を強請る者がでてきた。一度誰かがそれを受け入れれば、次が容易に生まれる。やがて暴力に訴えて治療させようとする者が出てきた。町は一気に無法地帯になっていった。



(疫病よりも人のほうが怖いわ)


ヴェルナに身内がいないリリアンナには脅迫材料がないため、リリアンナは他の治癒師に比べて上手く籠城ができていた。しかし、治癒師が減る中で籠城し続ければ「いつか」は必ずやってくる。


(ヴェルナから逃げなくては)


このような事態になっても改善できていない役所に頼りきれない。自分でどうにかするしかないとリリアンナは判断した。



「お母さん……」


施錠してカーテンを閉めても、外から不穏な空気は漂ってくる。エアハルトはそれを感じ取り、ここ数日エアハルトはリリアンナにべったりとくっついて離れなかった。これまで善い人だと思っていた人たちの豹変した態度はエアハルトに恐怖を与えていた。


(アン……ごめんなさい……)


この診療所には魔導具師だったアンの夫により侵入者を防ぐ機能があり、診療所以外の場所はアンが許可した者しか入ることができないようになっていた。


アンによれば役所が治癒師を管理するようになるまでは診療所は町の住民に襲われたという。そのために自衛の策が必要で、アンのために彼女の夫がつけたこの機能のおかげでリリアンナたちは今まで無事でいられた。


―― 死に対する恐怖は、人を悪魔にするわ。


父リアンとの旅の最中でそういう村をみたことがリリアンナにはある。隣の町まで馬車で二日はかかるという場所にある小さな村。その住民は治癒師をとても大事にしていた。年老いた彼のために食事を運び、世話をし、家の雑事は村の住民が日替わりでやっていた。


何もしなくても生きていけるその場所で、治癒師はリアンに自分は囚人だと言った。


彼の父親もこの村の治癒師で、息子の彼は違う町で家族と暮らしていた。なぜか「治癒師になるんじゃない」と父親に言われたため、治癒魔法は使えたが木工職人として働いていた。


ある日、村の住民の一人が父親の危篤の報せを持って彼のもとにきた。なぜ父自身が連絡を寄越さなかったのだろうと思いながら彼は村に向かい異様な歓迎を受けた。「どうして帰ってきた」と彼の父親は怒った。そこからは親子喧嘩。明日になったら町にいる家族のもとに帰ってやると彼は怒って眠りについたが、その夜彼は足を失った。彼から足を奪ったのは村の住民たちだった。「私たちには治癒師が必要だ」という理由で彼は足を奪われた。


足のない身では逃げられず、彼は家族と別れた。家族を、とりわけ息子をこの狂気に巻き込みたくなかったと言っていた。すでに逃げる意思もない彼にできることはないと父リアンは判断したのだろう。納得できないリリアンナに「仕方がない」と言い、リリアンナはリアンに抱き上げて早々にその村を出たことを覚えている。


 ◇


(いまこのヴェルナはあの村と同じ。足があるうちに逃げなくては逃げられなくなる)


「お母さん……」

「エア……」


また当てのない旅を始めることへの恐さがリリアンナを襲う。エアハルトの将来を思うとなお一層。いつか出ていくと思っていた。イグナシオと会って、いつでも出ていけるようにはしていた。でも、いざ出ていくと考えると「家がなくなること」にリリアンナは躊躇してしまった。



「……大丈夫よ」


その「大丈夫」はエアハルトのためのものか、それとも自分のためか。分からないまま、リリアンナはまとめた荷物を確認する。中身はほとんどエアハルトの宝物。代えが効かないものだけにした。幸いにもお金はあるから、あとで買うことができるものは置いていくことにする。



(もう少し早く脱出するべきだったかしら……)


リリアンナは風魔法を展開して逃げ道を探ったが、リリアンナの診療所の前には必ず誰かがいる。交代で見張っているのか、隙がない。状況を打破できない焦れったさに、リリアンナは港のほうに風を向けた。


(何か彼らの気を逸らすものがあれば……)


『治癒師はまだ……か?』

『本当に……毒……か?』


(治癒師? 毒? この辺りは……騎士隊の隊舎……)


リリアンナはもっとよく聞こえるように、風の量を増やした。



『この町に疫病を流行らせて、死人も出ている。お前、なにも感じないのか?』

『仕方がないだろう、陛下の勅命だ』


(……陛下の、指示?)


『ドゥヴァリス公爵を助けた治癒師を探すにしても、こんな方法で』


(え……?)


『それに治癒師に罪はなかろう。重傷者を見つけて治す、それが彼らの職務だ』

『お前、馬鹿か? 陛下は治癒師を罰するために探しているのではない。深手の傷を負ってあの崖の上の街道から落ちたドゥヴァリス公爵を生かした者。それほどの治癒力が使える治癒師を陛下は手元に置きたいのだ』


『だから、こんな方法なのか?』

『これまでに倒れた治癒師たちには用はない。もっと大量の魔力を持つ治癒師だ。どこかの貴族、もしかしたら王族のご落胤かもな』


『最後まで残っていた治癒師がそれだとでも言うのか?』

『それかは分からないが一番可能性は高いだろう。この町の住民は毒によって魔法を使えば普段の何倍も魔力を消費するようになっているからな』


『それほどの魔力を持つ者が魔力を枯渇させれば命にもかかわるぞ』

『知らん、そんなこと。死なないかもしれないってところじゃないか? 俺たちが考えるべきはこれからのことだ。その治癒師を見つければ、どれほどの恩賞をいただけるのか。隊長になれば待遇はよくなるし、憧れの王都で暮らすことができる。近衛騎士となることだって夢じゃない』


『そんなにうまくいくのか……俺は、この話は陛下の御名で俺たちのところにきたが、本当に陛下の御指示かどうか……納得できない。そもそも、なぜ陛下はドゥヴァリス閣下を憎み殺そうとする? あの御方のおかげでこの国は安全なのではないか』


リリアンナが抱いたのと同じ疑問を、もう一人の男は笑い飛ばした。


『お前、何も知らないのだな。陛下はドゥヴァリス公爵に怒っているのさ。リリアンナ夫人を事故に遭わせて殺したからな』

『まさか……陛下がリリアンナ夫人に懸想していたという噂は本当なのか?』


(え……?)


『陛下が懸想していたのは夫人の母君だ。陛下はリリアンナ夫人が赤子のときから彼女にご執心で、父君のリアン様に幼いリリアンナ夫人を寄越せとまで言ったそうだぞ』


(陛下がお父様に……確かにお父様の陛下を嫌っていた。登城も“命令”でなければしないほど……っ⁉)


盗聴に夢中になっていたのか。リリアンナは視界が揺らぎ、盗聴をとめた。話の内容に夢中になって忘れていたが、毒によって今のリリアンナは魔力の消費量が上がっているのだ。


まだ魔力は体内に感じられるので枯渇したわけではないが、これ以上魔法を使うのはやめるべきだと判断した。これから何があるか分からない、魔力は温存させないといけない。


(……そんな毒があるなんて俄かに信じられないけれど……慣れている風魔法を短時間使用しただけでこうなのだから……そうだと考えるべきなのでしょうね……)



もうすぐ何かが起きる。

リリアンナの勘はそう告げていた。

タイトルの「紫黒色しこくしょく」は、深い紫に黒を溶かし込んだような、黒に近い紫色です。神秘と重厚さを併せ持ち、夜の帳のように静かで、内に秘めた力や感情を感じさせる色彩です。


ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。次回は9月22日(月)20時に更新します。

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