第16話 淡雪色の蝶
王妃の専属侍女に案内されながら庭園を進むと、王妃と、その隣に幼児期から少年期に変わりつつある男の子がいた。ハルシオン第七王子。王妃が唯一産んだ少年王子は胸を張り背筋をぴんと伸ばす。
エアハルトは小さな手を前に添えて臣下の礼をとった。
「僕は、エアハルト・ドゥヴァリスです。会えて……光栄、です」
たどたどしい貴族の礼だが覚えたばかりだから及第点だろう。そう思ってしまう自分は甘いのかもしれない思いながらリリアンナは子どもたちの様子を観察する。
(エア……緊張しているわね)
初めての社交、初めての場所。城で王族と対面なので侍女や騎士が何人も控えている。緊張するのは仕方がない。
対してハルシオンに緊張は見られない。少しつまらなそうで、『またか』という表情が見えるところから側近選びはなかなか上手くいっていないようだとリリアンナは思った。
「僕、お城に来たことは初めてです」
「どうして来たの?」
「来ちゃダメだった……ですか?」
直球ともいえる質問にハルシオンのほうが戸惑う。
「そ、そんなことはない」
「よかったです」
「でも、君みたいな子が沢山来るから」
「殿下はお友だちが沢山いる……おられる? ですね」
友だちという言葉にハルシオンは皮肉気に顔を歪める。
「エアハルト、友だちとは何だ?」
「僕、お友だちがいたことがないのでわかりません」
「そ、そうか」
エアハルトのようなタイプに戸惑うハルシオンの表情にリリアンナの口元が緩む。聞いてはいけないことだったのか、何か事情があるのかと考える表情から優しい王子であることが窺えた。
「友だちがいないのか?」
ハルシオンの言葉にエアハルトは頷いた。
「閣下には友だちがいないならこれから作ればいい、殿下が『いいやつ』だったら友だちになればいいって言われました」
(いつの間にそんな相談を……それにしても言い方が……)
イグナシオがそう言ったであろうことは容易に想像がついたが、エアハルトがそのまま口にしたことにリリアンナの背中に冷や汗が伝う。
「私と友だちになりたいか?」
「えっと、殿下が虫好きならお友だちになりたいです」
条件反射のように『友だちになりたい』と言ってきた今までの子どもたちと違い王子である自分に条件付き。しかもその条件が『虫好き』であることにハルシオンは驚いた。
「僕は一緒に虫探しをしてくれるお友だちが欲しいです。お母さんも侍女たちも嫌がっているのは知ってるし……閣下は少しだけ一緒にやってくれるけど忙しいし……」
(少しだけって……いつの間に一緒に虫捕りを?)
リリアンナの驚きは続く。なんとハルシオンがパッと年相応の笑顔になったのだ。
「私も虫が好きだぞ」
「何が好きですか?」
「蝶だな。特にアウリラ・リュミナリス・ディヴィナ・イリスフェリアが好きだ」
「僕も好きです!」
(え、分かるの?)
「閣下の家の庭でセラウリス・ノクティア・ディスペルス・カエルレオフィーナは見つけたのですが、アウリラ・リュミナリス・ディヴィナ・イリスフェリアは見たことがありません」
(……呪文?)
「いまの時間は難しいかもな。フリモモなら簡単に見つかるかな」
「グレヌス・アシュラータも見つかるかもしれません」
「よし、探しにいこう」
意気投合した子どもたちがさっさと庭の奥にいく。護衛たちがぞろぞろと付いていく様子をリリアンナは唖然と見ていた。
「王子はあなたの子をとても気に入ったみたいですね。あんなに楽しそうな王子を初めて見ました。エアハルトを王子の側近に、は難しそうですけれどね」
北部の王と言われるドゥヴァリスの権力に、リリアンナが父リアンから継いだ領地の国への影響力。それだけでもドゥヴァリスに、そして二人の子であるエアハルトに力が集まり過ぎている。そこに次期王の側近も加われば貴族たちからの不満は目に見える。
「側近選びに難航しておられるのですか?」
「夜会での一幕が利いたのか甘い汁を吸おうとする害虫はかなり減りましたのよ」
ハルシオンは成人したらすぐに王になることが内定している。若い国王となるハルシオンを傀儡にして私欲を満たそうとする者たちが擦り寄ってきていた。
「リリアンナには感謝しないといけませんね」
そう言うと王妃は扇子をパチンと鳴らした。王妃専属侍女1名を残して全員が下がる。残った侍女をリリアンナは王妃が実家から連れてきた侍女だと覚えていた。
これから話すことは信頼できる者にしか聞かせられない話ということだ。
「陛下の妄言については私から謝らせてもらうわ。本当にごめんなさい。英雄の妻に妾になれと言うなんて時代遅れも甚だしい」
(妾……)
リリアンナは王妃と、王妃の後ろに静かに佇む侍女を見る。
確かに国王が国の英雄の妻を所望するなど醜聞ではあるが、人払いしてまで話すことではない。ヴェルナの基地に配属されるような騎士たちですら国王のリリアンナへの執着を知っていた。
「謝罪はありがたく頂戴いたします。しかし陛下がお望みなのは本当に『妾』なのですか?」
王妃は『国王はリリアンナを妾にしたいと思っている』ということにしたがっている。
確かに可能性はゼロではないが、リリアンナが幼い頃から父リアンと共に国王をリリアンナに近づけさせなかったという記憶が引っかかる。
そしてあの夜の国王の振る舞いはまるで――。
「陛下は『父親』のつもりなのではありませんか?」
国王が恋慕したスフィアの娘であるリリアンナを娘のように扱うことで、擬似的にスフィアの夫気分を味わいたいのではないか。少々強引なこじつけであるが、それが一番近いような気がした。
(でも人払いまでする? 人払いをして私と話をしているということは直ぐに広まる。私と王妃様が近しいことは周知の事実だけど、あまり一貴族に偏るのはよくない。ましてや今は殿下の側近選びの最中だもの)
「突拍子もないと言いたいけれど、あの陛下ならあり得る話だわ」
「王妃様は、陛下が母に心を寄せていたことをご存知だったのですか?」
「妻だもの、と言いたいところだけれど一部では有名な話よ。リリアンナの御母君のスフィア様は病弱だったから滅多に夜会に出なくて、陛下がスフィア様を見初めたのはスフィア様とリアン様のご婚約発表のパーティーの場だったの」
レオニダスには上に兄が二人もいた。
どちらも優秀で国の将来は安泰だと思われていたが、立て続けに二人が病気と事故で亡くなった。
レオニダスが兄たちの暗殺を企てたと疑われかねない状況だったが、英雄を夢見るレオニダスにそんな大それたことはできないというのが貴族たちの結論だった。
どちらにせよ、王位を継げるのは末の王子のレオニダスのみ。
本来なら王になることのなかった王子。
学びは足りず、王妃候補として第一王子と第二王子それぞれの婚約者の名があがったが、彼女たちは婚約者と政略の中でも心を通わせており、「愛する人の弟との結婚など耐えられない」と出家した。
仕方がなく貴族たちはレオニダスを補佐できる王妃候補を探したが、レオニダスが三十歳になっても見つからなかった。
そんなレオニダスが、気紛れに参加したトレーデキム伯爵家の婚約発表に参加し、スフィアを見初めることになった。
レオニダスは自分は王なのだからスフィアを娶れると思っていた。
スフィアは伯爵令嬢で家格は問題ないし、愛妾は幾人もいたが王妃はいなかった。
スフィアの婚約者だったリアンのことは知っていたし、彼が侯爵位を捨ててまでスフィアを求めたことは有名だから知っていたが、王になったレオニダスにとって「だからなんだ?」だった。
しかし、レオニダスの申し出をスフィアの養父であるトレーデキム伯爵は断った。
三十歳まで生きられるかどうかの病弱なスフィアに王妃など到底務まらないと言って。
「先代伯爵は腹を切ってもスフィア様を王妃にという意見を撤廃なさろうとなさったわ。まあ、そんなことをリアン様が許すはずもないのだけれどね」
当時リアンは二十歳になるかならないかだったが、外務大臣として諸国の猛者たちとの交渉で勝ち星を挙げてきた男だ。
政務に見向きもせず、古の英雄を夢見て愛妾たちと日夜遊んでいるレオニダスに勝ち目などない。
リアンとトレーデキム伯爵は蟄居という形で責任をとり、トレーデキム伯爵領の魔石とオクタル侯爵領の小麦の王都流入が止まり、その理由が国王の横恋慕だと噂され国民は「格好悪い」とレオニダスを笑った。
英雄どころか笑い者にされる事態にレオニダスは怒り、自分を選ばないなど趣味が悪いと言ってスフィアへの求婚を取り下げたのだった。
「それから私との婚約が決まって、成人をまって私が王妃になったの。婚約のときね、陛下の第一声は『そなたを愛することはない』だったわ。まさか小説を読んで笑っていたその台詞を自分が言われる日がくるとは思っていなかったし、それを十歳の子どもに言う三十路のオジサンがいるとは思わなかったわ」
三十路の男が婚約者とはいえ十歳の女の子を愛していたら、それはそれで問題だとリリアンナは思った。
「陛下は、母を愛していたのだと思いますか?」
「愛かどうかは分からないけれど執着はしていたわ。あまりのしつこさに辟易したのか、スフィア様は体調を崩されてドゥヴァリス領で療養なさることになったの。スフィア様が旅立たれると知った陛下は半狂乱だったから覚えているわ」
「ドヴァリス領……」
「アグニスハルト先代公爵はリアン様のご親友だし、ドヴァリス領は北にあるからか病気にかかる者も多く昔から医学や医術の研究が盛んだわ」
ドゥヴァリス公爵領には医者を養成する医術学院もある。
リリアンナは魔力量が多く、スフィアの妊娠期間は二年近く。
それを無事に過ごしてリリアンナを出産できたのは、ドゥヴァリスの優れた医療技術があったからだとリアンから何度も聞いていたし、リアンが医術学院に多額の寄付をおさめていたことも知っている。
(ドゥヴァリス領に滞在していたときに妊娠が分かり、そのままお母様はドゥヴァリス領で過ごしたと聞いていたけど)
「母はドゥヴァリス公爵領にずっといたのですか?」
「結局亡くなるまでずっとドゥヴァリス公爵領にいらっしゃったわ。陛下は王都に戻るようにスフィア様に再三通達を出したようだけど、スフィア様は体調が優れないと王都に戻ることはなかった。陛下ご自身がドゥヴァリスに行こうとしたこともあるけれど、アグニスハルト先代公爵に追い返されていたわ。ドゥヴァリスと王家には初代国王とその王兄の盟約があるから」
ドゥヴァリス公爵領と王家の間には盟約があり、公爵家の初代当主である当時の王兄は盾や矛となってヌラリス王国を守るのと代わりに、弟王に公爵家の自治を認めさせている。
つまり王であっても公爵家当主の許可なく公爵領に入ることはできない。
王から逃れるには、ドゥヴァリスに行くしかない。
なぜそこまで母は王を……。
「当時の話を知りたかったら、私よりもアグニスハルト先代公爵に聞いてみたらどうかしら」




